忘れられない、学生寮の納豆の味

納豆が好きになったきっかけは大学2年の夏まで入っていた学生寮の朝飯で出てくる納豆であった。

パック納豆が各自に与えられるのではなく、ボウル状の大皿に何パック分かわからないがネギとタレが加えられ、よくかき混ぜられた納豆。ある朝食べてみたら美味かった。今も思い出すなつかしの味。今まで美味しい食べ方を知らなかっただけなのかもしれない。理由は分からないがとにかく敬遠していた納豆であったが、寮の納豆のその味に感動しそれから日常的に納豆を食べるようになったものである。

そう思って食べるようになった納豆。暮らしていた寮の朝飯は前日の昼間での注文制であった為、おそらく人数分の納豆になるよう計算されていたはずだが遅めに食堂へ向かうと必ずといってその大皿は空になっていた。早朝必ず一番ノリする大の納豆フアンであるデブの、2コ上の寮生が一人いて、その男が半分以上を平らげていたのは明らかであった。多少太っていた程度だと記憶しているが憎しみが俺に彼をデブと呼ばせてしまうのである。使いたい、デブという言葉を。

また、ついでにいうとこの男は朝食を注文し忘れた朝には、用もないのに食堂に出向き、朝食時間が終わりかけ、寝坊して時間に間に合わなかった寮生の朝食を食べるのを常としているまことに貪欲な男で、朝食時間の10分遅れで食堂に行くとこの男がギラギラした目つきで自分が食べるはずだった朝食をがっついている姿などを見るとはらわたが煮えくり返るような思いであったのだが、当人は残った朝食を処理してあげているという善意のつもりであったし、その実寮の食堂側からするとこの男の存在のほうが有難いものだから、クレームも言えずそれを看過するしか手立てがなかったのであるが、僅か1、2分の遅刻すらも「ルールだから。」とばかりに、待ってましたとばかりに待ち構えて平らげていくその姿に、やはり使いたいデブという言葉を。

納豆に話を戻すと、この男が半分近くを食べていたというその根拠は皆がその様子を目の前で見ていたからに他ならず、かといって別に一人何グラムとルールも決まっていない以上何もいえないわけではあるが、それでも過去に彼より年が上の学生が「お前、食いすぎだろ」と常識と納豆の適正配分に照らし合わせそれを咎めたこともあるらしいのだが、その対策としてこの男は早朝一番乗りで納豆を食べるという手を思いついたようである。

「カン、カン」という朝7時に鳴る拍子木の音が朝食の合図である。するとドアの開く音がする。あのデブである。納豆を目掛けていくデブの、太った朝の始まりである。しまった、7時だ、と一瞬出遅れると勝負は決まってしまう。納豆はもう半分に減っているのである。

納豆にむさぼりつく男をケーベツのまなざしで眺めつつ自分の番を待つ。半分に減った納豆から朝飯を食べるであろう残りの学生の数を計算し少量に留める。そんなことも彼はしらんぷりである。

ある朝、俺は7時前に目が覚め、拍子木の鳴る前に食堂に向かっていた。6時50分。部屋に戻るのも億劫で食堂の前で待っていると、食堂のおばちゃんが「もうできてるからいいですよ」と中に入れてくれた。大皿に満杯の納豆がテーブルに運ばれてきた。抗えなかった。これを大盛り食べたいという気持ちに、抗えなかったのである。半分取ったつもりはなかったが少なく見ても3分の1は俺のご飯の上に乗っていたはずである。

7時、自分より早く食堂にいることに多少の驚きを見せつつ、件のデブが入ってきた。一瞬皿に残った納豆と俺を見比べたように思ったが無心で納豆を食べた。

人より早く起きて、人より沢山食べる納豆の味はとても美味しかった。

まだ時々、ゆっくり留年する夢を見続けている

今でも時々夢を見る。目の前でゆっくり留年していく俺である。防げたいくつものミスをほったらかしにして確実にゆっくり留年していく俺を目の前で止めることもせずに眺める夢である。

俺は大学を留年した。単位が4単位足らなかったためだ。本気を出せば取れていた単位である。母親から怒りの電話があったあの日のことは今でも忘れない。第一声に「さぁアンタ、大変なことになったよ!!!」といわれたときには新しい弟でも出来たかと思ったものだ。

だがそれは留年のお知らせ。第4の審判が電光掲示板でロスタイムを表示した。彼の掲げる電光掲示板、その電光掲示板には赤いデジタル文字で「半年」と表示されていた。実況を担当するアナウンサーは言った。

≪おっ、ロスタイムはまだ半年ありますね!≫

つづけて解説者

≪まだこれ十分チャンスはありますよ≫

チャンスなどあろうか。

こうして22歳の春、俺の半期留年が決定した。それから半年間、留年の理由と思われていたバイトは親に禁じられ、学校と家の往復だけとなると元から一人の俺はますます一人になった。一学年もしくは二学年下の若者と一緒に授業を受け、終われば一人で帰る。同い年ぐらいの大学生が皆卒業し仕事を始めている。そして飲み屋で騒いでいる。俺は学生で最低限の食費と家賃を仕送りしてもらったが困窮していた。

