素人がッ!

混み合った電車内においては、ドア付近に立っている乗客は駅に着くと降りる予定はなくとも一旦外に出て、降りる人々の波が収まるまで待って再び乗込むというのが東京の暗黙のマナーであったが最近では駅員のアナウンスもそれを奨励していることから、ほぼルールと化していると言っても過言でなかろう。

最近でこそアナウンスがあるものの、かつては地方から上京したての人や旅行者、同じ都内在住者であっても電車が混雑した時間に乗りなれていない人など、そのマナーに慣れ親しんでいない人はそれを分からず痛い目を見ていたものである。

降りる予定でない駅で人に波に押し出されまいとそれに抗い、つり革に掴まった結果、怒り狂うバイソンと化した降車客の群れにボコボコにされる。大義名分を得て一方向を向いた日本人の団結力と突進力は凄まじく、群れが去った後、そこに残っていたのはなおもつり革をつかみ続ける白骨化した遺体。何度も見て来た光景である。

或る日のこと、普段通勤時間には電車に乗りそうにない、大きな荷物を持った学生風の若者数名がバイソンの餌食になった。命綱であるつり革を手放すまいと必死にしがみつくものの、そこに「オラオラ」と突進してゆくバイソンの群れ。確かにそこは四谷駅ではあったが、谷ったって谷底に落ちる訳じゃなし、手を離して楽になれば良いのに彼ったら強情なんだから、色んな人から憎しみの対象となって故意の肘うちやらショルダータックルなんかを受けて若い彼らももう白骨化間近である。

そんなとき、ある乗客から学生に向けて吐かれた聞き捨てならない一言、俺はアレを忘れはしない。それを電車の降り際に苦々しく発したのはスーツを着たサラリーマン。俺の父親ぐらいの年齢だろうか。

「素人がッ...!」

男性が学生に向かって「素人」であると言ったのである。彼らが素人ってことは、彼は「プロ」である。プロ?!

何のだよ。

電車から降りるプロだろうか。絶対なりたく無い。

マネージャー・スペシャルとは

車社会のアメリカであるからそこら中に洗車場がありその業態も様々。セルフ、ワンコイン、手洗い。洗車だけで独立しているものやガソリンスタンド内に併設されているもの等々。

先日出張先の街で入ったまったく知らない洗車チェーン、「マネージャー・スペシャル」という旗が掲げられており何か特別イベント感を出していたので興味本位で入ってしまった。マネージャー・スペシャル、意味は分からないが何かワクワクする響きである。

日本もほとんど同じかと思うが、アメリカではまず車で洗車場に入っていくとスタッフが出てきて自動洗車機では落ちにくい箇所をホースで洗って、その後車は自動搬送、洗車され、最後に待っているスタッフ1、2名が残った水滴をふき取ってくれ、そこで料金とは別にチップを払うという流れ。

その最初のところ、洗車場に入らんとするときに「マネージャー・スペシャル」の意味としてハッと思いついたのが日本でもパチスロ屋で時々見かける「新店長就任祝い!」とか、スーパーマーケットの「本店舗が本社より○○地区の特別強化店舗に指定されました!」のようなてめえの会社の内部の人事や方針を我々部外者に何のためらいもなくどうすかすごいっしょとアピールしてくるのを日本では時々見かけたアレである。

そういうのは社内事情なので宣伝に利用するのが相応しいのか分からないが、時に競争の激しいB to Cの小売店やサービス業はこのようなある種の派手さで他店との差別化が求められることもあるのかもしれない。

そのような概念がここアメリカでも「マネージャー・スペシャル」として存在するのかもと思いワクワクして「マネージャー」の登場を待ち望んだが、最初のホースを持って現れる中東系のオッサンは死んだ目で親のカタキのように前輪のホイールばかりを狙って水を当ててくるし、では最後にマネージャーが長年のマネージメント能力をフルに発揮する形で水滴をふき取ってくれるのかと思ったが、なんと先ほどの中東系のオッサンがまた出てきたのである。これにはビックリ、倒したはずの中東系のオッサン再登場。俺の前輪をきれいにしたあとユックリと歩いてきたのか知らんが、これがマネージャー・スペシャルなのか。

