ひとは皆平等にポイントを持つ

たぶんせいぜい小学2、3年生ごろまでだろうけど、一人の人間に与えられたポイントのトータルは平等で、それが特定の場所に高く割り振られるとその分何かが著しく低くなると信じられていたような感じがする。

例えばどういうことかというと、顔の良い子は絶対に性格が悪いとか、頭の良い子はそれとは引き換えにガリ勉し過ぎて運動が出来ないという決めつけであり、もちろん中には運動も勉強もルックスも性格も抜群の子はいたがそういう子は無理やり「じゃあ性格が悪い」と決めつけられると言った具合である。

大した産業もない地方の小都市の平凡な地域の学校であったから確かに全てにおいて秀でた子が殆ど存在しなかったのは事実で、実際にあの街の子供達に割り振られた能力ポイントはほぼ横並びだったかもしれない。

そのはずであるというよりそうであって欲しい、そうでないと困る、バランスが取れないというクローズドな集団の中に生じる何らかの作用なのかもしれない。

思えばこの能力平等制度、能力社会主義は素晴らしいシステムであったかもしれない。例えなんの取り柄もない僕たちブサイクであろうととりあえずは余りに余ったポイントの行き場として漏れなく「性格が良い」とされるのである。

「でも、○○ちゃんは性格がいいもんね」

そこに省略されているのは「めちゃくちゃブサイクだけど」だったかと思うが、人はみな平等、与えられた能力は一定と信じて疑わなかった俺たちはこうして一応みな同じように横一線、どこかいい所があってイーブンであるという前提のもとに過ごしていた気がする。

しかしよく考えてみると、その程度こそ幾分か変われど、こうした「割り振られたポイントは一定」という考え方、もっと大きくなっても頭の片隅に残り続けたように気がしないでもない。

世間のことを何も知らなかった俺はというと、全く疑うことなく東大生は青春時代の大半を勉強に捧げ、楽しみを全て放り出して勉強ばかりしすぎたかわいそうな連中だと思っていた。彼らはポイントの大半を学力に使ってしまったのだから仕方ないのだ。大企業に勤める会社員は給料は良いがその分地獄のようなノルマに苦しめられ連日終電で帰る悲惨な生活をしているはずだと思うのも、やはり彼らが限られたポイントをお金に使ってしまった顛末だと。

世間知らずだった俺は18歳で上京してようやくそのことを知ってしまったのだが、なんと人が与えられたポイントには実はかなり差があるのである。例えば、頭がよくて金持ちでスポーツも出来て、よせば良いのにイラストも描けるヤツがいたとしましょう。イラストぐらい勘弁してやれやと思うのだが、この人はイラストも描けるんですね。オマケにいうとチンコもまあまあデカいときました。

すると俺は言うのである。

「ど、どうせ性格がすこぶる悪いんでしょうもんが!」

例えソイツの性格がめちゃくちゃ悪かったとしましょう、そこまで揃った人がどんだけ性格悪くてもお前の手持ちポイントより下回ることあるのかと胸に手を当てて考えてみよう。心のスカウターは破裂し生命維持装置への頭金100万円の36年ローン確定である。ボクちゃんたちの最後の砦である「性格がよい」「責任感がある」「やさしい」などと言ったささやかな内申点ではもはや覆せないほどの圧倒的なポイント差が、人と人には存在することを大人になると嫌というほど思い知らされるのである。

 

これは地元の友達の妹で俺も仲の良かったヒトミちゃん(仮名)が某航空会社のパイロットの婚約者を連れて正月に帰省してくると聞いたときに、同じく帰省していた俺が地元の友達と一緒に会いにいった時の話である。

このヒトミちゃん、友達の妹ながらなかなかの美人で、そのルックスを生かしたというと失礼だが子供のころからの夢であるCAを経て見事パイロットを射止めたというある種のサクセスを引っさげての凱旋帰郷というわけである。