いつもの無洗米に100円ショップで買ってきたレトルトシチューをかけるだけの食事が週に5日。留年の原因にもなったイタリア料理屋でのアルバイトだが、あのとき食ったまかないが忘れられず自分でスパゲッティをゆでたこともあった。ソースはシチューしかなくシチューをかけた。シチューごはんとシチューパスタ、シチューを食うためにガス代を払っていた。

曜日の感覚がなくなるのが嫌だったので、週末の夜には必ず発泡酒を買って飲んだ。ドラフトワンの500ml、週末を感じさせる唯一の存在。発泡酒一本で酔っては街を徘徊し、何も起きない月曜日がまたやってくる。

家には風呂が無かった。銭湯は400円。バイトしていたときならともかく、貧乏なあの時分、高くて行けない。家から自転車で5分ほどのコインシャワーは100円で5分。100円で済ませるために100円玉を入れる前に脱衣所で体にボディソープを適度に塗りこむ。お湯を少し出してぬらしたタオルで一気に体をこするはずが、コインを入れた瞬間開いたままの蛇口は俺に大量の放水を浴びせることもあった。目論見は外れ、塗りこんでいたボディソープが全部流れ落ちるのを「ちくしょうちくしょう」と一人個室内で叫びながら慌てて体を洗ったあの日。自転車で10分行けば100円で7分のコインシャワーがある事を知り真冬の夜に2分を求めて走ったこともあった。

≪まだこれ十分チャンスはありますよ≫

本当にそうなら信じたいとヘロヘロのままスーツをまとい殆ど死に掛けのメンタルで築地市場へ向かっていた。悪臭に近いあの潮の匂いで故郷の玄界灘を安直に思い出すほどに弱っていた俺は「もうここで働きたいなあ」という気持ちで、簡単に貰った内定に飛びつき、半年後には朝5時半から築地市場フォークリフトに乗っていた。

≪まだこれ十分チャンスはありますよ≫

まだあるのかよと思いながら転職を繰り返し幸い俺は今それなりに大きな会社で働き、アメリカで駐在員をやっている。人生どうなるか分からないものであるがそれでもまだ時々、ゆっくり留年する夢を見続けている。

ガラガラヘビがやってくる

とんねるずの18枚目のシングル「ガラガラヘビがやってくる」という歌が流行ったのは俺が小学生の時。1992年だった。

俺の通う小学校ではどういうわけか冬場にはあの歌に合わせて全校生徒が縄跳びをさせられていた。通っていたのは全校生徒1000人近く、県内でもトップレベルの生徒数を誇るマンモス校。なぜ「ガラガラへびがやってくる」が選ばれたのか分からないが、1000人近い生徒が、「全校体育」という朝の全校生徒総動員の行事の中であの歌に合わせて一斉に縄跳びをする異様な光景は今でも忘れられない。

縄跳びをしながら俺は、子供ながらに気付いていた。この歌、「ガラガラヘビがやってくる」はかなりのところまで踏み込んだセクシャルな内容を含んでいる事を。まだあの当時、性知識も皆無で詳しい事こそよくわからなかったが、テレビ画面上のとんねるずが、腰を激しく前後させているのを見てなんだか妙な胸騒ぎを覚えていた。

《この歌は多分、エロい歌だ...》

周りのキッズたちはただの楽しいヘビさんの歌だと思っているのだろうか、無邪気な顔で「誰でもコン!コン!コン!」なんて歌っていて、俺はインとかアウトとかそいういう方面について詳しい事こそ良くわからなかったが、

《この歌は間違いなく、相当ハレンチな歌だ...!》

そういう確信を持っていた。

生徒はともかく、セックスの一つでもしたことはあるであろうオトナの先生方が看過していたのは何故なのか。流行っているとはいえ男女の色恋、というかむしろ性をストレートに描いたと思われる歌詞の内容など全く気にすることもなく、みんな揃って爽やかな笑顔で爽やかな汗。朝の校庭に大音量で響く「何回もコン!コン!コン!」である。

子供ながらに「何かが間違っている、きっと大きく間違っている」と、そう思っていた。教育現場で堂々と下品な歌詞。だのにこの光景に違和感を抱いているのが全校生徒1000人余の中にあって、自分ただ一人なのだという驚き。孤独感に打ちひしがれた少年は縄跳びどころではない。

