ジャニーズカウントダウンライブはマジですごい

ある年の大晦日23時、様々な年末番組のザッピングの果てにたどり着いていたのは「ジャニーズカウントダウンライブ」だった。

各局が年末のスペシャル感というものを履き違え、無駄な馬鹿騒ぎに興じる中、この番組は、このジャニーズカウントダウンライブだけが年末にふさわしスペシャルな感じを表現していたのである。

俺は元来ジャニーズのファンなどではないまったくの素人であったが、他の番組があまりの体たらくぶりであったためか、実家のリビングで男一人、気付いたらこの番組に完全に見入ってしまっていた。

ド派手な演出、煌びやかな衣装、悪趣味なゴンドラ!これぞ在りし日の日本の大晦日
あっちで嵐が歌い終わったと思ったら、今度はこっちでV6、かと思えばその下からKAT-TUNと来たものだ!みろ、タッキーがアリのようだ!

「ならばNIN-JAは?」と待ち構えるがさすがにデッドストックを引っ張り出してくれるほどのコアなサービスは無かったものの、それでも大先輩・ヒガシがちゃっかり登場してくれば「あ、ひがしだ」など俺も見たことをそのまま声に出さざるを得ないほど大興奮。ファンは勿論、ファンならずともその怒濤の攻めに圧倒されっぱなし。つーわけで、ジャニーズカウントダウンに勝る大晦日番組を私はしりません。

そして「ん?これは?!」と、デジャヴのように思い出したのは小学生のとき。あれは子供クラブのソフトボール大会の後で行った地元のバイキング「ヒコバンバン」で初めて体験した「好きなもの食べ放題」の感動と同じであった。

あっちにカレーがあるかと思えば、今度はこっちで焼き肉、かと思えばその下からロールケーキと来たものだ!あと、名前わからんけど美味い肉などがとにかくいっぱい!

てな具合に熱狂する女子ファンたちの興奮たるや、恐らくあのときカレー食べるぞという気持ちと焼肉を食べるぞという気持ちで意識と体が5対5に分かれた結果体が半分に裂けて死んだ俺とほとんど同じものだっただろうと想像できる。

 

過去のバイキング体験に思いをはせる俺の前では、年越しカウントダウンを経て更に盛り上がるジャニーズカウントダウンライブが続く。その後もジャニーズ様の責め苦は遠慮知らずときたもんだ、番組中盤、亀梨クンと松潤の夢のコラボが実現したときには、俺は「ならん、ソレとソレとは混ぜてはならん!!爆発するぞ!」と叫んでいたものです。ヒコバンバンではコーラとカルピスを混ぜたものを何杯も飲んで腹を下した俺がそう思うのだから間違いがない。

あの大晦日スペシャルな感じを出していたのは間違いなく「ジャニーズカウントダウンライブ」ただひとつ。今年はひとつ、皆さんも是非ご覧ください。

ヤクザに絡まれる機会があるか

「ヤクザに絡まれた」なんていう言葉を最近あまり聞く機会も無い。最近ヤクザはなかなか絡まないし、そもそも街で「アッ!ヤクザだ!」と分かるような出で立ちもしていないので絡まれた相手がヤクザなのかどうかも分からないかもしれない。暴力団排除条例があるわけだから、ヤクザだって最近では不用意に、無計画に絡むと打撃を被る時代である。

だが以前仕事で訪問した会社では「ヤクザに絡まれた」という3名の方の貴重なお話を同時に聞くことが出来た。なかなか最近では聞かない「絡むヤクザ」の存在に、まだまだ日本も捨てたものではないと心を躍らせてその話を伺うことにした。

 

聞けばこの会社、社用車を停めるビルの地下自動式駐車場にて、近隣に事務所を構える「ヤクザ」と同じところを使用しているのだそうだ。分かってんならやめとけよと思うのだがやめないらしい。本当にヤクザなのかどうかは定かではないが彼らはヤクザと呼んでいる、それだけが事実である。

自動式駐車場は地下スペースを有効に使えるため都市部のビルでは多く採用されているのだが、地下スペースに停めた車をボタンキーで呼び出し、昇降・水平移動にてオートマチックに運ばれてくるまでの時間は他の利用者はしばし待っていなければならないという難点もある。そしてまさに、そのほんの2、3分の待ち時間にこそ「ヤクザ」との接触が多発し、彼ら曰くそこで不幸にも絡まれてしまうのだという。

 