して、会わせていただいたそのパイロットの彼氏であるが、ファブリーズもびっくりの爽やかなイケメンで身長は180cm近くあり、目が会ったとたんに緊張してしまい聞いた瞬間に忘れたが何か知らんけど玉を使うスポーツがめちゃくちゃ上手いらしく、とにかく何から何まで完璧なすごい男であることだけは俺の7MB容量のUSBに入ったエクセルデータで辛うじて記録している次第である。

「ど、どうせ性格がすこぶる悪いんでしょうもんが!」

いつものようにそんな事も考えてしまったが、「ちょっとコイツ、ゲームでコマしたろう」などと考えてこちらが得意なサッカゲーム「ウイニングイレブン」を無理やりやらせた挙句、案の定ボコボコにやられた俺より性格の悪いヤツがいるのだろうか。

「で、でも俺のほうが面白いもんッ...!」

最後は気力である。俺のほうがきっと面白い。俺のほうがユーモアがある。俺は沢山ブログを書いているんだぞ。その微かな、さして人生には役にも立たないサムシングに両肩を支えられながらその場に立っていたのだが、いやまてよ、仮にコイツがもう信じられないくらいめちゃくちゃ面白かったらよ、そのときは俺はもう死ぬしかないジャンと思うと不安で仕方が無く、その場では無言を貫き全く会話をせず、彼が俺をひとしきりウイニングイレブンでボコり尽くし飽きて去ったことで無事一命を取り留めたのであった。

一家団らんに訪れた突然のDMM

エッチなお店には殆ど行ったことがないのでそれが何なのか詳しくは知らないが、これは福岡県は博多、風俗店が集結する有名な歓楽街の中に「マンゾクシティ」なるバカがあみだくじで決めたような直情的な名前のとにかく有名なスケベスポットがあり、それを目指して隣県の佐賀から車を飛ばしてはるばるスケベをしに向った地元の知人の話である。
カーナビはあったとはいえ歓楽街のど真ん中まで乗りつけられようはずもなく、ニアリーな場所に駐車すると後は足を使っての調査と相成るも、おおよその場所まで来たという所でなかなか見つけられない。ならば土地の人に聞くのが手っ取り早いと目の前のセブンイレブンに入り、情報代とばかりに缶コーヒーをレジに持参するや、丁度立っていたいかにも風俗が好きですといった風合いの若い男性店員に聞いて曰く、

「お兄さん、マンゾクシティどこにあるかシってますか」

するとお兄さん、いかにもマンゾクシティなど初めて聞いたようなピュアネスの権化といった表情で「マ、マン?」とわざとらしく困惑した表情をしたかと思うと、しばり考え込み「んん〜?何かその名前聞いた事あるぞぉ」「確かー、あの辺にあるという、うわさは聞いた事はあるんですがねえ」など、極めて回りくどい、RPGむらびと然とした小賢しい演出などをカマしつつもどう考えても"知っている"様子で徐々にその場所を"何とか思い出す"などし、最終的には「確か、風の便りではあの辺にある」といいつつ具体的に且つ迷いもなく人差し指である方向を示してくれたらしいのだが案の定そこに行くと角度にして一度一分のズレもなく、思いっきりその位置にマンゾクシティがあったのだそうだ。やいお前、常連やろ。

時と場所は変わって、現在俺が暮らすアメリカの自宅での話である。
渡米して6ヶ月が経ち、そろそろ現状の英会話能力の限界を感じつつあった俺はここらでもう一度英語の勉強をと思い立ち、一家団欒の場でそのような世間話をしていたさなか「そういえば」と妻は息子の通う幼稚園の「ママ友」のその旦那がやっているらしいオンライン英会話の話をしてきたのである。
聞けば一日30分程度で海の向こうのフィリピンの先生とのリーズナブルな英会話ができるコースなのだそう。月の負担も大きくは無い反面、英会話能力の劇的な向上は望めないだろうが、これでも日々忙しく平日殆ど時間の無い俺にしてみれば自宅にて子供の寝た後に取り組めるちょっとした英語能力のメンテナンスが出来ればそれで充分と考えられた。
して、そのオンライン英会話の会社はなんだね、と聞くと応えて曰く

