ボニファティウス8世の憤死

「ボニファティウス8世はアナーニ事件後、憤死した」

高校時代、大好きで最も得意だった世界史の授業において、唯一納得がいかなかったのがローマ教皇・ボニファティウス8世の死因である。教科書に載っていた彼の死因は忘れもしない「憤死」。
このアナーニ事件を簡単に説明するとボニファティウス8世がアナーニという場所でフランス国王フィリップ4世に捕らえられ一時幽閉された事件である。フランス絶対王政の発端とも言われ、国王の権力が急伸したことの象徴とも言える事件と教えられたように記憶している。
つまり教皇は「幽閉されたのがとても悔しくて死んだ」ということなのであるが、そんな、寂しくて死ぬウサギみたいな扱いでいいのだろうか。
俺の気にしすぎかとも思ったが「ボニファティウス8世」をググれば俺と同様にこの「憤死」問題に違和感を覚えた迷えるキッズ達の質問がweb上に溢れていることから必ずしもそうではないと信じている。

「憤死」

釈然としない言葉である。「憤死しました」と言われたとき、授業中に質問をするタイプではなかった俺でもこれには手を上げ「憤死っていうのは一体どういう状態なんですか」と尋ねざるを得なかった。
だがそれに対する社会科教師の答えはこうだ。

「簡単に言うとチクショー!って言いながら、死ぬことだ」

まさかの回答であった。チクショー!のときに少しふざけて来たのでイラついたのもあり、大体それは死因ではなく死ぬときの彼の気持ちの問題だろうが!などと、気づくと教皇の友達みたいな気持ちになっていた。
でもおかしくないか、百歩譲ってチクショーと悔しがるのは仕方ないとしても、知りたいのはどう死んだのかである。殺されたのか、自殺なのか、病死なのか。俺たちの教皇の死因がこんなに曖昧でいいのでしょうか!と前のめりで食らいつく。
ていうか気になっているのは俺だけじゃない、教室のみんなだって知りたいはずさ、ナア!みんな!オイ!という感じで周りを見渡すも誰も顔を上げようとしない。
オイオイ、お前ら、真実よりもテストの点数ですか!オォ?!などと俺の中のよく分からないウザいやつの部分がビシバシ刺激される。

「直接の死因は何ですか。それが知りたいです。」

これが最後とばかりに食い下がる俺に対し「いや、うん...体調不良だろう」というまさかの答え。「体調不良」てアンタ...女子が体育の授業を見学するようなノリでいっぱしの教皇が死んでたまりますかい!
もういい!と諦め着席すると「ほかの人はいいかな?」と形式的な確認作業の後、やれやれという雰囲気で授業が進む。

俺は今でも納得していない。後に調べたところ、ボニファティウスは幽閉から開放された後、70歳近い年齢もあって発作的な病で病死したらしい。実際に「体調不良」だったのがシャクだが、じゃあなぜ最初から「病死」と書かなかったのか。
お手本たる教科書の癖に妙に意味に幅のある言葉を使うところが高校生としては納得が出来なかった。それに加えてあの社会科教師の説明である。こうしていまだに「憤死」は俺のモヤモヤワードにとどまり続けるのである。

アフラックの鳥の声について

アメリカの生活について。

比較的日本人が多い地域に住んではいるものの、ホテル暮らしでまだきちんとコミュニティに入っていない俺はというと相変わらず旅行者に毛の生えたような状態で日々を過ごしている。

職場には日本人スタッフもあり、日本語を話す機会はそれなりにあるがそれでも周りは英語で溢れ、当然のように常に英語と向き合うわけである。

日本にいた時は海外関係の部署に所属していたこともあり、読み書きはさほど苦労しないが依然聞き取りには問題を抱えており、上司からは「しばらくはかかる」と慰められるものの急に聞こえるようになるイメージも湧かずホテルで只管英語のスキルアップに励む毎日。

とは言え、知っているはずの単語がネイティブの話し言葉になった時に全く違う音として出てくるという問題については知識として知らないと慣れるも何も、知らないと永遠に分かり合えないのではないかと思われるものも多々ある様である。

例えば「ボディ」を「バリ」と言うのは「お、おっすおっす…わしらもナイスバディと言うからギリギリセーフ…」と許容範囲であるが、「COSTOCO」を「Weらは『ト』の発音が苦手なんで」という理由で「コスコ」と言うのは全くの予想外であるし我らの日本電気こと「NEC」を「ネック」なんて呼ばれてはひとたまりもないわけである。

