アメリカでやってはならないジェスチャー

今年の夏、海外赴任が決まって早々に本部で定期的に開催されている海外赴任前セミナーへの参加を指示された。グループ会社を含む全国各地の拠点から、行き先は違えど同じようなタイミングで海外赴任を予定する人々がセミナールームに集められ1週間の講習を受けるのである。

平たく言えば海外生活での留意点の説明。海外と日本の違いをいろんな面から説明し、ケーススタディやグループディスカッションなどを通じてこれから異文化へ飛び込むための心構えをしてもらう、そういう内容であった。

盛りだくさんの内容で既に記憶の中から消えつつあるものもあるが、今でも忘れられないのが「アメリカでやってはならないジェスチャー」に関するちょっとした小話。講習の合間に挟まれたちょっとした息抜きのような意味合いも強かったように思う。中指を立てることの重大性などはもはやいわれるまでもないが、そうした基本的なものからなかなか知りうることのできないマニアックなものまで、単純な雑学としても興味深いものであった。

中でも記憶に残っているのが「両手を使い、自分の胸の前で丸を作るジェスチャー」について。きちんと伝えられている自信がないので珍しく絵で描かせてもらうがつまりこういう状態である。

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このジェスチャーが意味するのはこの時初めて知ったが「オシリの大きな女性」らしい。更に「これが使われるときのニュアンスをもっとリアルに表現すると『ケツデカ女』です。」という女性講師からの丁寧な補足説明もあったものの、会場にいた参加者はそれを笑っていいのかどうか判断が瞬時には付かずとりあえず皆一斉にノートに目を落とし「ケツ、デ、カ」とお茶を濁すようにメモをとり始めていた。

いずれにしても人種差別と並んで性差別に対する厳しい対応が当たり前になりつつある昨今、かなりタブーに近いジェスチャーであるという話。このジェスチャーの話、雑学的な話がメインであったこともあり大変面白くあっという間に終了。手の動き、表情ひとつで与えるメッセージは大きく変わる、異文化コミュニケーションの難しさを改めて認識させられた次第であった。

そしてこの後に続いたのがアメリカ人女性講師によってオール・イングリッシュで行われた「ダイバーシティ・マネジメント講習」というタイトルを聞いただけで両手の中指をピンピンに立ててしまいそうなやんごとないお話。ダイバーシティ、すなわち多様性の中でビジネスを行う我々がそれらとどう向き合うか考えましょうね、という内容なのであるがまあその内容は一旦置かせてもらって俺が気になったのはその講義中に発生したある現象なのである。

それは話も中盤に差し掛かってきたころ、話題が「多様性」という大きな枠組みの中にあって我々がこれからすぐに向き合わざるを得ないであろう「異文化」というものについて話題が移りかけたときである。

その女性講師の口から「ワールドワイド」という単語が出たとき、それまでと同じように言葉の聞き取りに難のある参加者にも極力伝わるようにという彼女の心遣いからそこには「ワールドワイド」を表すジェスチャーが添えられたのだが、それがなんと先ほどの

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これだったのである。ワールドワイド。世界を、地球を表現する両腕。しかしボクたちはケツのデカい女性を表すジェスチャーだと先ほど習ったばかりである。

≪ケ、、?ケツ??≫

前後左右から戸惑いが感じられた。会場のみんなは先ほど習ったばかりのこのジェスチャーを忘れてはおらず、俺も念のため復習のためにと念のため先ほどとったノートを見直したそこにはやはり「ケツデカ」と書いてあった。ふー、やっぱメモっとくもんやでえ、つーわけで、地獄の沙汰もメモ次第なのであるが

「先生、それは先ほど≪ケツデカ女≫と習いました。それは人種差別と並んで性差別に対する厳しい対応が当たり前になりつつある昨今、かなりタブーに近いジェスチャーです!」

などと習いたてアツアツの台詞そのままをアメリカ人講師に伝えられる英語力も無く、伏し目がちのままその後も何度かケツがデカい女を示すジェスチャーの添えられた異文化交流の話を聞きつつ「異文化交流...難しいッ!」という雑な感想だけが残りそのセミナーをあとにした俺である。 

発車前の駆け込み乗車はやめよう

東京の電車は「降りる人が先、乗るのはそれから」が割りと徹底されており、一通り居りきるまで我々は入り口のドア付近で並んで待っているのが常である。
「ああ、もう降り切ったな」と思って乗ろうとすると奥からゴソゴソ降りてきて、乗ろうとする我々を押し返す人がいる。
失礼は承知だが、俺は密かに彼らを「残尿」と呼んでいる。

