オナニーなんて殆どしない、とかいうヤツ

「もはやオナニーとか年に1回するかどうかだな」

 

オナニーについて「ほとんどしない」「滅多にしない」「面倒だ」などと、このような実にわかり易いオナニーdisでご自身の奔放なSEXライフを自慢してきたのは、地方の国立大学入学と同時に脱童した地元の知人たちだった。高校生活で冴えなかったのはこの時に開花する為やでえとばかりに大学生活を謳歌する彼を、その時なんなら彼と会う1時間まえにも思い付きでヌいてきたような俺はというと、大学生活で見事なまでに失敗を重ねた俺はというと...、それに素直に嫉妬し、センボーのまなざしで見ていたのである。

まあでも、よく聞く話である。女性経験のデビューが遅ければ遅いほど、人は必要以上に奔放な性生活に身を投じ、それをひけらかすのである。デビューの遅かったやつの遊び方のエグさというか、これみよがしな様は心から羨ましさを感じるほどでありますし、そりゃあオナニーとか年に1回でしょうね、と納得もすると言うものである。

 

しかしである、冒頭の彼の台詞をもう一度考えてほしい。オナニーを年に1回するかどうかの男と、割としょっちゅうしている男。真の意味で果たしてどっちがダサいだろうか。

いやまあ堂々と「日課です」とかいってるのは褒められた態度でもありませんし、パッと見た感じ俄然後者って気持ちになるかもしれないのだけど、よーーく考えてみてほしい。

その、「年に1回するかどうか」のヤツが思い立ってする年に1回のオナニーってのがコレ、めちゃくちゃウケませんかね。空腹に耐えかねて非常食の蓋開けた感じも良いのだけど、それよりなんか1年に1回というスパンからして神聖な儀式というか、奉納感が出ていてものすごくウケる。

逆に聞きたいのだがその年に1回のオナニーって何がきっかけでやるんですか、と。逆に余程のムラついたことがあったのではという面白さしかそこにはないのではないだろうか。

普段上から目線で歯牙にもかけないオナニーくんだりをば、ある日何かのきっかけでスイッチが入り「ふぅ、、するか」と決意し、挙句事に及んで「ウッ!」とかいうまでの一連を想像するとまことに笑えて仕方ないわけである。

1年間見向きもしなかった癖にある晩所に急にふらふらっと歩み寄ってきてオナニーを抱いていくダサさといったらハンパないんだよ!キサマ、毎晩抱いてやらんかい!と思うわけである。

 

すいません生意気言いました。寝ます。

 

能年玲奈(のん)を見ると、昔家にやってきたものの食べ方が決まらず痛んで捨てられた国産松茸を思い出す

「のん」として再スタートした能年玲奈の現状を見ると、我が家に大歓声の中迎え入れられたものの、どう料理するか悩みぬいた挙句持て余し、結局痛んで捨てられたたったある1本の松茸のことを思い出さざるを得ない。

 

子供頃、よく知らないけど大人が贅沢の象徴として持てはやすものだから子供ながらに「なんか凄い」とだけ認識しているものがいくつかあったが、今思い出す限りではステーキ、ハワイ、なぜかティラミス、それと今回の松茸がそれに該当していた。

親が国産の松茸をなぜか1本だけ貰ってきたとき、そんな俺を含む一家全員のテンションが爆上げになったのだから、家族の皆も概ね俺と同じような認識レベルだったのかもしれない。

 

松茸は美味い、松茸は凄い、松茸は最強、松茸さんには失礼の無いように、、、我が家には松茸はまだ早かったのか、家の中で次第に松茸の存在感は増すばかり。やんごとない松茸様だから、下手な料理で無駄にしたくはない、慎重に考えようと大事に保管された松茸。1本の松茸に翻弄される田舎の貧乏家族のせつなさである。

 

「この松茸をどうするか」

いつしかその決定権を互いに譲り合うようになり、遂には見て見ぬ振りが始まり、とうとう松茸はその存在を忘れ去られようとしていた。今思うとたった1本という微妙な量が問題だったのかもしれない。大体松茸たった1本で一体何が出来るのだろうか。

