あれは夢だったのか、阿佐谷北の激安焼き鳥「鳥仙」

阿佐ヶ谷の北、早稲田通り沿いに住んでいた。さほど広くも無いのに家賃は10万越えしており、今思うとかなり高い賃料だったように思えてならない。

子供が生まれてからしばらくして引っ越したこの家は、結局隣人問題などあり僅かしか住むことのなかったあまり良い思い出の無い家となってしまい、その家の思い出がそのまま阿佐ヶ谷という街自体の印象になったのがとても残念であるし、逃げるように転居したその4ヵ月後に今暮らす愛知県への転勤となったものだから、最終的には阿佐ヶ谷ばかりか「東京もしんどかったな」などというネガティブな側の東京のイメージの根本にもなっている。

阿佐ヶ谷という東京のど真ん中での子育ては俺にとってはなかなか難しく、本屋で子供が泣けば舌打ちをされ、電車などの公共機関では被害妄想を差し引いても随分と邪魔者扱いをされたもので、あれはちょっとしたトラウマだ。

東京と比べれば今の暮らしは確かに退屈であるとは言え、ひところ呪文のように唱えていた「東京は良かった」と言うのはこうした苦い思い出を加味していないのであまりフェアではない様にも思えてくる。もう少し状況が違えば望んで地方へ転勤していたかもしれないわけだ。

こうしたこともあって、今思うとあの頃の行動範囲は非常に狭く、ビクビクする様に家の周りでばかり遊んでいたのであるが、あるときその狭い行動範囲の中に「鳥仙」と言う持ち帰り専門の小さな、古い、小汚い焼き鳥屋が現れた。「鳥仙」はこういうお店に良くある「夫婦がニコニコ」して営業しているまさにその典型だったが、結局この「鳥仙」で焼き鳥を買えたのはその、最初の一度きりであった。

それはそれ以降開店しているところを見ることが無かったからなのだが、たまたま営業時間にヒットしなかったからでもなくまるで最初から開いていなかったかの様に、以降は営業している気配すら無くなったのである。

「鳥仙」のメニューはいたってシンプルであった。やきとり、皮、レバー確かこの3種類。「やきとり」と言うのはつまりは鶏ももだったのだが、これが1本たったの40円だった。本数に制限はなく、知る限り都内でも一番安い水準だ。

たまたま見つけたその時は「いい店見つけた、またこよう」ぐらいに考え、とりあえずの15本を購入し持ち帰ったのだが、書いたとおり「鳥仙」とは結局それっきり。

忘れもしないが、俺の前に並んでいるおじさんは「やきとり」だけを40本ぐらいまとめて購入。安いからと言って買いすぎだと思ってドン引いて見ていたが、よく考えればその安さならば転売しても悪くなさそうだ。

家に帰って食べた「鳥仙」の焼き鳥はまあごく普通だったが、普通であるからこそ値段を考えるとその格安感は更に増し「今度はもっと買うぞ」と興奮したものであったが、その後何度も店の前を通ったが開くことは無かった。本当に夢でも見たのかと思うくらい。

と言うわけで、東京を離れる最後のほう、なんかこう言うハッキリしない記憶が多いことに最近段々気づいてきた次第である。