ケツに挟まったトイレットペーパー

鍵を掛けただろうか、ガスコンロの火は消しただろうか、チャックが開いたままではないだろうか。気になって仕方なく、モヤモヤする。
調べるとこういうのを強迫性障害と言うらしいが、俺にも少なからずこうした確認せずにはいられない項目が幾つか存在し、本当に時々、気まぐれの様な極めて少ない頻度でこれらが気になって無視できない程面倒な事態を引き起こすことがある。
当然、杞憂であることが殆どなのだが、たった一回か二回の過失がよほど堪えたのか、それがベースとなってその後ずっと尾を引いている様だ。
すなわち、一度ミスをするとこの手の類は新たな確認事項として新規登録されてしまい、段々面倒になっていくわけで、例えば背負っているリュックサックのファスナーが開けっ放しではないだろうか、ズボンの裾が靴下の中にインされていないだろうか、ビジネスメールで先方の名前を盛大に間違っていないだろうか、、、と言った事もこれらに該当してくる。
一度犯したミスの再発防止の機能が果たせるならそういうチェック機能はありがたい事この上ないが、問題は一度気になると毎回気の済むまで調べないと落ち着かない事の方で、自分自身をこうも信頼出来ないとなると何かにつけて面倒であるという事である。

今朝の事であるが、朝の準備に関する諸々を済ませリビングに現れた俺を息子が指差して「なんだそれ!なんだそれ!」とヤンヤ騒いでいる。猿の様に俺の周りをぐるぐる、うしろ!うしろ!と言うのでうるせーなと思いつつなんか付いているのかと思い手を伸ばすと、何とケツからトイレットペーパーがまるで尻尾の様に伸びていた。なんとお猿さんはぼくの方だったんです。
汚い話で恐縮だが、クソをしたあとにケツを拭いてそのままよくも見ずにズボンを履いたところこの有様、ペーパーはケツに挟まったままである。息子とはいえ見られたら恥ずかしい男の醜態。思わず赤面した。

「静かにッ!」

さも重大事故であるかのような厳粛な雰囲気をたたえた顔でそう言うと、事の重要性に気づいたと思われる息子は言う通り即座に黙り、こういう時こそそそくさとした小者のムーブにならぬよう極めて厳粛に、それでいてゴジラが現れた時のようにゆっくりと大げさに、最期はソッと尻のトイレットペーパーを回収して妻にばれぬ内にタタタと小走りでトイレに向かい無言でそれを流した。

それからであるが、駅まで歩く通勤の最中、妙に尻のあたりが気になって仕方なく未だに取り残しのトイレットペーパーなどが尻尾の様にケツから垂れているのではないかも思うと冷静ではおられない。
何度となく車の窓に反射した自らをチェックするが、クソは拭えてもソワソワする気持ちは拭い去れず、こうしては新しい心配事である「ケツからトイレットペーパーが垂れているのではないか?」誕生の瞬間を迎えた次第である。
悲しい事だが、これからも付き合っていこうと思う。