ここから少し汚い話をさせてもらうが、今度はその逆の話である。
ウンコをひとしきり出し終わり、さて、とケツを拭いているときに軽く刺激でもされたのか「俺も俺も」と後から出てこようとするウンコが皆さんの周りにはいないだろうか。本当に迷惑ですよね。
そんな時に俺は心の中で業務的な調子をキープしつつも隠し切れない苛立ちを半ば警告の意味をこめてあえてそうするかのように発するあのアナウンス、

《発車前の駆け込み乗車は危険ですからおやめください...》

あの駅員のアナウンスが頭の中に浮かんできてしまう。
失礼は承知だが、俺は密かにあのウンコを「駆け込み客」と呼んでいる。

この両者が入れ替わった世界のことを考えるととても楽しい。

衝撃!ベンジョンソン・ドーピング事件

ベン・ジョンソンが100mの世界新記録、しかも夢の9秒7台をソウルオリンピック決勝という大舞台で叩き出して金メダルを獲得したときの我が国の騒ぎっぷりはすごかった。9秒79という記録がどういうものかもわからぬまま、当時6歳、子供ながらにその騒ぎに乗せられて「ベン・ジョンソンすごい!」と興奮していたのを覚えている。なぜこうもベン・ジョンソンは俺たちの心の中で輝き続けるのだろう。

今思えば「ベン・ジョンソン」という名前の響きも魅力であったように思う。ファーストネームも何もよく分からず大半のキッズは「ベンジョンソン」という文字列それ一つが彼の名前と理解し「ベンジョンソン、ベンジョンソン」と、ベンジョという親しみやすい響きそのままに繋げて呼んでいた記憶がある。(俺は今でもその感覚だ)

思い出すのは同じソウルオリンピックではアメリカの女性陸上選手、ジョイナーも金メダルを取っており、瞬間的に当時同じクラスにいた足の速い男子には「ベンジョンソン」、足の速い女子にはジョイナーと安直なニックネームが付けられていた様に思う。あの当時、ベンジョンソンときたらちょっとしたムーブメントだったのだ。

しかしながらそうしたベンジョンソンブームも残念ながら一瞬で終了。あの急激なブームの幕引きも印象的だった。「ドーピング」という子供には理解しがたい意味不明な現象により、ベンジョンソンから突然の金メダル剥奪、9秒79の夢の大記録自体も幻となり、ベンジョンソンは陸上競技から永久追放されてしまった。おいおいなんだなんだと戸惑うばかり。ドーピングが何か分からぬまま、さっきまで盛り上がっていた祭りが急に中止となり、「終わり終わりィ!」と急に片付け始められたようなあの感じは今でも忘れられない。

「ドーピングってなんだ」

この質問に対する親の説明がザックリ「リポビタンDの様なものをレース前に飲んだ」という類のものだったため(或いはそうとしか理解出来なかったため)、「それの何がいけないのか」「うちの親もドーピングをしている」というミスアンダースタンドに繋がったものと考えているのだがとにかくあの時の喪失感というか、「えっ」という狐につままれたような感じは今でも忘れられず、ベンジョンソンのことを想いながら悶々と過ごしたキッズは多かったはずである。

彼が「ルール違反をした」というその内容がだな、例えば「卑劣!ベンジョンソン、審判の目を盗みちょっと早めにスタートしていた!」とか「極悪!!ベンジョンソン、隣の人にひじうちをカマしてました!」などの子供にも分かりやすいものであれば俺たちも「なにい!それはいかん!ベン、追放!」となったのであろうが、「悲報!ベンジョンソン、筋肉増強剤を使用!なお、どうやらそれはリポビタンDのようなものらしい。」と言ういまいちピンと来ない理由ではボクたち田舎のバカの子らには「ハテ・・・?リポDぐらいでお気の毒に。」となるわけであり、あの熱狂に踊らされた確かな事実を消化しきれなかった訳である。

記録のすごさとベンジョンソンというベンジョのような名前。増強された筋肉による強烈な外見と圧倒的なスピード。もちろん、彼の後にもスター性のあるランナーは確かにいた。誰もがルールにのっとった正しいやり方でベンジョンソンの記録に肉薄し、ある者はあの幻の記録にたどり着き、そして追い抜いてきたのだが、残念ながらあの時のベンジョンソンの衝撃には到底かなわないように思う。