 

結局食べ方が決まらないまま、ある日松茸は傷んで食べられなくなって母親に捨てられた。

松茸が捨てられたとき、家族の間に妙な安堵感が広がっていた。

交通整理中の警備員のトランシーバーでのやり取り等について

交通整理中の警備員が、トランシーバーで話しながらめちゃくちゃ爆笑しているのを見かけると「アイツらどんな冗談言い合ってんだろう」って、すごく気になる。交通整理中に飛び交うジョークというものがいかなるものか、我々には全く想像もつかないのである。

トランシーバーから聞こえてきた声を聞いた後に信じられないくらい大爆笑しているやついるんだけど、相手側のやつどんだけ面白いやつなんだろうって絶対見てしまうもんね。

 

《えー整いました、ドウゾ》

《はい、お願いします、ドウゾ》

《えー、交通整理とときましてー、ドウゾ》

《いきなり「とく」んスか先輩、ドウゾ》

《ぶわっはっは、ドウゾ》

《はい、車通します》

 

実際にはこの程度ではないかと思っている。

 

それに似たことではあるがずっと前から気になっていたのが手旗についてである。

手旗といえば身近には先ほどの警備員もそうだが鉄道員や船員が思いつく。警備員や鉄道員がどの程度の手旗を操るのか知らないが、船員なんてのは結構テクニカルな手旗信号を操るのではないか。

その手旗だけども、調べると五十音の類も表現できるもののようであるので、当然ながら思ってしまうのは暇なときに手旗信号でシモネタとかやってんじゃないのだろうかって事である。

自分と同じレベルでものを考えてしまうのが悪い癖だが、こればかりはどうも、やっぱりやってると思うんスよね、いや船員たるもの絶対に一度はやっていると思うんだけど、確実に「ち・ん・こ」とかその辺のレベルの手旗はやってるでしょ。ねえ、やらないとヒトじゃないと思うわ!

アマチュア無線技士免許を取り立ての中学生とかとりあえずまずは世界に向けて満を持して「セックス。」とか発信して一人で大興奮しているはずである。していてほしい。

 

色々な手段でメッセージが簡単に、早く送られる時代なので回りくどい方法でやり取りすると言葉に重みがあってよい。

関係ないかもしれないが、以前取引先とのやり取りにて、受信メールが何度も文字化けするのでとうとう相手に「FAXで送っていただけますか」と伝え、送られてきたFAXで判明したその内容が「下記件、承知しました。」だけだったのを思い出した。

とても重みがあった。

道端に落ちてる中身満タンの2リットルペットボトルについて

結構色んなものが落ちているものだから、運転中など道路の落下物をいちいち見てしまう。

ヘビかと思って警戒する率No.1、トラックの荷台の幌(ほろ)を拘束するゴムバンドの落下率がかなりのものだが、あれをいちいち「ヘビか!」と疑うのをやめたい。ヘビが道路で死んでいるのを見た回数は1回か2回、その間に見たゴムバンドは100回を超えているように思う。ヘビはそんなに道路で死んでない。

靴もよく落ちている。かねてよりなぜ運転手の片方の靴だけが道路に落下するのかと不思議に思っていたのだが、よく見るとトラックの荷台に履き替え用の靴を置いているケースが多く、どうもそこからの落下のように思われる。手袋、作業着といった身につけるものの大半も同じような落下背景によるものだと思う。

 

そんな中、ずっと不思議に思っていたのが中身が満タンのまま落下しているペットボトルである。しかも大抵2リットル。それも大体緑茶かウーロン茶である。特にトラックの往来の激しい大きな幹線道路では顕著なこの不思議な落下物は、心無いドライバーによって道路に投げ捨てられているゴミとはちょっと事情が違ってそうである。

