野ションをしているおばちゃんに遭遇し怒鳴られた話

一度は「アレは夢だったかもしれない」と思ったこともあるが今でも一部始終をはっきり覚えているのであれは現実だということになるのだろうが、俺は子供の頃に野ション、つまりその辺の野原でションベンをカマすおばちゃんに遭遇して、しかもその真っ最中のおばちゃんに激しく怒鳴られたことがある。一体どういうことか。

この意味不明の出来事が起きたのは小学生の頃、ごくごく普通の住宅街の一角においてである。登場人物はわずか2名、小学生の俺と突然現れた野ション中のおばちゃんである。

前後何をしていたのかもはや覚えていないがいつもの平和な街を小学生らしく目的もなく独り言など呟きながらフラフラとしていた最中、突然、唐突に、そして堂々と、目の前に現れた50がらみのおばちゃんがテロッテロの薄いワンピースを捲り上げて空き地のような所でケツをだしていたのである。
それが野ションであるかどうかはその時は全く分からず、にしてもその異様な光景から何かおかしなことが行われてい事だけは理解したのであるが、後に野ションであろうと推定されたのはそれを親に話したからであり、俺がこのエピソードを親に話したのはその時遭遇したおばちゃんから激しく怒鳴られたからであった。

それにしても怒鳴られたのは衝撃であった。
おばちゃんは俺と目が合うなり、ケツを出したまま「コラーーー!」と叫んでこちらを威嚇し始めたのである。街中でケツを出しておきながら貴様がコラーーーとは大きく出たものであるが、本来ならば野ションをしているおばちゃんこそコラーーーと咎められるべき存在であろうが、小学生にそんな事が出来ようはずもなく、威嚇されるがままに狼狽しその場を去ることしか出来ないピュアな小学生の背中に向かって、何とおばちゃんは更に二言三言、ギョエーだのグワーーだのと言った悪態未満の原始的な罵声を浴びせるワケだからサイテーである。

しかしまあ、結局のところあれが俺の人生で唯一、女性がションベンをしている姿を生で目撃した経験になるのであるが、異性の生理現象をこう表現するのは悪い気はするものの、やはり率直なところではいまだにトラウマとなる極めて不気味な経験であったと思われる。

で、この話を歳上の人に話してみると「昔は結構女の人が野ションをしていたからねぇ」などという、まるで昔はよく野犬がいたみたいなよく分からないトーンの意見も聞かれなどしたが、もしかしたら俺が見たのは日常的に野ションをする女性の最後の世代だったのかもしれない。
まあそんなことはどうでも良いんですけどね、何で俺は道端でションベンしてるヤツから怒られたんでしょうかね。いまだに納得がいかない。

「たたき」「にこみ」等の安直な食べ物のネーミングについて

おにぎり、おやき、おつくりなど、そもそも食べ物ってものは作業内容や外観がそのまま料理名になるケースが多いのは重々承知しているのだが、それでも「たたき」「にこみ」「あぶり」などの、ほとんど動詞そのままの朴訥すぎる料理名を見たときにはRPGにおける「ああああ」ほどではないにしろ、それに近い感情でもって勝手に同情をしてしまう俺である。

一方で、こうした朴訥な料理名には、その朴訥さ故の人に媚びないかっこよさ、または究極のシンプルさが由来の「オーラ」を感じるのも事実なのであり、例えば「コチラ、たまごの"茹で"でございます」などと紹介されてゆでたまごが1つ目の前に置かれれば「おお...なるほど×100」となるであろうし、「コチラ、トマトの"冷やし"でございます」など、厳粛な雰囲気で冷やしトマトが1つ、目の前に置かれれば「おお...これは手の込んだ...」となるはずである。

これらの料理名、元々は作る人間が呼び合っていたスラングだったと思えてならないがどうだろう。ストレートに調理方法を伝えるのに、作業名そのままの方がわかり易いからだ。

そう考えたのは似たようなケースが物作りの現場でも多く見られるからだ。
製造業などはわかり易くその加工内容を伝える必要がある為、朴訥な表現の宝庫である。

「みがき」「にがし」「ぬすみ」

製造業に従事する者であればこういった用語に遭遇するのは日常茶飯事。例えば「みがき」はそのまま研磨をして規定の表面粗さ規格(ピカピカの度合い)にする事であり、「にがし」はそのまま、他の何かと当たらないように削ったりして「逃がす」こと、「ぬすみ」については「にがし」と近い意味合いで用いられることもあるが、軽量化等を目的としてもっと大きく削る、ないしは設計の時点で凹ませておくなどすることである。