通常別々のスタッフがやる2つの工程を一人でこなすあのオッサンがガチのマネージャーだった可能性もなきにしもあらずだが、実際にそうだったとしても俺にはその価値が何も分からなかったわけだが、このようにマネージャーとか店長といった内向きの肩書きの発するメッセージは非常に概念的、また時には組織内である種主観的な価値として流通しており外部には伝わりにくいことが多いのかもしれない。

前職、商社勤めだった際に仕入先のメーカーがとんでもない不良品を納品し、客先にお詫びするなど大変な目に遭ったことがある。不良品を出すと処理が大変である。レベルがどの程度であろうと原因の報告と暫定対策、そして恒久対策などをつらつらと書いて先方が納得するまで説明するのである。

その報告書の打ち合わせに仕入先メーカーの工場へ出向いたときの話であるが、彼らから出てきた報告書の「対策」の中に見慣れない文言「『部長検査』を実施する」というものがあった。

はて、「部長検査」とな。これは何かと尋ねると彼らが答えていわく、

「はい、今回の問題の根本原因は発生源の製造上の問題とあわせて、それを流出させた検査体制にも問題がありました。発生に加え流出も改善しないとお客様にはご理解いただけないかと。」

「なるほど、で『部長検査』とは...」

「なので今度から管理職、中でも品質保障部の”部長”が数ヶ月間実際にラインに立って検査を行います。」

部長を出しますよエッヘンというような顔でそう説明するのであるが正直ピンと来なかった。野球で言えば若いやつには任せておけんとばかりに打撃コーチが代打に出てくるようなものであるし、部長って言われても実務から退いて久しい人をそこに立たせて意味があるのかという実際の効果面の疑問と、印象としてその「部長」がどの程度スゴいかなんて主観的な評価であって、外部には、客観的にはあまり訴えるものがないからである。

加えて個人的には「部長検査」というその字面の第一印象は病院で沈痛な面持ちにて白衣を着ている部長の姿。部下の管理の甘さから不良品を無残に流出させてしまった部長の脳波を検査し、フィジカルに問題はないか、内臓はどうかなど身体測定などを検査するシーンを想像したからである。

彼らの会社文化の中には当然かもしれない「部長検査」という聞きなれない単語を外部に発信しても変なメッセージを与えるだけであるし、そもそも部長が検査すると言われてもそれがどうした部長がなんぼのもんじゃい的な、我々の中にいる長渕剛的な部分が刺激されてマズいですよという事をやんわりとお伝えして何とか「管理職チェック」に落ち着いたが、そでもまだ管理職?それがどうしたほととぎす的な我々の中にいる織田信長的な部分が刺激される可能性はあったものの、メーカーの彼らの誠実な姿勢は伝わりその問題は何とか落ち着き事なきを得たのであった。

B to Cだけでなく、B to Bのビジネスシーンでもこのような事があるのだなと思った次第である。

普通に生きていてどういう仕組みでパイズリをする流れになるのか教えてほしい

パイズリという行為ははっきりいってとんでもない変態行為である。

わが国では山田邦子がそう名づけ「やはり誰かがやっている」のだと周知され、市民権を得た瞬間にパイズリを取り巻く環境は幾分か改善方向に変わったとはいえ、パイズリという行為自体の、その変態性が変わることはない。

パイでチンコをズリズリする行為、まるでアイドルユニットの「ごまっとう」がそうであったように、安直にその頭文字だけをとって「パイズリ」ともっともらしく名づけられ、さもまっとうな性行為であるかのように半ばフライング気味に市民権を得た瞬間。

それはまるでお店の裏メニューからレギュラーメニューへ格上げされたような事なのだが、本質的には裏メニューの域は出ることはなく、精々まかないぐらいのモノなのである。表に出してはいけないモノなのである。

私事ですが、残念ながら36年生きてきていまだにパイズリを経験したことがない。興味はないかと言われれば嘘になり、雪が解ければ春になる。(すいません、余計な詩を吟じてしまいました)仮に紆余曲折あって(どんな紆余曲折だろうか)目の前に未曾有のパイズリチャンスが訪れたとしても、「パイズリ」というマヌケな言葉の響きが邪魔をして俺は目の前に広がるパイズリのゴールにボールを力強く蹴りこむ事はできないだろう。

