バスケットボール・ダイアリーズ

やらなくなって長いが、元々バスケットボールをやってきた。8年ぐらいだろうか。

Bリーグが開幕し、ようやくこれからというところだが、やはりバスケットボールというスポーツは率直にいって日本では今なおマイナーなスポーツである。

わが国の場合、メジャー・マイナーを分けるのは国際大会などでの成績、つまり「世界でも通用している」ことが重要視される気がする。その点では体格がモノを言うバスケットボールで日本が強豪となるには険しい道のりが待っているように思える。

加えて競技人口は結構多いのだが野球やサッカーと違ってゴールが無いと成立せず、従って草バスケットがその辺で発生しづらい。体育館を使って、きちんとした道具、格好でという距離感、ハードルの高さが野球やサッカーと異なり「プレイヤーだけが観るスポーツ」になりがちな一つの要因にも思える。

理由はともかく、バスケットボールはまだまだマイナーゆえ一般にはNBAのイメージが根強い。それかスラムダンク。試合中にはダンクと3Pシュート、後なんかトリッキーなドリブルとかノールックパスしかしてないと思っている人が割と多いのが実情である。

試合を観ていただければ分かるが、NBAを除くとあらゆる国際大会、または国内リーグの類はどれも地道で地味でひたすら痛くて激しいスポーツ。その中でダンクやノールックパスといった華やかな瞬間が待っているからこそ美しいと俺は思っているのだが、我々バスケットプレイヤーはそうした誤った認識や期待から「ダンクやって」とか「なんかすごい技」といった雑なリクエストを受けがちである。

プレイの認識がそれだから、例えばポジションといった話になると悲惨なもの。

野球なら「ピッチャー」とか「内野」「外野」で大体通じるし、サッカーも「フォワード」というか「ディフェンダー」とざっくり言えば日本では9割近くが理解するだろう。しかしバスケットはそうはいかない。全員攻撃、全員守備、微妙な役割の違いでポジションを決めるのと、常に動き回っているから傍目には誰が何やってるのかまあ分からないのである。

例えば下記の会話。これは大学在学中に実際に経験した、「バスケットやってるんですかー?!」から始まるある悲しいお話。ある時期には間違いなく全国で頻発していたであろう、悲劇をお伝えすることで今日は終わりとしたい。

 

女「バスケットやってるんですかー?!」
俺「あ、はい。」
女「ポジションとかってどこなんですかあー?」
俺「ええと、SFWとかFWあたりなんですけど...分からないですよね」
女「うーん...(笑)スラムダンクで言うとだれですかあー?」
俺「えッ...っと...」
女「あ、じゃあ!湘北高校だと誰ですかあー?」
俺「うーん?る、流川すかね...!?

女「...ふーん...」

 

「ふーん」と言いながらその女、頭の中で俺と流川の顔を比較していることぐらい容易に想像出来た。ポジション以外では、趣味が寝ることぐらいしか共通点がない俺と流川。「どあほう」といってやりたかった...。

全国で過去に「三井だよ...!」「仙道かな...?」といって同じ悲しい思いをしたバスケットプレイヤー達の為に、Bリーグには来年以降もぜひとも頑張ってもらいたいと思っている。

たった一人で避難訓練をやったときの話です

前の会社にいたとき僅か一年程度だったが、新しく作られた出張所を一人で任されたことがあった。今日お話するのは新規開拓の使命を受け、小さな雑居ビルの中で一人孤独な新規開拓に勤しんでいた20代半ばのころの話だ。

いつものように誰もいない事務所に一人で出勤し、独り言をいいながらブラインドを上げたり観葉植物に水をあげたりしていたところに一本の電話がかかってくるところからこの話は始まる。電話は本社の総務からで内容は避難訓練のお知らせだった。

 《今週末避難訓練をやってもらうから。近日中に防災ヘルメットと、防災に関する書類が届くからそのつもりで。》

 「分かりました。」と言って受話器を置いたものの正直悩んだ。ここは俺一人なのである。本社の総務もそれはご存知のはずである。

避難訓練といったって、俺が一人でここから脱出するのだろうか。そうだとしたらなんたる茶番。いや、まて当日になるとさすがにその為のメンバーとして本社から何人か助っ人としてやって来てくれるんだろう、それで盛大にぱーっと避難するんだろう、きっとそうだろう。

 

「・・・・。」

しかし当日出勤してきたのはやはり俺だけだった。

いつものように一人でブラインドを上げ、無言で丁寧に観葉植物に水を与える。二日前に届いた「防災セット」と書かれた段ボールを開けると、中から「防災ヘルメット」という名の黄色い工事現場向けヘルメットがなぜか4つ出て来た。