一人目、営業の仮にAさんとしておこう。Aさんのケースはこうである。

「いやあ、オレがクルマ出そうと地下のシャコに行ったら呼び出し口のところにヤーさんが電話しとったんヤ。コッチかていそいどってソイツの電話終わるまで待っとられんからナ、『あのう、車出させてもらってよいですかー』って懇切丁寧に言うたらヤなあ、点滅するランプを指差しながら『見たら分からんか?今車出しとんやろがボケが!オ?!』って凄まれてヤなあ。いッやあ、ほんまヤクザはタチ悪いわあ・・・」

続けてもう一人。Aさんの上司、Jさんとしておこう。Jさんのケースはこう。

「いやいや、あるわあるわ、似た話あるわ。オレのクルマようやく地下から上がってきたからナ、車出そうと乗り込んだときにナ、ほなら、電話掛かってきたんヤ、それ専務ヤったもんヤから取って話をしトッタんヤけど、それがようさん長話になってヤなあ・・・、そんでしばらくしたらドンッって車が揺れる音がしてヤな。ったら、コレよ(頬にキズのジェスチャーをしながら)。窓開けろっていうからやなあ、ハイハイいうて開けたら、、『お前ナニやってんだ?オ?蹴られても文句いえねーよな?!オ?!早よ出せや』ってボディ蹴りながら顔を近づけてくるワケよォ。いやあ、ほんまヤクザはタチ悪いわあ・・・・」

最後、部長。Bさんとしておこう。彼は駐車場ではないが、運転中の経験談を語ってくれた。

「あいつらタチ悪いけんの~!ヤクザのクルマとは揉めんほうがいいで~!昔三重に出張行った先で、当時のセンムのせとったら、センムが急に道間違えた言うもんでUターン禁止のとこやったけど『ええからせい』てセンムいうから急ハンドルでUターンしたらよりによってヤーコーの車にぶつかりそうになってやなあ・・・、おりてきたコレに(頬にキズのジェスチャーをしながら)アレよ(胸ぐらを掴まれるジェスチャーをしながら)」

「・・・・」

賢明な読者の皆さまならすでにお気づきだろうが、いずれのエピソードも悪いのはコイツらである。

「いやあ、オレが鮫の居る海域でヤなあ、海水浴をしトッタんヤ。したら鮫が前方をゆた~とおよいどったんヤ。ジャマやなあとおもったんで、モリで懇切丁寧にツいたらヤなあ、ガッブゥって噛まれてヤなあ。いやあ、ほんま鮫はタチわるいでえ・・・」

こういうことではないのか。

こんにゃく畑はタチ悪いけんの~!こんにゃく畑だけは食べんほうがいいで~!昔三重に出張行った先で、当時のセンムと飯くっとったら、センムが急に冷えたこんにゃく畑が食べたいいうもんで、『凍らせると硬さが増します』って書いてあったけど『ええから冷やせ』てセンムいうから凍らせたらやなあ・・・」

こういう輩ではないのか。

やりきれない思いをぶつける先は商談ノートの中だけであるからノートの端に「ヤクザ、悪くない」と殴り書きして「今後ともよろしくお願いします」とその客先を後にする俺であった。

クラクションは無表情で鳴らせ

20代の前半。2年ほど狭い築地市場内をターレットやフォークリフトに乗って荷物の回収などをしていた。

行きかうフォークリフトの大半はガス式で、セリも終わったころに清掃が入ってくれば更に長年蓄積したホコリが舞い上がる。すべての荷物が引き上げられる頃には、排ガスとホコリで空気は最悪。昔はアスベストが使われており、撤去はされたものの粉塵は市場のあちこちに蓄積されていたのではないかと思えてならない。

このように移転する前の築地市場は狭く汚く危険も伴う昔でいう3K職場に近いものがあり、その実冬になると乾燥もあいまって俺もほぼ毎年長期に渡って風邪を引くなどしており、そこで働く人間の健康面でも怪しいものがあったので個人的には移転してよかったと思っている。

そのような環境面の理由もあってガス式のフォークリフトターレットはクリーンで騒音も少ない電動式へと変える動きが盛んになったのだが、電動式は音が静かなことが災いし、うるさい市場内ではその接近を人に気づかれないというデメリットもあり、クラクションなどを鳴らす場面がかえって増えることで騒音面ではあまり改善されたようには思えなかったものである。

そして、またそのクラクションであるが、働いている人々の中には皆様のご想像通りテヤンデエテイストの荒っぽい人も相当数いるものだから、歩いている知らない人にマシンの上からいたずらにプップードケドケなど、特に若い者が変に鳴らすと「ナンダテメエ」と怒らせるという事もままあり、先輩からはクラクションを鳴らすときは努めて無表情に、目線は合わせず無表情で、笑顔でもダメ、当然迷惑そうな顔など絶対にしてはダメという指導を受けたものである。これはただの合図、「道を空けて欲しい」という記号でありそれ以上でもそれ以下でもないことを無の表情で示すのだと。