子供には到底消化出来ないであろうモヤモヤとした気持ちを抱え、俺は家に帰る。台所に立つ母親の背中。ラジオから聴こえてくる歌に合わせて、母親が歌っていた。

「な~んか~いもフンフンフ~ン♪」

ガラガラヘビがやってきた。俺の家にもやってきた。

確かに耳に残る歌かもしれないが、なぜあんなハレンチな歌が日本を席巻したのか。
自分ひとりを残し、地球は宇宙人に占領されたような、そんな気持ちになった。

ハイエナズクラブ自由研究2018について

ハイエナズクラブで個人ブログ・サイトを対象としたコンテストをやっております。

現在も募集しておりますので興味のある方は是非応募してみてください。募集要項は下記のページで見ていただければと思いますが、簡単に言うと「一発の記事」ではなく「ブログ・サイト自体」を評価する内容となっております。

ある程度運用日数、記事数があればOK、つまり取り立てて面白い代表的な記事がなくても全体的になんとなくおもしろければ問題なしという事ですね。

 

hyenasclubs.org

 

僕は個人的には2002年からネットにテキストだけの日記を書き続けているので何となく自分はインターネット属性的にはテキスト・日記ブログ系に属しているのかなと思うようにしているのですが、だからこそ今回の企画は結構楽しみにしております。

自分の感覚でいくと12、3年前ぐらいに個人ブログが流行って、当然その時はテキストばかりの日記ブログが主だったわけなんですが、何か今思うとみんなが個人ブログに長文書いていたすごい時代だったなと思うわけです。

その後SNSの登場、Twitterのような短文から始まり画像だったり動画だったりと表現の形様々な色んなものが世の中に出てくると、個人ブログである必要もなくなってきました。

特にテキストに関しては悲惨で、日記ブログなんてもんは陳腐化して、僕自身も段々わざわざ長文にするまでもないことはTwitterに流してお終いということが増え日記の更新も減っていったわけなんで、同じ様に世の中からはテキスト、日記ブログはどんどん減っていったように思うわけです。減っていったのかただたんに自分自身の興味が薄れていったのかは分かりませんが、あまり周り(ネット的な意味で)でブログなんてやってる人を見なくなったのは事実です。

最近よく見渡すと自分と同い年ぐらい、または若い方で面白いブログをやっている人がまた増えたなという気がして、まあこれもまあ自分が積極的に探そうとした結果であるので実際にはずっとやっている人に気づいただけかもしれませんが、少なくとも、若くてブログをやっている人がいるというのはブログ文化はどこかで断絶されたわけではなくずっと続いていたんだな、好きな人は流行ろうがなんだろうが勝手に続けるという当たり前の事実に気づいて嬉しくなったしだいです。

 

bokunonoumiso.hatenablog.com

 

個人的にも昨年zukkini賞などと偉そうなこといって面白いブログまた読む動機付けをしたりなどしてきましたが、こうやって能動的に探しにいくとまだまだ世間にはタダでこんなに面白いブログがあるんだなあと思い知らされる次第。

ハイエナズクラブのおおきちくんやノオトの神田さんとは面白いブログを教え合う秘密の会を結成して日々連絡を取り合っているのですが、今回の企画でまた知らないおもしろブログに出会えるのを楽しみにしております。

そんな中で知った幾つかのブログを以下に挙げてみました。既に多数のファンを獲得しているものからあまり知られていないものまで、現在色んなブログをどれも素晴らしい筆致、みんなすごいな、がんばろうと思ってしまいますね。(がんばっても僕はもう何もないんですが...。)

 

note.mu

 

givemealcohol.hatenablog.com

 

www.shortnote.jp

 

motoimotoi.hatenablog.com

 

shirotodotei.hatenablog.com

 

それぞれに紹介コメントをしたいところではめちゃくちゃ長くなりそうなので今回は割愛します。

今回審査員をやりますが、個人的には笑いの要素や派手さなどは不要だと思ってますので、いいなあと思えるブログを見たいと思っておりますので是非応募してみてください。皆さんのブログお待ちしております。

 

ある戦争体験者の話

佐賀県育ちの俺はというと、小学生の頃の修学旅行といえば決まって長崎であった。
同じ隣県の福岡よりも異国情緒溢れ、手っ取り早く観光地を味わえるのも理由かと想像するが、選ばれるもう一つの理由は長崎が原爆が落とされた都市であることで、平和教育もその中に盛り込まれるからだ。

グラバー邸や稲佐山オランダ坂など、観光地はきっちり押さえつつも平和教育は最優先。色んな名所を回りつつも、記念撮影はすべからく平和祈念像の前であった。

平和祈念講演会なるものが初日に行われ、長崎に到着したらなによりもまず戦争体験者の話を聞くことになっていた。

忘れもしないあのときの平和講演会。話し手は地元のおばあさんだった。深々とお辞儀をし神妙な表情で語り始められた戦争体験談は前半・後半の二部に分けられたのだが、内容のうち、前半は完全に「自分が若いときにいかに美人で評判だったか」というものだった。

教師、生徒、みんな神妙な面持ちでそれを聞いていた。