この様にアメリカ人の発音には慣れだけではなく知識としてある程度弁えなければ永遠に理解できない問題が多々ある様に思われる。

なのでそれはそれとして時間をかけて覚えるとしても、少なくともそれ以外のいわゆる耳の慣れについては、毎日映画で溢れかえったテレビを観るなどして体に染み込ませるしか手立てはない様である。

とはいえ毎日ホテルに帰りアメリカのアメリカによるアメリカの為のテレビ番組ばかりを観ているのも辛いもので一体彼らが何で興奮して何で爆笑しているのか全く理解できずに真顔で画面の前に佇むのも寂しいものである。

そういえば昔ビリージョエルの東京ドームコンサートに行った際、ビリージョエルが時々何か冗談を言ってもそこに居た日本人の誰も理解できずに微動だにできない中、英語の分かる一部の日本人だけが「ッタク〜、ビリーったらよ〜〜  ワラ」みたいに盛り上がって居てとても切なかったので次にビリージョエルがなんか言った時に俺がハハハッ!ビリーさん冗談キツいっすよ!と知った風に爆笑したらただのバンドメンバー紹介だったことがあり客の拍手の前の刹那、俺の声がドームに小響きしたわけだが、言葉の壁が生む疎外感というのはこの様に海外生活における最重要課題と思われる。

 

そんな俺が、昨日もテレビで健気に英語のお勉強をしている中、相変わらず聞き取り困難な英語をジッと耐えている孤独な時間において急に懐かしい、日本でもお馴染みのあるサウンドが唐突に耳に入ってきたのである。

それはアフラックのあの鳥がCMの途中、馬鹿の一つ覚えで発する「アフラック!」と言う皆さんご存知のあのヴォイスである。なんとここアメリカでもあの鳥の声は日本と全く同じ。もっとも、あの様な鳥の声をわざわざ吹きかえる必要性などハナから有るわけがないのはその後気づきなどしたが、まさか突然聞き慣れたあのアフラック!が聞こえてこようなど思ってもみなかったわけで、その感動たるや異国でまさかの同郷人に会う様な喜びで俺は人知れず興奮し「アフラックは日米共通!日米の共通点!」という今思えばどうでも良いことをこうして日記にしたためるに居ただったわけで有るが、こう、最後まで書き進めるに従い俺はなんてどうでもいいことで1500文字超もアツく書いているのかと段々情けなくなくなってきてもうこの話はやめることにします。

 

初めて女の子と手をつないだときずっと勃起していた

初めて女の子と手をつないで帰った中学何某のサムデイ、俺はその間ずっと勃起していた。

ほんの20分程度の帰り道だが、その間ぎこちないながらも必死で取り繕ったコイキなトークなどを挟みなどして、賞味1時間ぐらい、その間俺はずっと、ずっと勃起していたのである。

メソッドは割愛するとして、ポケットに手を突っ込むふりをして俺は完全に勃起を隠していた。
それでもあまりに長時間無駄に勃起をしたせいなのか、その女の子と「では、またね」などと努めてスマートにサヨナラをしたその時も当然のように勃起していたのだが、別れた後急に膀胱っていうか、自分の思う膀胱の位置のちょっと上のあたりが強烈かつデリケートな痛みに襲われてまるでみぞおちでも蹴られたかのような鈍痛に耐えかね、うずくまる格好で暫くうごけないわけである。

「ああこれが生理か・・」など、素敵な勘違いもつかの間よろよろと歩みを進めて身を寄せた農道の脇にうずくまっていると、アグリカルチュアルなOba‐changが「どやんしたとね?」などとカタコトの方言で声をかけてきたので、にこやかに「あー、いやぁ心配せんでください」と言うと「いやさ、ここはコンバインが通るけん、あっちに行って」と非道いことを言われて「すいません、すいません、ちょっとまってください、すいません」と半泣きながら謝りに謝り、10分ぐらいその場に座ってチン静化を待っていると、マジでコンバインが目の前にコンバインしてきてやな、「あぶなかぞ!」とか言うているわけだ。
コンバインは俺をギリギリかわしながら農道をコンバインしていって、避けなきゃマジで轢かれそうになったのだけど、動かざること山のごとし、膀胱痛きこと生理のごとし!とは誰が言ったか、とにかく動けなかったのでしょうがないじゃないスかね。 

