小学生の頃の話だ。
ある日の夕方、俺が学校から帰ってきたら母親が一人、「ただいま」と言う俺に応えることなく、居間で静かにすすり泣いていた。
つけっぱなしのテレビを嫌う母親が、観てもいないテレビをつけっぱなし。様子がおかしい。
何があったのか全く検討がつかなかったが、子供ながらにきっと母親が一人で家にいる間に大変なことがあったに違いないと悟った。
俺がただいまと言っても返ってこなかったのは、そこまで気が回らぬほどのショックを受けたからなのだろうか。それならただごとではない。子供の想像力ではこういうとき「誰かが死んだに違いない」ということぐらいしか思いつかない。
俺が母親のところへ行くと母親はビックリしたように俺の顔を見た。
「どうしたの」という俺の当然の問いかけに対し、母親は衝撃の一言を発した。
「クリリンが死んだんよ」
どてっ!
≪誰かが死んだに違いない≫はまちがいではなかったのだが、それがクリリンだとは。
涙の理由がクリリンの死だということにびっくりしたが、それ以前に突然母親の口からクリリンという言葉が出たこと自体びっくりした。
つけっぱなしになっていたテレビからはCMが終わりドラゴンボールの次回予告映像が流れた。
これでようやく話がつながった。おそらく何らかの理由でさっきまで母親はドラゴンボールを見ていたのだろう。そして話の中でクリリンが死んだのだ。
次回予告の内容を見ると、母親が言うように確かにクリリンは死んでいた。正確には殺されたのだ。
天下一武道会が終わったあとのちょっとしたすきに、さっきまで元気だったはずのクリリンはあっさりと殺されたのだ。自らの脅威となる格闘家を狙った、タンバリンと名乗るピッコロ大魔王の手先に。
クリリンの死で泣いている俺の母親だが、実はドラゴンボールなど一度も観たことが無い。ドラゴンボールはもちろんのこと、アニメ、バラエティ、騒がしいものはほとんど観ない。
そんな母親が夕方ちょっとテレビをつけてみたら、たまたまチャンネルが合っていた「ドラゴンボール(夕方再放送)」がテレビに映り、そしてたまたまクリリンがタンバリンに殺されるあたりだったのだ。
しかしまぁ初めて観たドラゴンボールでこうも泣く主婦もそう多くはいまい。母親は登場人物もここまでのあらすじも、何もかも分からないのだけども、単純に今そこで行われている緊迫のシーンにすっかり見入ってしまったのだろう。
俺も覚えている。
アニメとはいえ、クリリンがタンバリンに殺されたあのシーンは悲しかった。緊迫した闘いの続いた天下一武道会終了後、緊張感から開放された和やかなムードの中、クリリンが何か忘れたというような理由で主人公の孫悟空たちからちょっと離れたそのほんの僅かな間に、クリリンはタンバリンに襲われ殺されたのだ。
自分の運命も知らずに無邪気に「ちょっといってくらぁ」と走っていくクリリンの姿が涙を誘う。彼のこれまでの人生、人柄を知るものには余計に辛い。それを知らない俺の母親ですら涙を流すのだから。
今までのクリリンの回想シーン、ついさっきまで元気だったクリリンの顔などがこれでもかと流れる。さながら葬式のよう。
それを観た母親が涙を流したとしてもそれはもうしょうがないのではないだろうか。これは一つのドラマなのだ。泣いている母親を見ると「クリリンはあと二回死ぬよ」とはとても言えなかった。
その日の夜、母親を元気付けようと「クリリンはあとで生き返るよ」と教えてあげた。母親思いのいい子だ。
すると母親は言った。
「誰ね、それは」
母親と言うのは大体この様なものである。