「DMMというらしい。あまり聞いた事ないけど。」

DMM、お前はあまり知らんだろうが俺は良く知っている。最近でこそ色々なビジネスをやってはいるが基本的にはエッチな動画を仕入れては世の中に配信して利潤を追求する会社である。俺にはそれしか考えられない。俺は根がインドア派なのでエッチな店には殆ど行かないがエッチな動画は極めて沢山観るのである。DMMでサンプル動画をみるに飽きたらず、かつて動画を購入した事もある。友達にすすめられてエロ・ライブチャットの類をしつこく無料で見た事もまた、あるのである。

ふふうん、あのエロ・ライブチャット・テクノロジーを使ってオンライン英会話をやろうって魂胆か、やりよるわ。そんな所まで一瞬で考えたくらいDMMのことはよく知っている。熟知している。
しかしまあそんなDMMが健全にして神聖な我が家の食卓の会話に行き成り現れてごらんなさい。そりゃ百戦錬磨の俺でもうろたえるっていうもんじゃろがい。
「ディ、DMMゥ?!」とつい声を大きく聞き返してしまった俺に、なんか知っているのかと怪訝に思った妻に聞き返されるのは至極当然である。

「ディ?ディー、うーん。」「何かCMなどでその名前聞いた事あるような」「確かー、株だかFXだかをやっている経済に深く関係する会社ではなかったかなあ、最近よく頑張っているとうわさは、聞いた事があるんですが…」
「で、そのなんとかいう会社は確かな会社なのかな?実はなんかあまり聞いた事ない会社であるのは間違いないのだけど、ちょっとばかし胡散臭いんじゃないのかい。」

いやそうじゃない、俺は知っている。熟知している。DMMはしっかりした確かな会社である。ちょっとカードの引き落としが遅れると直ぐ利用停止してくるほどしっかりしている。今アメリカにいるから「あなたのお住まいの地域からはご覧になれません」と言われるが、俺は良く知っているのである。
良かれと思いせっかくすすめてみたのに妙に多弁になり、またDMMに対して妙に捗々しくない反応をする夫を見て「いやならいいけど」という妻。

「いやいや、やんごとなきママ友の旦那の○○さんがやっているというのなら、そのDMMってのにちょっとボクもお願いしてみようかな」などと言いながらも≪○○さんの旦那は本当に英語を勉強しているのか、奥さんアンタは夜な夜な騙されてませんか≫という事も考えつつ、昔買ったエロ動画で得た雀の涙のDMMポイント10点が英会話に使えるのだろうかと思案しながら、コソコソと申し込みを検討している俺であるが、グーグルでDMMと調べようとすれば「お、いつものかたですね。まいど〜」とばかりにお馴染みのアダルトの方がサジェストされてきて今日はお前じゃないわあっち行けアワアワとなった俺を皆さんはどう思うだろうか。

俺はとても良いと思う。

 

カズヤ少年に便所に呼び出された時のこと

小学生のときにカズヤというものすごく体の発育の良い男がいた。今思うと発育が良いというレベルではなかった彼、小学5年生の時点で体は出来上がり、50mを走ればぶっちぎり、ハンドボールを投げれば県新記録、男性教師に腕相撲で勝つ程の腕力によって繰り出されるあらゆる球技におけるダントツの破壊力はまさにスターを取ったマリオ状態。無敵なのであった。

その小学生離れした筋肉により彼は当然の様に小学生生活を通じて常に学年のボスであり続け、頭の方はさほど良くなかったが、そのガタイとパワーだけで何ぴとも彼に意見する事は出来なかったのである。

運動神経だけではない。小学六年生の時点で彼の身長は165cm、ガタイは「いい体してるね」と言われる成人男性並み。なにより顔の見た目が完全にオッサンであった。小学校高学年の時点で完成されてしまった彼の成人ルックスをもってすれば、普通の小学生などその見た目だけで「すいませんでした」とひれ伏してしまうレベルである。

小学五年生のときに俺はそんなカズヤ少年と初めて同じクラスになった。

クラスには学年でも上位に入るほどの運動神経を持ち合わせた男子生徒がたくさんいたはずだが、誰しもがカズヤの手下に成り下がっていた。小学生男子にとって優劣をつけるものは運動神経。それでいくと発育で20年先をいく発育トップランナーのカズヤ相手に意見できるものなど誰が居ると言うのか。