というわけで今回のおさらいだが、

『長時間意味も無く勃起しつづけると膀胱の辺りが強烈に痛くなり動けなくなる』

このような現象、恥ずかしながらその後何度か俺の身に起こったのですけど、同じ経験に心当たりのある男子は是非名乗り出てきて欲しい。

アメリカに来てもうすぐ1ヶ月

日ごろの日記からは微塵も感じさせないが、俺は8月からアメリカのミシガン州で暮らしている。ミシガン州と言われてもピンと来ないだろうが、皆さんも中学生のときに地理で習ったはずの五大湖がある、カナダとの境目にある最北の州である。
中心都市・デトロイトを抱え、自動車産業の中心地として名高い工業都市であるが、いかんせん土地が広く日本のそれと比べると全くイメージの異なる自然豊かな田舎町といった風情がある。
また「デトロイト」と言うと治安の事を言われるが治安が悪いのはデトロイト市のダウンタウン(いわゆる中心部)及び、それを囲む近隣エリアと言われている。
犯罪が多いのは徒歩移動か公共交通機関車が機能する範疇で、車移動が必須の距離になると全くの別世界が広がっている。
むしろデトロイトから車で30~40分離れた郊外には全米でも有数の高級住宅地が広がっているなど、日本人のイメージとは若干異なるはずである。
(ちなみにメタルのライブが多いのは皆様のイメージどおりです。)

 

依然としてホテル住まいのため「アメリカ暮らし」という表現が少し微妙だが、先日住む家も決まり9月の後半からようやく長いホテル暮らしから開放されるわけである。
日本を発つ前、5月から続いた引継ぎ出張、研修三昧により俺のホテル暮らしは日米通産4ヶ月。
俺の人生でまさか「日米通産」という言葉が関与するとは思わなかったが、ホテル暮らしとかいうどうでもいい日米通産で悲しいです。

渡米初日から今日までを振り返ると色々あってもう3ヶ月ぐらいいる気になっているが実はまだ1ヶ月にも満たない。色んな人が言うことではあるが、英会話学校では聞き取れていた英語が全く聞き取れず、最初はアメリカ人恐怖症に悩まされ、今も正直あまり必要に迫られなければ積極的に一人で買い物や飲食店に行くことはない俺である。(というかアメリカの街に一人で出歩く用事がマジでないのである)
マクドナルドぐらい誰でも注文できるやろ!」

と言われる事もあるが、そもそも日本ですら行ったことの無かったマクドナルド。油断すると「つ、ツキミ・ブァーガ...、プリーズ。」などといったジャップ・ブァーガを指名して恥をかく危険性もあるので毎回ロボットのように「No.2、プリーズ。」とメニュー表の「チーズバーガー」に与えられた「No.2」を指し事なきを得ている次第。アメリカでのマクドナルド経験値は既に日本での経験値を凌駕しつつある。

なにせ思うのは、渡米前は話せない方を恐れていたが聞き取れない方が不便という事。
人が話しているのをジッと聞き耳を立て、あるときには会話を録音してホテルでその会話内容を分析する。やってる事はほとんどCIAです。
既に日本とアメリカの違いみたいなものも自分なりに強烈に感じているものはあるが
まだ1ヶ月もいない人間が偉そうに述べる事でもないのでもう少し経験値が増えたところで偉そうに語りたいと思っている。とりあえずアメリカに来て3週間のジャンル別の感想を書いてみたいと思う。

 

1.時差ぼけ

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片道12時間のフライトである。
普通の人は12時間のうち時差ぼけも見越して寝るはずなのだが、緊張していたのか全く眠れずついには機内で視聴できるアメリカドラマ「ファーゴ シーズン2」をコンプリートしてしまった。
その後俺を待っていたのはその後数日にも及ぶ強烈な時差ぼけである。昼間強烈な眠気が襲い、夜は1時間ほどうとうとするとすぐに目が覚める。胃腸の不調に悩まされすげえデカい屁が7発連続とめどなくさながら見事なたすきリレーのようであると、そうするといよいよ寝てないテンションも手伝ってか得意の英語で「Yeah!!!!」と叫んだ夜中2時。