「これは一般道運転するときも同じだけど」

そういう前置きで言われたのはクラクションをするときはできれば変なまばたきもするなと、変な意味が入るからと、たかがフォークリフトのクラクションでありながら、さながら俳優への演技指導のようにそう言われたものである。何の話をしていたのだろうかと今でも思う。

築地から豊洲市場へ一斉に移動するターレットの列をニュースで見た。その中にガス式のターレットがまだ残っていたのか分からなかったが、豊洲新市場はクリーンで清潔な最新鋭の市場になるらしいからもしまだあったとしても早い段階でガス式の車両は一掃されるだろう。クラクションをまばたきするな、無表情でやれなどど後輩に演技指導する先輩もいなくなるだろう。

「ガス車は重心が低いので片輪走行ができる」

そういって電動の連中に見せ付けるように、仲卸の若い連中が築地市場の立体駐車場から市場へ繋がるスロープをガス式ターレットで高速で下ってきてはカーブを急ハンドルし片輪走行する築地のダイナミックな朝を見るのが俺は好きだった。

アメリカ人がクビになる瞬間を見てしまった

人が会社をクビになる瞬間を見たことがあるだろうか。俺は先日見てしまった。

出社した朝にいきなりクビを言い渡され午後にはいなくなるのはアメリカではよくあることと聞いてはいたが渡米3年目でついにそれを見てしまった。

最近アメリカも景気がよく俺の業界ではむしろ人手不足が叫ばれていた、そんな中クビになってしまったのは最近採用された事務員のメロディさんである。

残念ながらメロディさんは仕事が全く出来なかった。物覚えが悪く、メモもとらなかったばかりか面接でハッタリをカマしており、出来ると思われていたスキル、過去の経歴はほぼパチモンであるように思われた。しかしこの辺は出来ないことも出来ると大げさに自己アピールしたもん勝ちとされる、ある意味アメリカあるあるでもあり今更驚くべきことではない。

問題だったのは自分の健康状態に関する重要な情報を隠していたことであった。ある週、メロディさんは分かっているだけで仕事中に4回も意識を失うという離れ業をやってのけ、その週ときたら俺たちはメロディさんが気絶してないか仕事中に時々確認するという謎のルーチンが加わってしまった。

そんなわけでメロディさんのことは人事部マネージャーに伝わり、あっけなくクビが決まってしまったというわけである。

通常、アメリカでも日本と同じくエージェントを介して人を採用することが多く、数ヶ月間は試用期間的な意味合いであるため、解雇はエージェントを介して「あなたはうちに合いませんでした」的に割りと活発に自由に行われるわけだが、最初に書いたとおり我が業界は深刻な人材不足、エージェントに依頼するだけでは人が集まらず、結果メロディさんは通常とは異なりエージェントを介さない直接応募の枠で採られた初めての例だったのである。

クビは早々に決まったが問題はエージェントを介していないこと、あとは隠していたとはいえ健康状態を理由に人を解雇するのはマズいということであった。裁判を起こされてはと解雇は慎重に行われた。「何時までに○○のスキルを改善しないと解雇されます」という類の中間警告を2回、しかしメロディさんはハッタリで入ってきているので改善するもなにも「それはなんスか」状態でその期限になっても当然まじりっけなしの、昔のメロディさんのままである。

そして先日のクビ通知である。アメリカのオフィスは日本と違って個々人のデスクには簡易的な間仕切りがあり一応独立した空間になっているとはいえ、メロディさんは会議室に呼ばれることもなくデスクに座った状態で解雇通知をされた。

解雇された人を初めて見たが、まるでそれまで入っていた「会社員」というソフトがアンインストールされたかのような無の顔になり、今の今までやっていた作業もそのままにすっくと立ち上がり、無駄のない、最短距離の早足で会社の出口を目指し、そして無のまま出て行ってしまった。あんなに俊敏で無駄のない動きをするメロディさんを俺たちは初めて見た。

ファミスタじゃん...」

その帰っていく速さ、無駄のなさ、それは一塁でアウトになったファミスタのランナーとほとんど同じであった。「ファミスタ」と呼ばれる初代ファミコンの野球ゲームソフト、知らない人のほうが多いかもしれない。一塁に向かってとろとろ走るランナーが一塁でアウトになった瞬間、自軍のベンチに向かって無駄のない最短距離での高速移動でビューーンと帰っていくゲームである。

