中華街といっても結局は一軒しか入れない問題

中華街に行こうと誘われたとき「中華街っていうけども、結局その中の一軒しか行けないから近くの中華料理屋でよくないか」という趣旨のことを言って相手を怒らせたことがある。

改めてみてみると楽しみは食いモンだけじゃないし、街を楽しむとかそういう趣に欠けた屁理屈のような発言であるし、そもそもせっかくの相手の誘いに対し我ながらバカなことを言ったなと思い今でも思い返して反省するばかりだが、それでも根本的な中華街に対する考え自体は今もあまり変わっていない。

「中華街といえど結局は一軒しか入れない」それは紛れもない真実ではなかろうか。

確かに、歩いているときは中華街だが、入るのはその中の一軒。俺はいま、いま...中華街にいるんだッ!中華料理店に囲まれているッ!というポジティブな自己暗示は努めてするけれども、それでも食べているときはお店と俺のマンツーマン、そこに全く「街(がい)」を感じることができないのである。

 

「カラーバリエーション」にも同じことが言える。例えば、車や携帯電話で「選べるカラーバリエーションはなんと12色!」など宣伝されたとしても、買えるのはその中の一つだけジャンと思ってしまうのである。

そう思うには失敗した経験も手伝っていて、昔血迷ってかわいい黄色いiPodを買ってしまい甚く後悔したことがその一因である。ある年突如としてカラーバリエーション豊富に売り出したiPod。買う前はそれを見ていろいろあって楽しいな、カラフルだなー、黄色もいいなーなどと思って買ってみても、結局手元に来るのはその中の1つなのであるから、その中で黄色を買ってしまうと当然のように「ただの黄色のiPod↓」という事実に向き合わなければならず、俺はなんでこんなケッタイな色をこうてもうたんや...と妙に恥ずかしくなったわけである。

沢山の色の中でキラキラしてこちらに手を振っていたときのあの黄色サンが、ソロに、単体になった途端、初めてその色自体の絶対的な評価の下に「うわ...黄色って変だな」って思う現象。

たとえば人気グループが解散して各々ソロになったときに、ファンには少なからず同じような気持ちの変化が起きるんじゃなかろうか。或いはファンがその中の一人に抱かれようとしたその刹那、「うわーコイツ、単体では無理」みたいな!揃っていてこそ、遠くからその様を眺めていこそ魅力を発揮するものがこの世にはある。

 

よくわからない話になったので最後になりますが、言いたかったのは中華街は結局一軒しかいかないことが多いので帰りの「うーん、近くの店でよかったな」感で毎回微妙な気持ちになるということです。それだけが言いたかったんです。