 

2.手続き
手続きが色々と大変である。アメリカに来るときにやった手続きも色々と大変だったが、こちらに来て短期間でこなす諸手続きの意味不明なことといったら甚だしく、またその量のおびただしいこと。しかもやる事なすこと全て英語と来るから狼狽するものである。時差ぼけのまま、同僚に連れられ色んな諸手続きに死体の様に無言でついて周り発する言葉といえば「Yes」のみ。
サラリーマン・イン・ジャパンの経験からこわいときはイエスマンでいれば安全と本能的に判断しずっとイエスでここまで来たがなんら問題が起きていないので恐らく正解であった。

ちなみに運転免許だが、日本の免許に対して日本で取得できる「国外運転許可証」があればしばらくは運転が可能であるが、最終的にはアメリカの運転免許を取得する必要がある。自宅住所がないと運転免許は取得できないのだが、家を借りるには日本で言う年金番号の取得が必要という具合で手続きはステップバイステップである。
  
3.移動手段

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ダウンタウンを除くが90%の人が自動車移動である。
街を見渡しても歩いている人が殆どいない。少々乱暴な言い方だが、街中を歩いている人が多いほど治安が悪いと言っても良いかもしれない。電車や路線バスもなくタクシーなども見当たらない。自転車も移動手段ではなく趣味ものである。ウォーキングとしての歩行者しか見当たらない。自家用車なくして生きてはいけない社会である。 
「だからアメリカ人はデブなのか」と思いがちだが、スポーツジムに行くお金と時間の余裕があるアメリカ人はもれなく痩せている。デブは冨の象徴とは言えないかもしれない。

既に通勤に片道30分ほどかけて車で通っているが左ハンドルには面食らったものである。交通ルールも日本と微妙に異なり最初はドキドキしたものであるが、後述するがアメリカ人はみな礼儀正しいというか親切な人が多く運転はおおむね安全であると思われる。(スピードはすごいです)

 

4.食事

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個人差があると思うが日本で散々言われていた「アメリカの飯はマズい、ワンパターン」という言葉は否定しておきたい。移民大国だけあってメキシコ、イタリア、中国、タイ、ベトナム、、色んな食事が楽しめる。和食もなかなかのものである。
ただし飲食店の物価の高さには驚いた。外食すると12~13ドルは覚悟が必要である。チップも含めると15ドルを超えてくる。日本の様に500円で何でも食べられ、高いサービスを求める社会を健全と見るかは複雑な話になるので避けたいが、日本の外食の異様な安さと安さの割りに高いサービスに思いをはせながら、巨大なアメリカン・ファーストフードに食らいつく俺である。

 

5.アメリカ人

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最後にアメリカ人である。
あるガイド本で「アメリカ人はとってもフレンドリー!」と書いてあり「いやいや、俺も結構フレンドリーやがな。」と思ったもんだが、あの本が言っているのはこういうことかとこちらに来て理解した次第である。
すれ違うときは挨拶するか最低でも微笑みかけてくるのに始まり、目が合うと知らない人でもいきなり話しかけてくる事が日常茶飯事である。エレベーターや飛行機の隣の席など、人が横にいたら会話が始まり分かれるまで話し続けるのである。それはいいのだが俺はそこまで英語が堪能ではなく得意の「Yes」かオナラしたときに使う「Yeah!!!!」しか手持ちがないのである。

 

こんな感じでビギナーなりに最初の1ヶ月未満での感想をざっと書いてみたが、またしばらくすると違った感想も出てくるものと思う。何せ思ったより英語で苦労している事が行動の全てを決めている感があり、しばらくした後に家に住み始め、家族も来ると広がりが出てくるだろうと期待している。

今はまだ日本に若干の恋しさもあるのが正直なところ。早くアメリカかぶれして「日本はここが変!」みたいなことを書き始めるウザいブログになりたい...。

今も苦しむ7年前の古傷について

2010年のある日を境に、睡眠不足が続いたり、強いストレスを感じたりすると決まって右足の一部分が小さく腫れ上がるようになってしまった。
その「ある日」と言うのは他でも無い、俺が人生初の野外フェスから帰って来たあの日である。
友達に誘われ人生初の某野外ロックフェスに行ったらば「てめえこのネクラ、こんなところ来やがって場違いなんだよ!」とばかりに案の定悪意あるブヨという虫に噛まれて大変な目に遭った。
すなわち、俺が今でも悩まされる足の腫れとは他でも無いこの7年も前にブヨに刺された痕。 それは死すらも覚悟した壮絶なストーリーの傷痕でもある。