 

元々俺は築地市場の中で仕事をしていた経験があるのだが、市場といえば一般人には理解しがたい市場用語が使われるのも有名な話。ああみえて全国共通できちんとした用語が定められている共通言語である。

歴史の古い業界、職業になればなるほどこの手の単純な用語が増えてくるもので、例えば「なやみ」「もがき」などがそう。

「なやみ」は「まったく売れない状態」で、その名のとおり売れずに悩んでいる人間の状態から出来た用語と思われる。
「もがき」は「なやみ」の逆。「売れすぎて需要を供給が満たせない状態」、つまり売れまくってる状態。

もがいている、という言葉のネガティブな印象からすると「売れてるのになぜもがくのか」と違和感を感じるかもしれないが、実際にはあちこちからくれくれと言われているものを大多数の不満を最小限に抑えて振り分けていく作業の方が辛く、卸売り業において欠品するという事にどれだけブチ切れられるかを考えると、「もがき」とした背景も頷ける。
この用語の面白いのはダイレクトに行為ではなく、行為をする主体である人の状態で市況を表現しているところだろう。

市場は専門用語の宝庫ではあるものの、実際には使用するものは限られており、用語の大半は知らないままという事が多い。
また、同じ市場であっても魚市場と青果市場でも用いられる用語は異なり、全てを網羅するのは難しく、その必要も無いと考えられる。
スラングと正式用語の境界線もあいまいで、そもそもローカルルールを入れるとものすごい数になることと、流通の多様化により仲卸だけのビジネスは少なくなり小売店とのやり取りが増えていることなどから市場用語は徐々に形式的なものになっていてように思う。

 

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市場関係にはこの様な市場用語集が渡される。
これがオフィシャルな用語集、市場用語のガイドブックであり、市場のルールや用語、関係する法令関係が全て網羅されている貴重な資料なのである。

最後にこの市場用語の権威たる市場用語集から、最強に安直な専門用語を紹介して終わりとしたい。
それがこちら。

 

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「いろいろ」

 

「いろいろ」だそう。反抗期の中学生が出かけるときに親から何しにいくのか聞かれて答えるアレですね。
して、気になる意味はこうである。

 

"種々の品目、等級のものが一つの容器の中に渾然と区別されない状態で出荷されているものがある。
これらについて、卸売業者は、経済的、時間的観点から区分整理しないで一括上場することがある。
この状態にあるものを俗に「いろいろ」といっている。"

 

なんか「経済的、時間的観点!(キリッ)」とかなんとかごちゃごちゃ言っているが、つまり色々ごちゃごちゃになっていて面倒くさいからそのまま売りたいだけなんじゃないスか…?と邪推したくなるこの感じ。

やんごとなき市場用語集がこう定義しているのだから、全国の大卸、中卸、小売など、流通にかかわる皆様は今後堂々と段ボールに入れた諸々をして「いろいろ」と名づけ、販売して欲しいものである。安直専門用語の世界は奥が深い。

兄に習ったTSUTAYAのレンタル方法

中学一年のころまで重要なことは何でも2つ上の兄から教えてもらっていた。
子供の頃は特に人見知りが激しく、不器用でしかも無愛想だった俺のことを母親も心配したのかも知れず何かと兄についていくよう言われていた気がする。
次男次女とはどこもこうなのか、頼るものがあると甘えるタイプの俺は兄が少年野球を始めれば同じく野球を始め、バスケットを始めたのも兄の影響。音楽や映画、テレビやお笑いなど、思えばあの頃は文化全般で強い影響を受けた様に思う。
かといって押し付けられて居た感じてもなく一人で何も出来ない俺には兄からの情報が必要であり、導いてもらえる存在として完全に頼り切っていたのが事実。あの当時受けた影響は計り知れない。

中学の頃だったか、そんな兄にTSUTAYAへ初めて連れて行ってもらったときのこと。
地元に出来たばかりのHOTなスポット、それがTSUTAYA。早々とTSUTAYAデビューを飾っていた兄が得意げに俺を案内する。

「観るなら洋画がカッコいい」「だが、ハリウッドは観るな」

こうしてまた弟は兄の知識で大人の階段を二段飛ばしで登るのである。
TSUTAYAで一通りレクチャーをした兄が最後に「借り方を教えてやる」と、俺を映画のコーナーへ案内する。
「じゃあコレをためしに…」と俺の知らない外国の映画のVHSを手に取り俺にこう教えた。