そういえばこの出張所、元々の計画では四人でがんばるはずだったのだがなぜかずっと俺一人なのである。その計画は全く進まず、かれこれ1年近く俺は一人で頑張っているのである。

そんなことを思いつつ、送られてきたヘルメットをまじまじと眺めると、正面にはとって着けたように無理矢理テプラで「防災」と書かれている。情けなくて泣けてくる。

それを丁寧に一つずつ段ボールから取り出すととりあえずテーブルの上に並べてみる。ひとりしか居ない事務所に4つのヘルメットが寂しく並ぶ。今は亡き戦友を偲んでいるようで無性に悲しい。

この避難訓練、俺以外どこからも誰も来ないが一体どうすれば良いのやらと困り果て、同じ段ボールに入っていたISOに準じたとされる小難しい書類を眺めているとタイミングを見計らったように固定電話が鳴った。

 

《すまんけど、避難訓練は一人でやってくれな。訓練をやる上での確認事項を書いた書類が届いてるはずだからそれを見て、やった内容は後日報告書を書いてくれればそれでいいので。》

 

「・・・・。」

言葉が出なかった。何が悲しくて一人で避難訓練を。

しかしそうと決まればのんびりしてもいられず、取りあえず一人で黄色いヘルメットを装着。便所の鏡でヘルメットを装着した自分を見るとあまりの情けなさにくすくす笑った。

とはいえ、しょうがないので送られてきた書類に従い、ヘルメットを被ったまま手際良く避難経路や緊急脱出口の確認、防災器具類のチェック他を「避難経路ヨシッ」と一応小声で唱えながら、厳粛な面持ちでこなす。

事務所内をヘルメットを被ってウロウロし、「窓ヨシッ」と言いながら振り返り窓を見ると、実は今までずっと窓に設置したブラインドが全開であったことに気付き、「うわあ」と慌ててこれを下ろす。窓は全然よくなかった。

窓の外にはマンションやビルが建っており、特に向かいのビルからこちらの様子は丸見え。いつもと違いこの日は一人避難訓練の日、黄色いヘルメット被ったスーツ姿の男性なんて、こんなもの見られたら「過激派です!過激派が何かの準備中です!」と一発で通報ものだ。

そんなこんなで手順に従い粛々と進められた俺の避難訓練もここからクライマックス、「頑張って出口を見つけましょう!」的な書類の指示に従いヘルメットを被ったまま「出口ヨシッ!」と、ついに事務所から脱出である。そこは避難訓練ということで一応ルール通りエレベーターを使わずにコソコソと、しかし一気に屋外の階段を駆け下りる。この辺の真面目さは誰かに見てもらいたいところなのだが残念、一人っきりの避難訓練である。

とにかくクライマックスとあって、この格好で他の人に会わないかとスゲーどきどきした。スーツ姿でコソコソ逃げ回るその姿。火なのか人の目なのか、この頃自分が一体何から逃れているのか分からなくなっていた。

 

「そ、外ヨシッ・・・!」


無事外に出て、物陰から外が良いことを確認するとそこで避難訓練終了である。

「ふうっ」と妙な達成感の中で「防災」と書かれたヘルメットを外し、雑居ビルの三階にある事務所に戻るとタイミングを見計らったように再び電話が鳴る。再び本社総務である。

 《避難訓練だけど、やっぱり後日ちゃんと人を揃えてやろう。ちゃんとやってないとISOの監査で何言われるか分からないし。》

あまりのショックに無言でその声を聞いていると、電話の向こうのおっさんがこう言った。

《どうせちゃんとやってないだろ。》

  

アメリカに行きます

タイトルの通りなのですが、俺はこの夏アメリカへ行くことになってしまった。アメリカっていうのはお察しの通りのあのアメリカでして、飲み屋で酔っ払った勢いで突然反米になったジジイの演説ぐらいでしか日ごろ我々の生活で話題にならないあのアメリカです。

「行く」とは申しましてもそこいらの女子大生のカナダ語学留学とは違い、マジで行く、行き倒す、いわゆる完行き、平たく言うと駐在というやつなので、つまり俺の30代 in Japanは今年で終了するのかもしれないのです。皆さんさようなら...。

行き先は寒いところだそうです。ビーチ・オン・ラジカセ with カー&セックスとは到底いかないような、とても寒く、白い粉と黒い武器が跋扈するとても危険な街だそうです。(大田胃酸と備長炭のことだといいのですが...。)

俺は高野豆腐並に周りの色とか味にスグ染まっちゃうタイプなので、このブログはある日を境にいきなりアメリカ最高情報大発信ブログになり、半年もすれば日本人の電車通勤とか飲み会とか選挙カーってうるさいよねみたいな、ジャパニーズライフスタイルを国際的な視点でdisるグローバル・アメリカかぶれ野郎になると思うのでどうか覚悟の上、これからもよろしくお願いしたいわけです。