そもそも皆さんはブヨという虫をご存知だろうか。渓流や山間部に住む虫だ。ハエの仲間らしく見た目もハエのような感じだがこれほど恐ろしいとは知らなかった。
虫で一番恐ろしいのは今まで蜂だと思っていたが考えは改めなければならない。ブヨも相当ヤバい。だのになぜこんなにマイナーなんだブヨよ…。俺がお前をシーンにフックアップするよ。

 

というわけでブヨにやられたと思われるのが10月10日。刺された時は気付かず、件の野外ロックフェスから帰宅したその日、足を見て初めて異変に気づいたわけだ。
右足のヒザから太ももの辺りに三箇所、血豆のようなものが三つある。その血豆を中心として周囲半径1.5cmほどが蚊に刺された様に盛り上がっている。
それがブヨの仕業だと気づかぬ俺だったが「おやッ、なんかブヨブヨしてるッ!」なんていうハイレベルな昆虫JOKEを無意識のうちに成立させてしまい、この辺りはもう笑いの神様に見初められた天賦の才能というしかない。それが面白いかどうかは別として…。
ただ、そこから数日。さらに症状が悪化してきた頃、黒ずんでただれたような患部に「さらにブヨブヨしてきた」と改めて自らスペシャルヒントを出していたことを思い出すと、ひょっとしたらこれは過去にブヨに噛まれたことが原因で死んでしまった亡霊からのありがたいメッセージだったのかとも思えた。

このように、ブヨに噛まれるとまず噛まれた場所に出来る血の塊を中心とした赤い腫れが広がる。ここから先は個人差はあれど二週間後には痛みにも近い痒みが患部を襲い、掻かずには居られなくなる。
痒みが更に痒みを呼ぶシステムで、掻けば掻くほど毒が回るかのようにその範囲がどんどん増していく有様。噛まれた三箇所は広がり続け、気づくと三箇所の腫れが完全に合体。噛まれた部分はドス黒くなり、足全体が腫れ上がっていたのをみると流石に恐ろしくなるものである。

最初に異変に気づいてから実に3週間後、ようやく得意のインターネットでこの腫れの原因として「ブヨ」にたどり着いた俺は、続いて「リンパ腺炎」という病名、さらには「死ぬこともある」と出てきたところでようやく病院行きを決意。俺はインターネットしか信じない。

翌日、急いで病院へ行くと医師は「ブヨだね」と一発で原因を言い当てる。「だってブヨブヨしてるもん」が理由だったらどうしようと思ったが特に説明が無い。病院あるあるみたいなもんなのだろうか…などと思いを巡らす俺に対し、先生は患部を触りながら「これはリンパ腺炎の一歩手前だね」と軽くおっしゃるので「ネ、ネットでは『死ぬこともある』と書かれておりましたが・・!」と思わずうれしはずかしネット情報をポロッと口に出してしまいとても後悔したが、医師は「ふっ…」と失笑する以外は完全にシカトだったので俺はむしろこのままリンパなんとかで安らかに死んでもよいと思った。

先生にもらった薬を飲んだその晩、毒素を外に出せい!とばかりに体クンが張り切っちゃったのか、夜中に尿意に叩き起こされる程のものすごい量のションベンが二回。
それがもう「うおおおおとまらねえ!!」って実際に口に出して言ってしまうほどのレベルで、このままションベンしながら夜が明けるんじゃないかと冗談抜きで思ったほどのモンが何と一晩に二回もあって、「人間の体の60%は水分」が本当なら俺は今緩やかに危険エリア突入中やもしれないという不安の中、なぜか無事一通りションベンが終わったあとになぜかウンコもしてしまった。ウンコにしてみれば血気盛んなションベンに刺激されて「俺もいるぜ」といったところか。やかましいわ。

 

こんな形で足に刻まれたブヨの噛み痕。冒頭説明した通り、どういうカラクリなのか今でも時々姿を現わすのである。
俺が言いたいことは野外ロックフェスなど行くものでは無いということです。