それどころか、逆にあの当時ベンジョンソンであれだけ盛り上がっていたところに、突然ドーピングとかいうビタミン飲料風情に水をさされてスッカリ白けてしまった反動からか、その後100m走で色んな大記録が出るたびに「おいおいおい~、飲んでんちゃうのォ?ドのつくアレェを?アレをサア!オォ?」というドーピング疑いおじさんになってしまい、素直な心で陸上競技を見られない悲しいカラダになっちゃったのである。

このロスト・ベンジョンソン体験は完全に俺だけのものなのか、もしくはあの当時キッズだったみんななら同じように感じ、育ってきた悲しいトラウマなのか、もし同じ想いを抱いていた人がいれば、ベンジョンソン事件の悲しみを分かち合いたいものである。

海を渡った瞳リョウ

大学生のとき1年間だけ寮生活していたのだが、そこへスリランカから日本へ短期留学でやってきた若者を2、3日受け入れたことがあった。全員男で年齢は20前後だっただろうか。何かの用事で来日した彼らに寮の空いた部屋を貸してあげるという、まあその程度の事だったと思う。

一応寮の食堂を使っての交流会などして、では本日も世界は平和でしたねNo Warですねシャンシャン、おやすみなさい、と各自部屋に散って、、、行くはずもなく、どうやって始まったか覚えていないがその後同じ若者同士、ひとつの部屋に集って夜のお楽しみとばかりに年頃の男同士のアン・オフィシャルな話をする事になったわけである。

彼らが一体何者なのかはただ宿を貸しただけの我々もよく分かっていなかったが後に聞くと彼らはスリランカでも有数の大学や大学院に通う優秀な学生らしくそこそこの日本語が出来た為、会話は問題なく成立していたのを記憶している。

最初はお互いの文化の違いについて当たり障りのない程度で意見を交わすが、そんな堅苦しいやり取りも、若者らしい下らない話になればイヤでも盛り上がる。学校の話、スポーツや音楽など文化の話、そしてやはり「下ネタ」の安定性は万国共通だ。

好きな女の話から男女交際のアレコレに話が及ぶとそれまではどこか他人行儀な部分があった両者は完全にくだけた雰囲気に。話は大いに盛り上がり異文化交流の楽しさを初めて実感した次第。

ただし、そんなくだけた雰囲気の中でも一度だけピリっとした瞬間があったのが忘れられない。それは、彼らの中の一人が腰に巻いていた布(名前を失念したが)が欲しい、何かと交換してくれと我々寮生のうち一人がしつこく言ったときのこと。どうしてもダメかと食い下がるとスリランカ人の彼は言った。

「これは命の次に大事なもの。他の人に渡せるものではない。」

言葉の問題で若干ストレートになってしまったかもしれないし、また言いたいことの半分も伝え切れなかったかもしれないが、おそらく民族の誇りとかそういう事も伝えたかったのかもしれない。一応笑顔交じりに言っていたが、表情からはそういう厳しいものが感じ取れた。幸いそれ以上の話にはならなかったが、やはりこういう話題には繊細になるべきだと思い知った我々。

その後何事もなかったように続く会話が本格的に下ネタに支配されたとき、ついに「オウ、こいつらに日本のエロ本見せたるか」というジャパニーズ・スケベ・セッタイのファンファーレが鳴り響いたのであった。

聞けば、スリランカではエロ本を売る事は禁止されているらしく、勿論実際には買う人は多く、然るべきルートでコッソリ買えるらしいのだが、彼らに関して言えば「ほとんど見たことがない」と恥ずかしそうに言う。

「おうおうおうおう、そいつァ見せ甲斐があるってもんやデェ!」

そう意気込んで我々寮生のうちの一人が持って来たのは忘れもしない「ちんカメ」という、いわゆる「オシャレエロ」のハシリとも言えるヌード写真集である。

被写体はAV女優多かったがファッショナブルでポップ方向に寄った見せ方が新しく、なんといいますか、まあ、画期的な一作ですね...。説明がクドいとキショクワルいのでこの辺でやめておくが、とにかく俺は≪ちょっとコレは早すぎるかしら・・・≫と思いつつも、それを「これが侍JAPAN、日本代表や!」とばかりに彼らの前に叩きつけたのであった。

スッと手を伸ばすスリランカのフレンズ。しばらく「ちんカメ」を取り囲み食い入るように眺めている。しばらくすると、オイと呼んでもアッチの世界に行ったように反応は悪くなり、ニヤけ顔のままでこちらの呼びかけを無視するのである。

正直予想はしていたが、しばらくしたのちスリランカ人の一人が神妙な面持ちで「これをくれ」などと言い出す。こ、、言葉の問題で若干ストレートになってしまったかもしれないし、また言いたいことの半分も言ってないのかもしれないが...ちょっと唐突すぎやしませんか!