なお、今年渡米したピースの綾部クンのことは"同期"と呼ばせて貰い、ミスター・トランプのことは"Boss"と呼びます。なお、忌まわしいあの事件を風化させないために島田紳助元司会者のことは父ちゃんと呼びます。特に綾部クンとは同じアメリカの価値観を共有するダチ公として一緒に高めあいながらも日本人のライフスタイルを上から目線でdisるアメリカかぶれ野郎として頑張っていきたいと思います。

あるときからタイトルがMy Brainになったりするかもしれません。これからもよろしくたのんます。

 

トトロが立つ

長い会議、既に気が緩みぼんやりと参加しているだけの俺の頭にふと、「トトロが立つ」というフレーズが浮かぶ。

「トトロが立つ...?」

だけどこれがまた、何かどこかで聞いたことがあるようだけども全くその意味が分からず。
トトロが立つ、トトロが立った、あれえ、これなんだっけ、ええと...などとしばらくの間会議そっちのけで何度も繰り返してみてるがなおも分からず、長い会議も終わる頃、それが「クララが立った」の間違いであると気付くまでずっと俺はひとり悩んでいた。

それを思い出すまでの間ずっと、となりのトトロのストーリーを振り返るなど、大変有意義な時間を過ごしたつもりである。

先輩から引き継いだ名刺の裏に書かれていた「ハゲ」というメモ

前職、商社務めだった頃の話だ。

よくある話だが、同じ部署の先輩が担当する取引先にいわゆるヘッドハンティングされる形で急遽会社を去ることになった。急な退職だったこともあり十分な引き継ぎもしないまま、先輩は半ば逃げるように去っていったのである。

礼儀正しく清潔な身なりで人当たりが良く、俺も色々相談に乗ってもらったり食事に誘ってもらったりと社内でも人望の厚い人だったのだが、その辞め際はこのようにドタバタとしたもので結構揉めた記憶がある。立つ鳥跡を濁さず言うが、在職中に評価が高くとも残された者の記憶に残るのは最後の姿。少し残念であった。

そんな訳で引継ぎ損ねた案件を見直してみると、話を半ばでフォローもせずに去った案件も幾つかあったし、残された者はしばらくの間その対応に追われた。

退職というもの、社会のルールでもそのときの会社の就業規則でも一ヶ月前に申告すれば良しとされているが、そうもいかないのが現実。その先輩がカバーしていた範囲、案件はそれでは足りるものではなく、もっとも、それほど仕事が出来たからこそ今回のヘッドハンティングに繋がったのだろうが、とにかく一ヶ月程度では到底足りるものではなかったのである。 

拠点としては純粋な減員であるから、残されたものに仕事が割り振られ、俺のところへも全体の2、3割が回って来た。先輩が辞めてから一ヶ月は「辞めた跡もしばらくは相談にのるから」というお言葉に甘えて、俺も何度か電話で仕事の相談をさせてもらっていたものだが、それ以降はさすがに気が引けて、渡された資料や過去の履歴などを見ながら何とか手探りで後を引き継ぐ日々。

増えた仕事に苦労しつつも半年経って何とか慣れてきた頃。前任の処理を終えてようやく本格的に、本腰入れて自分の仕事に取りかかれるぞ、と思っていたときだった。
それは上司から連絡。件の先輩の資料の中から、報告もされていない良くわからない取引先の名刺が大量に出てきたというのである。その中から俺の仕事に関係しそうな会社をピックアップしたから、ちょっと行けそうなところをあたってみてくれ、ということだった。

それは多分残された時間に鑑みて、先輩が引き継ぎをするまでもないと判断したものなのだろう。ピックアップされた割には、与えられた名刺の数は結構多かった。一枚一枚見て行くと結構大きな会社が多い。そして同じ会社で複数の名刺があり、そこそこの訪問回数で接触も多そうであった。「大手企業の中でいかに広い人脈を持つか」先輩の効果的な営業活動の一端をそこから感じることが出来た。

気付いた事があった。名刺の裏面をよく見てみると、そこにはどれにも全て何かメモ書きがしてあったのだ。メモの内容は《07.12/3 ○○打合せ》という風に、会ったときの日付や目的などが簡易的に書いてあるのが大半。その時の事を記録するのは名刺を貰ったときの基本でもある。

だが、そのとき裏面で発見したメモ書きはそれだけではないものもあった。それは会ったその人の特徴を忘れない為に書かれたのだと思われるプラスアルファのメモ書き、それを見て俺は凄く驚いた。

 

《08.×/× ○○納品  ハゲ

 