ある日の休み時間、俺を含む彼の手下とされていた7、8人の男子生徒が突然「便所にこい」とカズヤに呼び出された事がある。そのメッセージを伝えにきた男子生徒は困惑した表情で「よくわからないが、カズヤはかなり怒っている」と言う。

彼は既に便所で先に待っているらしく、早めに行かないとまずそうな雰囲気であった。ならば急いで行こうと7,8人が連れ立ってぞろぞろと便所に向かえば、そこには便所の奥で窓の外を見ながら立つカズヤの姿。到着すると振り返り、事前情報通り不機嫌な顔で睨んできた。

やって来たメンバーの顔を確認すると一言だけ口を開くカズヤ。

「ちょっとここ、入れ」

そういうと彼は親指で大便所を指しながらついて来いといわんばかりに入って行く。俺達は自体が飲み込めずなんだなんだという感じでそれを眺めつつ、言われたとおりにそれに続く。狭い個室便所である、全員入ることはできないのでまずは3人がカズヤに続いて大便所に入り、俺を含む残り数名は便所のそとで待つことに。

程なくして先に入った3人が出て来る。彼らは無言で、そしてカズヤは出てこない。便所から出てきた3人が非常に冴えない顔であったのがとても気になったのだが、暴行の類を受けた形跡はない。ただしとにかく妙な、歯切れの悪いひっかかる表情をしていたのが印象的であった。

今度は俺たちが彼の待つ大便所に入る番である。中に入るとカズヤは狭い大便所の中で壁にもたれかかりキレた顔をして待っていた。やはり何か怒っている。俺達が何かしたのだろうか。尋問を受け、その答え如何では何か痛い目にでも遭うのだろうか。先のグループは上手く回避したってことなのだろうか。例えこっちの数が多かろうと彼には歯向かえない。カズヤと我々の間にはあの当時それほどの体格差、ルックスの差があったのである。

不安そうな顔をした俺達に対してもなおブチギレた表情を崩さないカズヤ、しばしの沈黙があったように思うが、突然何の合図も説明もなしに突如バッとズボン、更にパンツまでを下げておもむろに我々の前にチンポをさらけ出したのである。

「エッ、なんでや...!」

驚く間もなく、なんと出てきたそのチンポたるや、まあ呆れた、そこには見事に生えそろったチン毛がびっしり。兵馬俑かと思いました。そしてまたそのチンポのとても小5のものとは思えない様よ。ミスターチルドレンとは言ったものである。

何の説明も無しにいきなり大人の股間、御開帳。いきなり突きつけられた現在の状況を飲み込めずに戸惑う小学5年生たち。「なぜ見せたのか」「どう反応したら」「いつまで見たらいいのか」、中学生になれば5W1Hを習ってここで質問のひとつでも出来たことでしょうが、哀れ人生経験の少ない小学生はただ黙って無言のまま目の前のカズヤのチンポを見ることしか出来ないのである。

そんな唖然とする我々を目の前にしてもなおカズくんときたら律儀にチンポを見せたままで謎のキレ顔を継続するのである。チンポとカズヤ、両方から睨まれ身動きが取れない。眼光からは確かな「怒り」が感じられた。

「なぜ、なぜあなたは怒っているの...?」

呼びつけておいて、頼みもしない陰茎を露出させておいてなぜ怒るのか。そしてカズヤは、カズヤ少年はとことんまでブチギレた顔で突然こんなことを我々に言い放ったのである。

 

「見たこと、人に言ったら殺す」

 

違反学生服の回収とヤンキーへの販売ビジネス

皆さんは違反制服をご存知だろうか。一般には変形学生服と言われているらしいが、俺の地元では「違反制服」「違反ズボン」と呼んで慣れ親しんでいた為こう呼ばせてもらいたい。

