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能年玲奈(のん)を見ると、昔家にやってきたものの食べ方が決まらず痛んで捨てられた国産松茸を思い出す

思い出

「のん」として再スタートした能年玲奈の現状を見ると、我が家に大歓声の中迎え入れられたものの、どう料理するか悩みぬいた挙句持て余し、結局痛んで捨てられたたったある1本の松茸のことを思い出さざるを得ない。

 

子供頃、よく知らないけど大人が贅沢の象徴として持てはやすものだから子供ながらに「なんか凄い」とだけ認識しているものがいくつかあったが、今思い出す限りではステーキ、ハワイ、なぜかティラミス、それと今回の松茸がそれに該当していた。

親が国産の松茸をなぜか1本だけ貰ってきたとき、そんな俺を含む一家全員のテンションが爆上げになったのだから、家族の皆も概ね俺と同じような認識レベルだったのかもしれない。

 

松茸は美味い、松茸は凄い、松茸は最強、松茸さんには失礼の無いように、、、我が家には松茸はまだ早かったのか、家の中で次第に松茸の存在感は増すばかり。やんごとない松茸様だから、下手な料理で無駄にしたくはない、慎重に考えようと大事に保管された松茸。1本の松茸に翻弄される田舎の貧乏家族のせつなさである。

 

「この松茸をどうするか」

いつしかその決定権を互いに譲り合うようになり、遂には見て見ぬ振りが始まり、とうとう松茸はその存在を忘れ去られようとしていた。今思うとたった1本という微妙な量が問題だったのかもしれない。大体松茸たった1本で一体何が出来るのだろうか。

 

結局食べ方が決まらないまま、ある日松茸は傷んで食べられなくなって母親に捨てられた。

松茸が捨てられたとき、家族の間に妙な安堵感が広がっていた。