「まず、ほしい映画を見つけたらこの外側のケースごとレジへ持っていけ」
「するとレジで『このケースはお持ち帰りできませんのでこちらでお戻しておきますね』と店員さんにいわれるから」
「『はい、良いです』と言うんだ」
「そしたら会員カード出して金を払え…」

 

《レジへもっていく…ケースについて聞かれる…戻して良いという…カード出して金…なるほどお》

 

ケースを渡したり戻したり、なにやら複雑なシステムだ。ともかく忠実な弟は忘れまいと兄の教えを頭の中に強く叩き込む。
だけども、頭の中にあまりに強く叩き込みすぎたせいで大学3年のとき大学の友達から「お前なんでその外側のケースまでレジに持って行くんだよ(笑)」と大爆笑されるまでずっとTSUTAYAのレジでそのルーティンを繰り返していたのである。

皆さんご存知の通り、CDにしろDVDにしろ、あの当時のVHSにしても、外側のケースはそのまま置いて中だけを持っていくのが当たり前。
ちょっとまわりを見渡せば「ケースは持っていかない」ことぐらいすぐに分かるはずだが、これぞ宗教・兄のマインドコントロール。ていうか店員も教えて欲しかったのだが俺に「ケースさん」とかいうあだ名をつけて楽しんでいたのかもしれない。

そしてそれが発覚した衝撃のあの日、離れて暮らす兄が同じようにケースをレジに持って行っては「ケース戻しますね」「おう」みたいなやりとりを何度となく繰り返していたのだと思ったときは笑いが止まらなかったものである。

ていうかだな、うちの兄はまだ気づかずにやっている可能性もあるし、お次は自分の息子に「ケースごとレジに持っていけば…」などと教え出したらアレなので今日は悲しみの連鎖を断ち切るために言わせてもらう。コラコラお兄ちゃん、外側のケースは借りられませんよ…(笑)

街の電気店でケーブルを一本だけ買った時のこと

愛知県の片田舎に暮らす俺がリビングの模様替えをしていた時のことである。
色々試した結果最終的にレイアウトはバシッと決まったものの、それにはテレビアンテナケーブルの長さが足りない事が判明し、夕方になり近所の量販店に買いにいく事になった。
我が家に必要な長さは4m。だがあいにくお店にはどこをどう探しても3mまでしかなくガッカリして帰宅。他の量販店に行っても良いが少し距離がある上、ほぼ毎日渋滞する大通りを通らねばならない。日も落ち始めると弱気になるのは人の常であるが、ケーブル一本買うのに見合わない労力のように感じられた。
それに先ほど行った電気量販店はそこそこ大きな全国チェーンである。次の電気量販店に行って置いてある保証も無い。
たまたま品揃えが悪いのか、4mというオーダーが悪かったのかは分からないが少なくともアマゾンを調べると4m以上のアンテナケーブルは「在庫あり」となっており、こうして実店舗は全員アマゾンに負けるのだ!と悪態をつきながら、今日頼めば明日には来るしなと考え帰宅している途中、目の前に小さな街の電気店が現れた。

「まあ、無いだろうけど」と、全く期待せずにその家族経営の街の電気店へ入る。
寒い中わざわざ外へ出る決意と準備をしてせっかく買いに行ったのに、お店を1つしか回らなかったというのも何かシャクな気持ちもするし誰に向けたアピールでも無いが、アマゾンで買うのは2軒回った結果としたい、と思ったわけである。
案の定ケーブルのコーナーと思しきところを詳しく見るまでも無く、遠目から「無いな」というのが分かった。アンテナケーブルはおろか、ケーブルの類がほとんど陳列されていないからである。そこにピンポイントで4mのアンテナケーブルがある確率は極めて少なかろう。
しかし入店後「いらっしゃいませ」など夫婦、そしてその親と思しきおばあさんから気さくに声をかけて貰ったものだから、一応彼らの商人としてのプライドのためにも最低限客のテイをなす為に、客として有り体のムーブを果たすべくケーブルコーナーへ足を運び「うーん、ないなあ!(チラッチラッ」などとわざとらしく客然とした声を出してゴキブリの様にその場を去ろうとした時、「何かお探しですか」との声掛けされる。いささか決まり悪く立ち止まらざるを得ない。
「こんな用事ですいません」という雰囲気をかもし出しつつも、来店した目的であるケーブルと、その背景などを説明すると「それなら作りましょうか」という意外な返答。

