コオロギの試食

昔築地の青果部門で働いていたのだが、この時期になると野菜や果物と一緒に、農産物の生産地からなぜか毎年コオロギが出荷されてきていた。

虫かごに入って、それが箱に入って、更にパレットに組まれ、何匹ものコオロギが築地に着荷した時はさすがに珍しくて仕事をサボって見に行ったものだが、こういった食料品以外のものが出荷されるのは珍しくなく、例えば趣は若干異なるが料理に添えられる紅葉のような葉っぱ類もまた、立派な取引品目として高い値段で取引されていた。

話をコオロギに戻すと、このコオロギは築地に限らず主要な市場には取り敢えず季節を告げるものとしてごく当たり前のように出荷されるようで、ただでさえハプニングの多い市場にこんなものが送られてくるのであるから、各市場、秋になるとコオロギにまつわるエピソードには事欠かなかった。

築地市場の移転問題でその環境面が話題になるが、市場とは元来汚いもので、当然のように危険であり、そして仕事はキツイ。立派な3K職場の一つであることは誰も否定しないし、そう言うものだと考えられている。もっとも、それも長い歴史の中で仕方なくそうなってしまったものと、これから作ろうとするものを同一視するのはおかしな話だが、市場はそんなもんと言うのが働いていたものの感想だが、言いたいのはそんないい加減な環境において大量に送られてきたコオロギが適切に取り扱われる訳もなく、なんと言うか、よくその辺に逃げていたと言うことである。

メジャーなコオロギハプニングとしてよく聞くものがある。これはよその市場で起きた話と聞いたが、狭く危険な市場を遠慮なしに走行する事で有名な市場のフォークリフトが案の定コオロギのパレットをツメで引っ掛け、虫かご大破、コオロギ大脱走で市場に響く虫の声、あらいいですねと相成ったらしく、この手の接触、荷崩れアクシデント自体は頻繁に起こりうる市場あるあるの一つでありなんら珍しいことではないのだが残念なのはその相手がコオロギのパレットだったことただそれだけである。

 

市場で荷崩れや接触事故、盗難、または試食などによる「損失」で品物が売れなかった場合、その荷物の負担は市場側が行うのが常である。俗に言う「会社負担」と言うやつだが、(これは実際には値段が相場以下であった時や売れ残り品の処理にも用いられていたと聞く)すなわち、このコオロギの荷崩れに対する補填処理にも「会社負担」が用いられた訳だが、その際この手の処理で最も使われやすく、慣れ親しまれたよりによって「試食」と言う処理コードが用いられた事により、彼は上司に呼び出され「コオロギ食うたんか!」なる味のあるご叱責を賜り、市場の伝説となったと言う話である。

市場の労働者は自らの浮世離れした労働環境や商習慣や伝統などを自虐とは少しニュアンスの違う、自己嘲弄に似たユーモアでもってネタにするフシがあったのだが、このコオロギの話もその類の作り話なのかは分からないが、ともかく今でもこの時期になると各地の市場では市場おもしろ話の鉄板として語り継がれているはずである。