それはつまり何かというと簡単にいえばヤンキーが着ているサイズ、デザイン面が個性的なワルい学生服のことである。ベースのデザインこそ皆様ご存知の普通の学ランなのにコートのように長いものから逆にめちゃくちゃ短いもの、ズボンを見ればジーンズタイプやフレアカットなど制服のデザインを著しく逸脱したもののことである。

違反制服は地域の学校の提携先でもあろうはずの街の学生服屋で普通に売っており、信じられないことに欲しいと言えば「まいど!」なる愛想の良さなどもみせつつ積極的にカタログを出し自由に閲覧させてくれる。カタログには警棒やヌンチャク、メリケンサックなどの”武器”も載っていることがあって、一端の街の学生服屋がこんなモンを堂々と商いしていいのかという気になったものである。

もはや時効ということにしてどうかお許し頂きたいのだが、そんな違反制服を、俺は中学生のときにヤンキーの皆さんに売りさばいていた時期があった。

どこから仕入れるのかという問題だが、そこは裏ルートの活用である。気になる仕入れ方法は実に簡単、「生徒指導室」と呼ばれる教室に侵入し盗んでくるだけである。

「生徒指導室」とはその名の通り、素行不良者の指導(つまり説教)と、その際に没収した物品の保管がされている部屋のこと。いわば学校の警察署のような場所である。各地各年代から仕入れられた違反制服も当然ここに着荷していた

この生徒指導室だが、当然のように職員室の真横にあったので周囲をうろついていると怪しまれるのだが、そこまで頻繁に生徒を指導する機会も無かったのか、通常はもぬけの殻でいわば倉庫状態になっていたのである。

幸いその生徒指導室というのが丁度あの当時入っていたバスケット部の屋外練習場近くであったため、例外的にバスケ部だけはその周辺をウロウロしても別段怪しまれないということに気づきそれを利用した格好である。

「生徒指導室にはエロ本が沢山保管されている」といういにしえの伝説を信じて侵入したのが事の発端。生徒指導室は一カ所だけ開いている窓があり、仲間で手分けして見張り役、侵入役、運搬役を分担した。

残念ながらエロ本は初回に大乱獲されあえなく絶滅したが、それをきっかけにそこに広がるレア・アースの存在を我々は知ることになるのである。それこそが今回の主役「違反制服」である。

忘れもしない、初めて侵入した生徒指導室の内部は独特の雰囲気だった。あれは呼び出されたりしない限り入る事の出来ない、つまり選ばれし民だけが入る事を許された魅惑の部屋。中に入れば選ばれし民が先生にはぎ取られた奇抜なデザインの違反制服たちがまるでアパレルショップの様に丁寧に展示、保管してあった。没収品は多岐に渡り、スカジャンやMA-1、竹刀や折りたたみ式の警棒、漫画本に花札、おもちゃの類も多数発見された。つまり「学校に持ってきてはいけないもの」が没収されここに集っているわけである。

生徒指導室に大量の違反制服が保管されている事を知った我々は、それと同時にそこに誰にもバレずにアクセス出来る事を知ってしまったのである。

 

「我々の手に取り返そう」

 

これが誉れ高き没収品十字軍結成の瞬間である。我々などと言いながらトランプやゲーム、漫画本をバレない程度に少しずつ回収してはバスケット部の部室に持ち込み私物化する。最初はささやかな楽しみだったこの活動も、幾度と無く行われたかつての十字軍による聖地回復運動と同様、回数を重ねるに従い徐々に首をもたげるよこしまな気持ち。

 

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「違反制服はヤンキーに売れるのでは」

 

ある時そう気づいたのである。今まで見向きもしなかった違反制服を見て、そう思ってしまったのである。そして案の定ヤンキーが喜んでそれを買うのである。

一着数百円のささやかなビジネス。今思うとハイリスク・ローリターンなのだがこのビジネスの素晴らしいところは、売った商品がしばらくすると再び我らの流通センター(=生徒指導室)に舞い戻ってくるところである。違反ズボンは着用しているのが見つかれば必ず教師に没収され再び生徒指導室に里帰りしてきてくれる素敵な流通システムなのだ。