40代後半と思しき店主は奥から巨大なケーブルの塊を持ち出すと、「量販店は決まったモンしか置けないからねえ」などと言いながら見事な手際でアンテナケーブルを製作する。「4.2mぐらいにサービスしときますよ」という嬉しい心遣いも入りつつ、チョキンチョキンとやって先端に端子を付けて瞬く間に完成。で、できた・・・
豪快にそのまま手渡しされた出来立てほやほやのケーブルの束。取り寄せようとしていたものが目の前であっさり出来たことに、俺は妙な感動を覚えた。

そして「で、でも、こういうお店ってやたらお高いんでしょう・・・?(チラッチラッ」と『量販店は正義!』の思想に毒された悲劇の消費者をあざ笑うかのように、電卓に提示された価格は頼もうと思っていたアマゾンの半分以下。
日本にはアマゾンは無いが、愛知県には矢作川がある!と心の中で10回ほど叫んだ次第であるが、本日中のケーブル入手を半ば諦めていた事を思うと一連の流れは感動に値するもので、「ありがてえ!ありがてえ!」と何度も深々と御礼をする俺に不思議そうな顔をしながらもさらに施しのサービスキャンディをくれた一家には感謝しかない。

たかがケーブル一本で感動、感謝など大げさな話だが、勿論、街の電気店と量販店、その果たす役割が少し違う事は分かっており、街の電気店安い!すごい!最高!と手放しで褒めたい訳ではない。
こんなに些細で、簡単な事ではあるが、手に職を持ったプロの仕事を久しぶりに体感して「昔は何でもこうだった」事を思い出した訳である。
そういえば中学生のときまで、近所にあった清水電気という街の電気店が実家の家電の面倒を見てくれていて、そこのおじちゃんが据付や修理、ちょっとした配線工事などを、謎の工具やパーツで手際よくやって行くのを見てカッコいいと感じていたものだ。
とうとう俺が「将来、清水電気で働きたい」と言いだした事も数%ほど関係しているかもしれないが、両親がいつしか「安いから」と新しく出来た電気量販店に乗り換えた結果、清水電気のおじちゃんが家にやってくることは無くなったのである。
仕事ぶりもそうだが、作業しながら放たれる軽快なトーク、夕食の時間に現れてたまにうちの飯を食っていくコミュニケーション能力の高さ。俺が憧れる仕事人像は潜在的にあの人なのかもしれない。

今回のケーブル一本みたいな仕事は電気店にとってはちょっとしたサービス程度のことだと思うけれども、いつの間にか量販店でしかモノが買えない体になっていたからこそ、今回のことがここまで楽しい経験になったのかもしれない。

後日談ではあるがその後自宅の洗濯機が壊れた折、真っ先に思い出したのはあの電気店。大手量販店、ネット通販にも負けず街の電気店が残り続ける意味を俺なりに、身をもって理解した気がする。

専門店でモノやサービスを買う経験、こうも楽しいものか。電気店に限らずもっと利用してみたいと思ったものである。

3日間寝てない人たちと会った時のこと

前職での話である。
昼の1時にフラリと立ち寄ったのはとある町工場。社員数は50人に満たない、中小のオーナー会社だ。この日は事前に約束などしておらず、ちょっと近くに来ていたので顔みせという感じ。

こんにちは、と事務所に入ると事務の女性が1人居るだけで社長とその息子である専務、及びいつもなら誰かしら居るはずの技術スタッフが1人も居ない。
女性に聞くと「納期ギリギリの仕事の対応で現場に総出」らしい。タイミングの悪いときに来てしまった。

残念、「またきます」と事務所を出て駐車場に停めた営業車に戻ったとき、後方からヒステリックな叫び声が聞こえてきて振り返る。

「ごーーい、ごごごーい!」

声の主は会えないかと思ってい専務であった。彼は30代前半ながらなかなかのしっかり者。この会社の跡取りである。彼が次に控えているならこの会社は安泰!よし帰ろう!と、する俺を遠くから専務はおいでおいでと手招きする。なんだなんだ。

なにかタンの詰まったようなガラガラ声で「ごいごい」怒鳴っているが、どうやら俺を呼んでいるようだ。
いつも穏やかな専務がいつもと違う声で「なあんだ、ぎでだの!!」と怒鳴るように言うものだから何か異様なものを感じた俺は「すいません、お忙しそうだったもので今日は帰ろうかと・・・」と脱出を選択。
しかしそんな俺の言葉にかぶせるようなタイミングで、さらに専務が上ずった声で「いやさ!3日寝でないんですよお!」と目を血走らせて言った。

専務によるシャウトの連続に驚く間もなく、奥から彼の父親である社長がスッと現れ「3日寝てないんだよ、俺たち」と妙な笑顔でそう語りかけて来きたかと思うと、別の方向から「そうです、3日間…」ともう1人。なんだなんだこのミュージカル仕立ての寝てない自慢は…!