「ち、ちんカメだって命の次に大事なもの。他の人に渡せるものではない...!」

当然これを拒否することになったのだが、いやあもうその時の欲しがり方のハンパなさときたら、あまりにしつこいので俺も厳粛な表情でもって「日本人とオナニー文化」などをきちんと伝えようと試みた次第だが、めちゃくちゃ説得力がなさ過ぎるし、なかなかどうして先方もよっぽど欲しかったのか渋れば渋るほどに彼らのしつこさは増す一方。ついに感極まったスリランカ人の一人が「仕方ないか...」の表情でこう言った。

「先ほど欲しがっていたこの腰布をあげよう。」

命の次に大事なモンくれるんかい!!!という感じでかなり狼狽したが、流石に命の次に大事なものをこんなブックオフで買った500円のエロ本と交換で貰うのは憚られたので「ちんカメ」はもう海外に娘を嫁に出す親の気持ちでタダで譲ってあげた次第である。

海を渡った「ちんカメ」には、かつての名女優「瞳リョウ」や「桜井風花」が載っていた。彼女たちは今もスリランカのどこかで活躍しているのだろうか。

ままごとにおける「バブちゃん」という存在

子供の頃、家族ごっこともいうべきか、自然発生的に始まるいわゆる「ままごと」のような遊び、大体の人が経験したことはあるだろう。
夫婦だけの場合、またはそこに子供が数人いる家族の場合など、設定はそのときの人数によって様々。
集まって与えられた家族の役割を思い思いに演じるという以外特に明確なルールもなく、じわ~っと始まったかと思うとなし崩し的に終了する、そういうなんとなく不安定な遊びだった。

やっていたのは幼稚園の頃までだっただろうと思うが、忘れもしないのが「バブちゃん」というキャストの存在だ。ローカルルールがあり呼び名は違うかもしれないが、バブちゃんとはつまり赤ちゃんのこと。お父さん、お母さん役に大切に育てられ、ワガママも許される「バブちゃん」は、この遊びにおいて非常に人気が高かったように記憶している。

バブちゃんになると、「バブバブ」だけを言っておればよいため非常に楽であったし、「バブバブ」などとわめきながら、お母さんが作っているエア料理への破壊行為に及んだとしても「バブちゃん、だめよ~」だけで済ませられる。
また「バブバブ」と言いながらどこかへ雲隠れなどしようものなら「バブちゃーん」と皆総出で探しに来てくれるなど、この遊びを最も楽しめる利権の宝庫だったのである。

すると当然、このバブちゃん利権に群がる輩は多くなり、元々なんとなく自然な流れで各々の役回りを決めていたハズのこの遊びにおいて、徐々に「わたしバブちゃんやる」「ぼくもバブちゃん!」などとバブちゃんへ立候補をするものが重なるケースが増え始め、様々な対策が採られるようになっていった。

まず一つ目が「バブちゃん任期制」である。
つまりこれはバブちゃんの長期政権化による汚職と腐敗と言ったもろもろの問題を解決するとともに、それ以外の役割固定によるマンネリの脱却も目指していた。
これによりさっきまで「コラ!バブちゃんダメよ〜」など威厳を保っていたお父さんが突然「バブー」と言い出す滑稽さもあり、子供ながらに気恥ずかしさがあったように記憶している。

続いてもう一つ、これは究極の対策だったのだが、「誰でもバブちゃんになれる制度」の登場である。
長らくお父さん、お母さん、お兄ちゃん(お姉ちゃん)、バブちゃん、それぞれは「各一名」という不文律が守られてきたのだが、こうした伝統的な家族のあり方はとうとう終焉を向かえ、時代は非常にフレキシブルな一国ニバブ制度へ突入。遅すぎた雪解け、待望の自由主義到来であった。

しかしこの行き過ぎた自由化の弊害は大きく、各々の要求をすべてかなえていった結果「一家全員バブちゃん」という事態も多発。
全員で「バブバブ」言ってどこかへ消えていくだけという文明の大きな退化が見られるようになると、ついにバブちゃん自身が他のバブちゃんに「だめよ」などと言語を操るようになり、老老介護ならぬ幼幼保育がスタートするに至った。

このいびつな社会構造に対し、色んな辻褄を合わせようとした結果なのか、ついに「お母さんバブちゃん」というハイブリッドキャラが登場するようになったとき「そもそもバブちゃんとは何か」というテーマが各人の頭をもたげたようで、≪こういうのはやめよう≫という具合に自然と元のあるべき家族構成に戻ったのであった。


まだ小さかった頃の話である。