調査N数はまだ1ながら、突然解雇されたアメリカ人のムーブはアウトになった初代ファミスタのランナーと同じであるという説を今後唱えていきたいと思う。

「電車」と呼ばれた人々

移転する前の築地市場は目の前に朝日新聞、三井商船、そして電通から見下ろされる場所にあり、そこで働く彼らとは、彼らが高層ビルから下界にある物珍しい観光地へ降り、ランチなどしにくるときにだけ時々遭遇するだけであった。

一応同じ会社勤めではありながらかたや汚れた作業着をまとい毎日フォークリフトに乗り倉庫からパレットを引っ張り出してはトラックに荷を詰め込む肉体労働の日々、彼らへのコンプレックスの高まりは1年目の冬、大量に各産地から出荷されてきたあふれんばかりのみかんのダンボールに囲まれ検品しているときにピークとなった。

辞めたいが若い以外に取り柄がない、などという絶望的な会話を12月の午後4時、うず高く積みあがったダンボールの奥で高卒のフォークリフト乗りとみかんの段ボールの中から拝借した一つを食べながら鬱々と話したものである。俺は大卒であり、あの当時24歳、彼よりはまだ未来はあったはずだったが目の前にそびえ立つ大企業の高層ビルに見下ろされながら屋外で汚れながら働くとその落差、現在位置の低さをまざまざと見せつけられ、一気にそこまで、その近くまで駆け上がろうなどという気力もそがれるというもので、思いつくのはせいぜい運よく仕事を変えられれば、30歳になった頃にそれなりに幸せだったらそれで満足しようとその程度の目標であった。

 

その年の冬。みかんの出荷量は例年比120%とかで、毎日押し寄せるみかんの段ボールが組まれたパレットが市場内の荷受所に収まらなかったのを覚えている。みかんの段ボールは築地市場をはみ出し、築地の横を流れる築地川の近くを走る運送業者用の道路にまで達し、時にみかん泥棒に段ボール100ケース丸ごと盗まれるなどしながら、汗水たらして一日中みかん、みかん、みかんとみかんの事ばかり、みかんの置き場所、みかんの売り先、みかんを取りにくるスーパーのトラックの時間だけを考えて生きていた。築地川からは電通ビルがよく見え、見ているはずもない電通社員の視線を気にして築地川での作業は早々に切り上げたものである。

その年はあふれかえるみかんの管理が追いつかず、とうとう会社が派遣社員を雇うことになった。5名の派遣社員に与えられた業務はひたすらに荷崩れした段ボールを積みなおし、出荷数量にあわせて段ボールをパレットの上に乗せ、トラックが来たら積荷を手伝う。工場内の単純作業の類であった。にもかかわらず、集められた5名は示し合わせたように全員華奢でメガネをかけており、そして完全なる偏見でいうところのいわゆる「オタク」と呼ばれる人々の風貌、挙動。殺伐とした築地市場にあって、常に5人で行動をともにし、1つの荷物を2人でヨイショヨイショとやる和気藹々とした光景などを披露し、というかその口調が完全にオタクであったというシンプルな特徴が決定打となって、いつしか周囲からは「電車」と呼ばれるようになっていた。

人に対して電車というのは奇妙に聞こえるが、これはその当時にわかに流行った「電車男」が由来で、それが縮まり「電車」、つまりオタク的なものを指した蔑称にも近いものであった。築地市場の労働者がオタクという概念を簡単に理解するにはわかり易い電車男が手っ取り早かったのか、彼らはこうして電車と呼ばれるに至ったわけである。

電車クンたちに今日はこの荷物運ばせといて、という形で俺のところに指示が入り彼らを集めてその日の作業を説明する。直接コミュニケーションを取るのは俺の仕事、時々仕事の進捗確認と次の指示をする為に集めるとき以外は会話はない。電車と呼ばれた人たちは皆俺より年上で、みたところ全員30代であった。20代の学卒1年目の自分の話をきをつけしてハイと素直に返事、頷きながら聞く彼らに偉そうに説明しながらも俺の視界にはなお高層ビル群が入ってくる。

「どうやったら社員になれるんでしょうね?」

作業中、彼らのうち1人が俺に突然話しかけてきた。何のことか確認すると彼は俺の会社の社員になりたいという。彼らと俺の間にあるのはほんの僅かな違いなのに、俺は努めて厳しく、冷たく突き放すように「なれるわけないでしょう」とだけ言い放ち、それぞれが無言でまた長く単調できついみかんの段ボールを片付ける作業に戻っていった。