気づくと俺は3日寝てないゾンビに囲まれていた。軽く引きつる俺に対し、ニヤニヤとした3人に。妙にピースフルなこのムードはもしやトルエンなどをやってしまっているのだろうか。
「なに~かえんのぉ?せっがぐだから寄っていげばいいじゃないでずがあ!」と相変わらずの上ずった調子で専務に肩を叩かれ、社員休憩所の一角で3日寝てない人達と話すことになった。

「ミカンしか食(ぐ)ってないんですよ・・・」

席に着くなり第一声は一転、元気の無い一言。事情を聞くと先ほどの女性が言うように、納期が厳しい仕事に苦しみ特にこの3日間は工場に缶詰。壮絶な日々だったようだ。だがそれも午前中にヤマを越えたらしく、安堵の言葉が各人から出てくる。

ただし、油断すると「いやー!マジでまいっダまいっダ!」と突然ネジがぶっ壊れたように叫び出す専務他、専務が何か言うたびに「ニコ~」とする社長、何も言ってないのに度々「ん?」と俺に聞き返してくるコノミさんという外注の業者さん。彼らの状態を見る限り激務の爪あとは生々しい。
初対面のコノミさんはともかく、社長と専務はやはり3日間寝てないせいかその異様さが際立っている。普段と全く違う。普段はもっと落ち着いた人だ。

専務は30代前半、社長はおそらく50代後半ぐらいだろう。年齢に関係なく3日眠らないなんてことが本当に可能なのかと全く信じられず色々聞いてみた。

「それが、全然、辛ぐながっタんですよ」

これが日本のモノづくりの凄さなのだろうか、この3日間ただひたすらお客のことを、納期のことだけを考えていたので全く辛くなかったのだという。すごい。

あーでもないこーでもないとやっていたら朝が来て、気づいたらまた夜が来ていた。そんな3日間だったのだそうだ。
飯を食ったら眠くなるということで食べ物はひたすらミカン。気づいたら立ったまま一瞬だけ寝ていることもあったが基本的に3人にともまともに寝ていないというからすさまじい。

ただそんな3日間で最初に外注のコノミさんに異変が起きたという。2日目の昼ごろから段々会話が成り立たなくなると質問に質問で返すようになったり、コチラが喋りだすと同時に喋り出したりして終いには社長と専務は「彼を諦めた」そうだ。お前らは簡単に人を諦めるなよ。
そして諦めた3日目の朝、とうとうコノミさんは何か音がすると「ん?」と聞き返す仕様になりそこに立っていたという。コノミさん、早く病院へ行って欲しい。

 

3日間寝てない人達との会話は異様なもので、俺が話している間ずっと俺の目を凝視。しかも常になぜか半笑い。目が楽しそうに泳いおり、平たく言うとラリってる。
俺の話を聞いてるのか聞いてないのか分からないラリった目でもって、俺の話の割とどうでもいい部分にいちいち「ほうほう!おんおん!それでそれで?!」と続きを急かしたかと思うと突然「へえーーーー!!!」って、オーバーアクションしたり、3人同時に喋り出そうとして「あ、ゴメン、先いいよ」「いや、先言っていいよ」「いや、社長先どうぞ」みたいな譲り合いを始めたり・・・・それをもう、「キャッキャ」みたいにものっすごく無邪気に楽しそうな感じでやりやがるワケ。

《イチャつくんじゃえぞお前ら・・・・・!》

最後はコノミさんがだーれも何も言ってないのに「ん?」って言い出す霊感モードに突入して本当に恐ろしかったし、俺も色々諦めた。


そんな具合で30分ほど話した後、社長が「作ったやつ、未完成だけど外側だけ見てく?」とこの3日間の不眠の原因となったご自慢の設備を見せてくれることになった。
曰く「製作期間2ヶ月」、この会社の幹部に3日間の不眠を強いた(特に外注のコノミさんを廃人にした)という曰くつきのとんでもない設備が、そんな設備がだよ・・・・・「あれだよ」と見せてもらったら、ものすっっっごく、小さい「小箱」で噴き出しそうになった。