そしてある日気づくのである。

 「ひょっとしてコレ...永久機関では...」

何しろヤンキー市場に制服を流通させなければならない。

最近違反ズボンを失ったヤンキーの情報が入れば「新作が入りました」と営業をかける。県内有数のマンモス校だったためヤンキーの数もマンモス級。市場はデカい。

市場調査もぬかりなく。今の流行をキャッチしなければ危険を冒して手に入れた違反制服は行き場をなくして手元に残ってしまう。それこそ不良在庫である。上手い事言っちゃいました。

俺はまじめな中学生である。違反制服は手元にあってもマズい代物、それが売れ残れば面倒である。膠着在庫を作らぬために、巷の違反シーンでは一体何がホットな違反なのかを知るために...すべてはお客様の満足のために...!「何見てんだオラ」リスクにおびえながら、今まで馬鹿にしていたヤンキーのファッションをチェックする日々なのであった。

そして或る日のこと、俺はこの実に手間のかかる循環型違反制服ビジネスにおいて、そのリピート率を大幅にアップさせるある方法に気付く事になる。それはまさに禁断の手法...。

「先生にチクればいいじゃないかしら...」

まさに鬼畜である。

《先生、○○君の制服の裏地がちょっと変でした。気のせいでしょうか。》
《先生、○○君の上着はライダースタイプ、ズボンはカーゴパンツタイプ、なお内ポケにはメリケンサックを所持してますがお気づきですか。》
《先生、違反制服を持っているヤンキーのリストがありますが1,500円でどうでしょうか》

自分で違反制服を販売し自分で通報する。

正直これは真のゲスのやる事と判断し実行に移すことは無かったが、結局この販売活動は俺が部活を引退し生徒指導室に近づけなくなるまで続いたのであった...。

 

 

※イラスト:盛岡

後世に残したい、これが「青木理論」だ!!

中学のとき青木という体育教師がいた。

彼のことは以前性別集会の記事に登場させているが、あの記事では彼に関する情報が「変わった手淫をする」という事以外あまりきちんとふれられなかったため、それでは彼が不名誉だということで、今回はそれ以外の彼の人となりを、教師・青木を少し紹介しようと思った次第。

 

bokunonoumiso.hatenablog.com

 

件の性別集会の記事にも書いているが体育教師であるがゆえに当たり前のように体格はガッシリ、背は180cm超えだっただろうか、その上運動神経抜群、しかも草刈正雄そっくりのイケメンである。更に付け加えるとしたら、とんでもない巨根であった。もし仮に巨根の意味がわからない人がいたらいけないので念のため説明するがチンポがすげえデカいという意味である。

それはそれは、さぞかし他の先生、生徒からも人気で、ジンボーも抜群だったことでしょう...と思われるだろうが実はそうではなかった。野球一筋ウン十年、気付いたころにはガチガチのスポーツ脳で、それが原因なのかしらないけれども融通は利かない、冗談も通じない、職務に忠実で生徒には妙にドライ...という具合に性格的には「つまらない」という評価が男女から与えられていたように記憶している。

またこれは田舎ならではの残酷な定めであるが、通常地元では教師になるべき人間が通ってしかるべきとされていたやんごとなき進学高ではなく、そこからは数ランク落ちる辺境の普通高出身という面も幾らかマイナスに作用し、青木先生をどこか筋肉バカのような扱いをする心無い人もいたという。

俺はそんなヒドいことはしようとは思わなかったが、それでもちょっと理不尽に怒られた放課後には中学生なりのプライドが傷つけられなどし「アオキの出身高校ではいまだに天動説を正として教えている」という心ない噂も流したくなったというものである。

そんな青木先生は、俺が中学一年生のときのバスケ部の顧問であった。忘れもしない、根っからの野球ファン、自分自身も小中高と野球部だった青木先生はバスケ部への取り組みにはあからさまにやる気が感じられず、中学生の最後の大会である中体連の前にも関わらず部活には来ない、土日は休み、練習試合もやらないなど部活の顧問がボランティアである事を差し引いてもその態度があからさまに後ろ向きであったことは中学生にも明らかであった。