あるいは似た響きを利用して「ぺ、ペイズリー...」とうまくごまかしてパイズリを得ることはできるかも知れない。それでもパイでチンコをズリズリする行為自体をまともな神経で看過することは到底できる自信がない。ないのである。

普通の男女が果たしてどのような仕組みでパイズリをする流れになるのか全く想像出来ない。どんなにいい雰囲気になったとしてもパイズリだけにはならんだろうと、そう思うのである。僭越ながらエッチな動画でパイズリのシーンを見ていたところ、パイズリをする側の女性が「アンアン」言うて感じていたのだが、何をどうしたら胸部の何もないエリアに「アンアン」のスイッチが入るのか甚だ謎であったのだが、このように基本的にパイズリは男性の変態性が招いたわがまま、オマケ、もっと言うとオフザケであるという点において、通常、男女がいい雰囲気になり性行為に及ぶまでの直線的な流れには浮上するはずもないものであると確信している。

大体パイズリという名前、フザけているにもほどがあるだろう。「パ、パイズリ、ええか」などと口に出すだけで笑けてしまうこの文字列、これを高まる男女のムードの中に放り込むのは不可能である。

かつておのれの彼女にパイズリをしてもらったという友人に聞いてみた。どういう流れでパイズリになるのですかと。彼はやはり最初「パイズリ、、してもらってもいいかな」と言ったらしいんですが、次からは「お客さん、いつものですね」よろしく、彼女が頼んでないのにパイでズる変態行為を勝手にやるようになりそこから先はSpeechless...だったとそう説明してくれた。

「パイズリをしてといった時より、パイズリもう今後はやめてというほうが難しかった」

つまり万引きするより無断で勝手にお店に品物を納品する方が難しいのだと、最後に彼は悲しそうにそう語った。知るかやかましいわ。

華氏100度

アメリカに来てもう8ヶ月経っているが依然英語には苦労している。日常生活に使う英語は何とかなってきたし、仕事面では共通言語となる専門用語があるためかこちらも何とかなっている部分があるがそれも本当に最低限というレベル。

色々と苦労を挙げるとキリがないが、思ったより苦労しているのが曜日、月、度量衡、数字の数え方といった基本的な知識である。

曜日はいまでも脳内で「サンデマンデチューズデー、ウェンズデー」のあの例の歌をうたわないとすぐには出てこないし、なんならその歌をうたっている最中でさえ木曜日はすぐには出てこず「スースデイ...」とゴニョゴニョいってごまかす始末。俺は今でも木曜日がわからないので木曜日の話をするときは「スースディ...」とゴニョゴニョいっている。

月もまだ怪しい。4月はエイプリルフール、5月はメーデー、6月はジューンブライド、など日本でも馴染みのある用語を基点に思い出すしか手立てがなく、なんか知らんけど10月ぐらいから始まる「ッセンバー!」キャンペーンのあたりになるともうお手上げであり「ムッ、8本足がオクトパスだから...オクトーバーは8月や!ドヤア!(不正解!)」などと大卒とは到底思えない恥ずかしいムーブをここアメリカで疲労しているのである。

中でも一番しんどいのが度量衡、つまりアメリカが独自で採用しているインチ、フィート、オンス、ガロン、マイルといった単位の類である。たまたま仕事柄インチはよく使うし、車に乗っていると時速の把握としてマイルも何となく覚えてくる。問題はそれ以外の、普段使わないが時々使うために永遠に覚えられる気がしない連中である。

1オンスは28.3495グラム、1フィート=304.8など全く語呂もくそも無いような暗号では覚える気力も失せるというもの。そんな一番しんどい度量衡の中でも最も手ごわいのが温度。なんと温度の表記も違うのである。

ここアメリカでは我々の使う摂氏(℃)とは違う華氏(°F)が使われている。摂氏と華氏、中国を二分する王朝のボスみたいな感じがするしどうか仲直りをして天下統一早期希望といったところなのですが、この摂氏華氏変換がもうめちゃくちゃややこしく一部のよくある華氏度は暗記で分かっていても根本的な仕組みについては俺は今でも全く理解出来ていない。