今までは、頻繁に休憩出来ない長距離ドライバーが運転しながら重たい2リットルのペットボトルを片手で飲もうとしたところでいきなり誤って落としてしまったものかと、殆ど飲まずに落としてしまった無念のペットボトルなのではないか!などと思っていたのだが、先日この話を助手席に座っていた上司に話したところ、「いや、ションベンちゃうか」という衝撃のコメントが飛び出し、今までの疑問に思っていたアレコレが全て繋がってしまい動揺している次第である。

「トラックの往来の激しい幹線道路」「緑茶かウーロン茶」「2リットルのペットボトル」それらを繋げると、確かに「ションベンちゃうか」になってしまう。そうするとウーロン茶かと思っていたものは変色したションベンちゃうか。

真実を知るには実際にそういうことがあるのか、長距離ドライバーの皆様のコメントを頂きたいところである。

JR神田駅でメガネのオッサン同士のケンカを見た

東京に住んでいたとき、JR神田駅で見たオッサン同士のケンカが忘れられない。

時間は朝の8時丁度。通勤時の乗り換えのためにいつも使っていたJR神田駅の1、2番ホームの一角で、オッサン同士の静かな戦いは行われていた。

双方スーツをまとったサラリーマン。細身の体にメガネ、気の弱そうなルックス、年齢もおそらく同じ40代後半くらいに見え、とにかく二人とも似ている。
「静かな戦い」と表現したのはその迫力の無さからだ。繰り広げられていたのは「ムキュッ」「ピィッ」という、動作時につい漏れ出た声以外、お互いが一言も言葉を発さずにただ双方の服をつかみペタペタくっ付きながら小刻みに引っ張り合うという玄人好みのアツい接近戦。

ケンカの効果音としては異例の「ペタペタ」というスピード感、緊張感の無さはどうだ。

素人が見たらじゃれ合いにしか見えないこの迫力ゼロのバトルに気づく人は残念ながら誰もおらず、ホーム中央さらに「ムキュッ」「ピィッ」といいながら服を引っ張り合うオッサン二人とそのすぐ脇で黙って見守る俺という謎の構図。通勤中なのでそんなものを眺める余裕など本当は無かったのだけど「俺しか見てない」という興奮から、乗るべき電車を二本もやり過ごし貴重な朝の時間を浪費する。

しばしのこう着状態ののち、ついに事態が急転したがそれも実に地味だった。片方のオッサンがもう片方のメガネをサッと奪ったのである。

地味な戦いの中で唯一キラリと光った、ハイライトともいえるその場面。緊迫の攻防をスローで解説するとこうである。

力士がまわしを取りに行くがごとく、組み合った状態からメガネに手を伸ばそうとするオッサンに対し、もう片方は苦悶の表情で「ピィ」と小さく声を漏らし必死で顔を背けかわそうとしたが、「ムキュッ」と小さなフェイントを二回使ったもう片方が一枚上手、抵抗の甲斐無くメガネは奪われ、奪ったほうが自分の上着のポケットにサッと仕舞ったのである。決まり手が何かありそうな、妙になれた一連の動きであった。


そして「なんでメガネを仕舞ったんだ」と思う間もなくさらに予想外の展開へ。

メガネを奪われた側、奪われると同時に「へなへな...」という効果音がこうも適切に当てはまるかというくらいに急速に全身から力を失っていったのである。

あからさまな戦意の喪失が見て取れる。その後メガネを奪ったほうにしっかりと体をつかまれ、無言のままホーム中央からどこか別の方向、おそらく駅員室だと思われるところへ連行されていった。

ロボットが動力を奪われたかのようなあのヘタり様。極度の近視だったとしてもメガネを取られただけでああもダメになるもいのなのか。低レベルながらもそれまでがっぷり四つで均衡していたパワーバランスは片方のメガネがはずされた瞬間途端に崩れた。何が起きたのか。非常に気になる一幕であった。

さすがに三本目の電車までスルーというわけにもいかず完全に事の顛末を知ることは出来なかったが、同じく日ごろメガネをかけて生活する者として何か言い知れぬ不安を感じた朝だった。