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コレクションするということ‐味楽の原付写真集

ゴンズイやイワシ、草食動物が群れを作るように、弱いものは数で勝負し強いものに対抗しようするわけだが、自分には人に勝てるような専門的な技能も、何かに挑戦する度胸も、時間をかけてコツコツやるような忍耐力もないと早々に気づいた俺もやはり、とりあえず物を沢山集めて数で勝負しがちである。

収集癖は子供のころに始まり、小中学生の頃はボトルのキャップや色んな説明書といったどうでもいいものを大量に、病的に集めていて、大学生の頃はレコードやCD収集にその情熱が向けられた。

 

omocoro.jp

 

社会人になった今でも自分の運営するサイト上でメンバー総出で街中のどうでもいいものを集めて記事にして発表している事から、俺の人生はこれからもコレクション、収集の類からは逃れられないのであろうと思われる。

 

hyenasclubs.org

 

本来集めるだけなら暇さえあれば誰でも出来る作業、実際に集めている人間の大半はそこで終わっていて、殆どが「俺がこの分野のトップコレクター」という陣取り合戦にも似た自己満足の世界である。

そこに分類や見解といった情報の整理、研究作業が加わってこそ一歩進んだ収集だと思うが、それが難しいからこうして我々はただのコレクターのまま死んでいくのである。

 

今日はそんな俺のどうしようもないコレクションのひとつを紹介したい。その名も「高円寺の中華料理屋『味楽』の原付写真集」である。味楽については昔のブログで言及したことはあるが、まあよくわからねえと思いますんで、まずは見てもらいたい。こちらである。

 

 

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見てのとおり、ただの原付である。全く理解が得られないだろうが俺が延々撮り続けたのはこの原付である。

高円寺南口を歩いていると出前に行く味楽店主にしょっちゅう遭遇する。味楽の周りにはマージャン店が多く、味楽といえば出前がとにかく多い店だったからだ。

そしてその出前を支えたのがこの原付。

 

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この原付は店の敷地でもなんでもない裏の路地裏にいつも勝手に停めてあり、出前で呼ばれるとここから勢い良く出動していたのだが、なんかその一連がサンダーバードが山の中から出動する時の様な格好良さがあり、、などともっともらしい事を書こうとしたがそれは嘘で俺も何故これを撮ろうと思ったか今でも謎である。マジで謎である。

 

 

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前の写真と同じ様に見えるが別の日に撮った写真であることは隣に泊めてあるバイクで判断して頂きたい。高円寺から離れて以降、高円寺に飲みに来たら大体、毎回味楽の原付を撮って帰っていたように思う。

 

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何回撮っても同じ原付であり、角度を変えてもやはり同じ原付である。

 

 

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味楽の原付を通して高円寺を切り取りたい...そんな嘘っぽい理由付けも考えたが、どう考えてもただの原付である。高円寺に来たら撮る、脳みそを1mmも使わないそんなただのルーチン作業。

 

 

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ただ「数を集めれば、何かが起こる。」そう信じて俺は味楽の原付の写真を撮り続けた。暑い日も、寒い日も、雨の日も、俺は高円寺に行けば味楽の原付を撮る。

しかーし!ただの原付なので何も起こす力はないのである。

 

 

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撮り続ければ何かが見えてくる...そう思ったりもしたが不思議なことに、何も見えてこないのである。何回もいいますが、それはただの原付だからある。

 

 

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しかしある時、いつもの様に味楽の原付を撮りに行こうとしたらまさに味楽の店主がいつもの場所から出前に出発する瞬間であった。俺は興奮して写真を撮った。

そして撮れた写真がこれである。

 

 

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俺は小さく声をあげながら写真を撮っていた。

今思うと失礼かつ気色悪い野郎であるが、味楽の原付を撮っていて一番興奮した瞬間である。

 

長年動かない味楽の原付を撮りすぎて、動いている原付を見ただけでこうも興奮するのか。コレクションし続けたものにしかわからない「喜び」、人はこういう瞬間を迎えるために、ただ自分のためだけに集め続けるのかもしれない。