「摂氏を出すには、華氏から32を引いて1.8で割ったらいいだけだろ」

かつて先輩社員がそう言って説明してくれたものであるが「声をかけて楽しく話すだけだろ」と言えばナンパが出来そうな気もするし、「音に合わせてノるだけだろ」と言われれば俺もクラブにいけそうな気がするし、「ご飯の上にカツを乗せるだけだろ」などと言えばカツ丼も容易く聞こえるわけだが現実はそうではない。ナンパもクラブもカツ丼も俺には出来ない、作れない。

何の話をしていたか忘れたがとにかく「~すればいいだけ」という言葉は物事を簡単に聞こえさせる魔法の言葉であるものの、現実問題として引き算と割り算がタッグを組んで攻めてきたら俺はギブアップなのである。

渡米してすぐのころ、アメリカで初めて熱が出たときにホテルで体温計をかりて熱をはかると表示された数値がまさかの「100」であった。華氏100度。ヤバい響きである。「百度バイドゥ)じゃん」などと中国IT企業・ジョークもついつい口から出るというものである。いやあ100ですか、そう言われると頭が熱い、重い。体感的には40℃ぐらいありそう。

今すぐに俺が一体摂氏何度なのか知りたいと、地球上であれば既に血液が沸騰しているであろう100度の熱にうなされながら朦朧とする頭で頑張って32を引いて1.8で割ってみると「37.7℃!!!」と割と可愛い感じの体温でめちゃくちゃガッカリ。そう言われるとちょっと顔が致命的に不細工な点を除いてはそのほかは割と元気。病は気からである。

 

アメリカ人はよく半ケツしている

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これは空港で撮ったあるアメリカ人男性の半ケツである。

盗撮野郎だと誤解されぬように言わせてもらうと人の半ケツを撮ったのはこれがはじめてである。

本日皆さんに伝えたいことは、アメリカ人はよく半ケツをしているということである。昨日飛行機の搭乗を待つ間にこのことがふと頭の中に浮かんだとき、周りを見渡してみると案の定目の前にいたというわけだ。

アメリカ人は体が大きいが特に横幅が大きい人の数、そしてその程度がハンパない。平たく言うとめちゃくちゃデブが多いのであるが、自分の経験から判断するに半ケツの原因はデブであることだけでもないように思われる。

アメリカ人は「リュックを下ろす」「上着を脱ぐ」「座る」など、普段の行動の端々で半ケツをカマすようである。正確な理由は分からないがムーブがデカいことと、シャツをインしないことが理由ではないかと考えている。ただこれにはあまり自信がない。

前日、商談の為にある取引先のオフィスに行った時のことである。業界によって様々であろうが俺の業界ではアメリカ人との軽い商談は彼らのオフィスの中にある各々の広く、パーテーションで区切られた半個室のようなデスクにこちらが出向き、向こうが座ったまま、こちらは立ったまま行われることが多い。そしてこれにはまったく悪気はないらしいが、相手が誰であろうと要件が何であろうと彼らは椅子の背もたれに踏ん反り返ったまま足を組んでこちらと会話をするのが常である。

この日はこちらにとっては重要な案件の重要な人物と会う日である。こちらは数名で出向き準備も万端。結構難航するかと思われたが商談はテンポよく進みものの10分ほどの話で終わり。

「今から必要な書類をそちらにメールで送るよ」というと、椅子はそのままにクルリと体だけ回転しデスク上のPCをカタカタとやり始めたのだが、彼は半ケツしていた。

その商談帰り、取引先のオフィス建屋の入り口で清掃をしていたふくよかな女性、まったくみる気はなかったがモップをバケツのようなものにつけているその刹那、案の定半ケツしていた。

1日で二回も半ケツを見てしまった俺であったがこれは結構多い方である。アメリカ人の半ケツ率高すぎ説をいよいよ真剣に考えようなどど思いながら、別々の車で来た同僚と駐車場で別れると、車の後部座席に何かを探している彼らのうちの1人を念の為チラリと見るとやはり半ケツしていた。

気づいていないだけで、俺がつぶさに観察していないだけで実はみんな半ケツしているのかもしれない。俺もした方がいいのかと、急に不安になってきた次第である。