アフラックの鳥の声について

アメリカの生活について。

比較的日本人が多い地域に住んではいるものの、ホテル暮らしでまだきちんとコミュニティに入っていない俺はというと相変わらず旅行者に毛の生えたような状態で日々を過ごしている。

職場には日本人スタッフもあり、日本語を話す機会はそれなりにあるがそれでも周りは英語で溢れ、当然のように常に英語と向き合うわけである。

日本にいた時は海外関係の部署に所属していたこともあり、読み書きはさほど苦労しないが依然聞き取りには問題を抱えており、上司からは「しばらくはかかる」と慰められるものの急に聞こえるようになるイメージも湧かずホテルで只管英語のスキルアップに励む毎日。

とは言え、知っているはずの単語がネイティブの話し言葉になった時に全く違う音として出てくるという問題については知識として知らないと慣れるも何も、知らないと永遠に分かり合えないのではないかと思われるものも多々ある様である。

例えば「ボディ」を「バリ」と言うのは「お、おっすおっす…わしらもナイスバディと言うからギリギリセーフ…」と許容範囲であるが、「COSTOCO」を「Weらは『ト』の発音が苦手なんで」という理由で「コスコ」と言うのは全くの予想外であるし我らの日本電気こと「NEC」を「ネック」なんて呼ばれてはひとたまりもないわけである。

この様にアメリカ人の発音には慣れだけではなく知識としてある程度弁えなければ永遠に理解できない問題が多々ある様に思われる。

なのでそれはそれとして時間をかけて覚えるとしても、少なくともそれ以外のいわゆる耳の慣れについては、毎日映画で溢れかえったテレビを観るなどして体に染み込ませるしか手立てはない様である。

とはいえ毎日ホテルに帰りアメリカのアメリカによるアメリカの為のテレビ番組ばかりを観ているのも辛いもので一体彼らが何で興奮して何で爆笑しているのか全く理解できずに真顔で画面の前に佇むのも寂しいものである。

そういえば昔ビリージョエルの東京ドームコンサートに行った際、ビリージョエルが時々何か冗談を言ってもそこに居た日本人の誰も理解できずに微動だにできない中、英語の分かる一部の日本人だけが「ッタク〜、ビリーったらよ〜〜  ワラ」みたいに盛り上がって居てとても切なかったので次にビリージョエルがなんか言った時に俺がハハハッ!ビリーさん冗談キツいっすよ!と知った風に爆笑したらただのバンドメンバー紹介だったことがあり客の拍手の前の刹那、俺の声がドームに小響きしたわけだが、言葉の壁が生む疎外感というのはこの様に海外生活における最重要課題と思われる。

 

そんな俺が、昨日もテレビで健気に英語のお勉強をしている中、相変わらず聞き取り困難な英語をジッと耐えている孤独な時間において急に懐かしい、日本でもお馴染みのあるサウンドが唐突に耳に入ってきたのである。

それはアフラックのあの鳥がCMの途中、馬鹿の一つ覚えで発する「アフラック!」と言う皆さんご存知のあのヴォイスである。なんとここアメリカでもあの鳥の声は日本と全く同じ。もっとも、あの様な鳥の声をわざわざ吹きかえる必要性などハナから有るわけがないのはその後気づきなどしたが、まさか突然聞き慣れたあのアフラック!が聞こえてこようなど思ってもみなかったわけで、その感動たるや異国でまさかの同郷人に会う様な喜びで俺は人知れず興奮し「アフラックは日米共通!日米の共通点!」という今思えばどうでも良いことをこうして日記にしたためるに居ただったわけで有るが、こう、最後まで書き進めるに従い俺はなんてどうでもいいことで1500文字超もアツく書いているのかと段々情けなくなくなってきてもうこの話はやめることにします。