青木にしてもそれを隠す気はさらさらなかったようで中体連を前にしてもなお「俺は早く野球部の顧問をやりたい」などと公言していた彼のあの無神経さには、言いたいことも言えないチキンハートの俺はむしろ羨望の眼差しであり、3万円までなら金で買い取りたいほどであった。

そんなことを続けておれば無論バスケ部からの不満は高まるもの。鈍感な彼もそんな徐々に高まりつつある部員の不満をついに感じ取ったのか、ある夏の練習中、いつものように練習も終盤になってようやく姿を現した青木先生が部員を集め「なぜ俺があまり練習に来ないか」の言い訳をするかのように突如として独自の理論を展開し始めたことがあった。もう20年以上前のことになるが俺はそのときのめちゃくちゃな理論が今でも忘れられないのである。

 

「練習をたくさんすればそれは勝てます。当然勝てるんですね~。」

独特の二度言い話法でスタートしたその日の挨拶。だがその後に続いた独特な理論に、我々は耳を疑うことになる。

「え~、休日にも毎週練習したり、練習試合をたっくさん組んだりすればですね。強くなるのは、これは当たり前です。当たり前なんですね~。でもみなさん、考えてほしいんですが、練習をたくさんしてェ、練習をたくさんしてですよ?仮に負けてしまったら~どうでしょうか...。『なんだ~、あいつら!あんなに練習をしていたのに~、負けてしまったじゃないか、けしからんっ!』と、こう言われるんですね~、それだといけないんですね~。」

 

《......!》

 

「仮に負けたときにでも~、そこそこの練習でまあまあよくやった、といわれるほうがすばらしい、場合もあります」

 

《........!!!!》

 

これが後々まで語り継がれる「青木理論」である。

「なんだあいつら~、けしからんっ!」のときに妙に演技がかった言い方には「意外と器用だな」と酷く驚かされたが、それにしても特筆すべきはそのトンチンカンな内容である。指導者たるもの「悔いのないように精一杯練習し、その結果負けたのならそれはしょうがない、それでも後々にお前たちの心の中には大切な何かが残る!」ぐらい、例え綺麗ごとだとしても、それぐらい言ってほしいというものである。

だのに青木はそうではないと言うのである。

一通り自説を述べ終えると質問や意見も受け付けずただそれだけを言って「Bye」と職員室へ戻っていった青木先生。夕方6時、噂ではスポーツ新聞のプロ野球関連記事を読む時間とされている。

それにしてもである。あの当時俺の一つ上の学年は市内でも最強といわれたメンバーを揃えた好チーム。市内を制し、さらにそこから県のベスト8、ベスト4を狙おうかというチームを前に突如として宣告したのが「おいおいそうアツくなりんさいな、ただの部活だぜ?(笑)」という、沸騰したお鍋にびっくり水のような内容。

これぞ青木先生を端的に表すエピソードである。

それから二年後、晴れて念願の野球部顧問となった青木先生が、活き活きとした表情で野球部員の生徒たちの休日居残り練習に付き合う様を、俺たちは何度も見ている。真夏のグラウンドで生徒と真っ向から向き合う青木先生・・・・

「努力は君たちを裏切らない。裏切らないんですね」

バスケ部では見せなかった笑顔の奥に青木理論の柔軟性を垣間見た瞬間だ。

 

更にそれから二十数年。あの時の中学年生が今では社会人である。今回皆様に紹介したこの青木理論であるが、実は最近になって何かと思い出す機会が増えているのである。

たとえばこんな具合である。

「え~、休日にも出勤したり、ゴルフ接待をたっくさんすればですね。売り上げがあがるのは、これは当たり前です。当たり前なんですね~。でもみなさん、 考えてほしいんですが、経費をたくさんつかって、経費をたくさんつかってですよ、仮に売り上げが伸びなかったらどうでしょうか...。『なんだ~あいつら!あんなに経費つかっていた のに、赤字だしてしまったじゃないか、けしからんっ!』と、こう言われるんですね~、それだといけないんですね~」

俺もあの当時の青木先生の年齢に徐々に近づきつつある今、ようやく青木理論の本質が分かりかけているのかもしれない。