「ハゲ」と。

それに限らずまあ、見て行けばその他にも「チビ」だの「ハゲ」だの「デブ」だのといった悪口としか思えない言葉の多い事。もっと他に、何かこう、褒めてあげられるところがあるやろ・・・!と言いたくなるほど、延々続く「背が低い」「息がクサかった」「チンポみたいな髪型」といったネガティブワード・・・

「チビ」とか「眼鏡」なんて外見的な特徴で済ませて頂ければまだマシである。

中には「オタクっぽい 作業着汚い デブ」なんて、身体的特徴に加えて、主観、先入観などがさらに+アルファされて一気に畳み掛けるヴァージョンも散見され、いつしか俺は延々続くその悪口SHOWに、すっかり魅了されていた。

とある会社など例に挙げれば、同じ部署の担当者の名刺が3枚あったのだが、その3枚の名刺の人物全てに「ハゲ」と書いてあって、そのハゲ率の高さに一体そこの部署の何が彼らをハゲさせるのかと俄然この会社に興味津々となったものだ。

別の名刺に書かれていた「態度が悪い よく席外す ハゲ」に至っては、最後にとってつけられたような殴り書きの「ハゲ」がもはや《態度が悪い》事と《よく席外す》事への報復というか、ただの誹謗中傷にしか見えなかった。

きっとこの人は全くハゲてなどいないのに、態度が悪かったがために先輩の逆鱗に触れてしまったのだろう。触れてはならない闇の部分を彼が刺激し、その結果押されたのが「ハゲ」の刻印。これはきっとそうなのだ。そういう意味では、実際の容姿とは全く関係が無いのに、先輩の怒りを買った事で言われのない「負のキャッチコピー」をつけられた可哀想な人が混ざっている可能性も十分ある。

そう思うと先ほど紹介した同じ会社で担当者三人とも「ハゲ」だったところなんて、ひょっとするとただ何か先輩とトラブルがあっただけなのかもしれない。「てめえら若くしてハゲろ!」という願いだったのかもしれない!

見れば見るほど、何て魅力的な名刺達・・・、それにしても、礼儀正しく人当たりも良いあの先輩が、である。

最初は純粋に特徴を覚えておこうという動機で始めたこのメモ書きもいつしか先輩の心の奥底に潜むサムシングを刺激したのだろうか。徐々に嬉々として人の悪口を書く場と化したとしか思えないような惨状がそこにはあった。

 

「書かれていることが本当になのか確認してみよう」

 

そういう訳で、俺は趣味と実益の一致した、この気になるメモの書かれた人達へのアプローチを行った。

勿論全部に対して行った訳ではないし、実際に行けたのは、仕事として行くべきだと判断したのは全体の中の3割程度だ。あくまで実益が、仕事が優先なのでささやかな活動しか出来ないのだが、それでも趣味にならない限界ギリギリで俺は頑張ってみた。

汚名ではないかと思っていた文言の多くは、実際に会ってみると先輩のメモ書き通り、そのままの特徴を捉えていたことが分かった。

「ハゲ」はハゲていたし、「デブ」は相変わらずデブで、「チンポのような髪型」の人は、書かれていた日付から一年以上経って居たが、まだまだチンポのような髪型だった。徐々に晴れて行く疑念...。

中には「デブ」としか書かれていないのにハゲでデブだったケースもあり、「ハゲ&デブ」という「ラブ&ピース」のようなダブルキャッチコピーを避ける辺りに先輩の最後の優しさが垣間見えた。ビジネスマンではない、人間・先輩に触れた心暖まる瞬間だ。

会いたくても会えない人もいた。ただの私怨で汚名を着せられた可能性の非常に高い「態度が悪い よく席外す ハゲ」の人には残念ながら最後まで会うことが出来なかった。電話をしても書かれていた通り「席をはずしております」と言われて取り次いでくれなかったからだ。だからは俺は聞いてみたかった。「あのう、その方はハゲてますか」と。「態度はわるうございますでしょうか」と!

そのかわり、別で「ブツブツ」とだけ書かれた、恐らく若い頃のニキビで肌の荒れた人だろうとしか思っていなかった人が、実際に会ってみると「ぶつぶつ・・・」とブツブツ言う人だったことが明かになるなど、その後も想像を越えた幾つか新発見があり、その都度、先輩の底無しのセンスにはただただ驚かされるばかり。最高だった。

 

その後1年もしないうち、俺も部署を移動し、先輩が残した名刺の大半は未チェックのまま残った。大分たってしまい徐々に重要度は下がったものの、辞めた先輩の名刺は俺の後任にも一応引き継がれた。俺はその名刺を渡すとき後任にこう伝えた。

 

「『トカゲ』と書いてあるこの人にだけは会って、顔のことか飼ってるペットことか後で必ず教えてください。」