マミーは今日も仲間を呼んだ

最もゲームがしたくてたまらなかった小中学生を通じてずっと親にテレビゲームの類を一切禁じられていた俺は、従って殆どのゲームに関する知識を友達の家にお邪魔して後ろから羨ましそうに眺めていたあの限られた時間の中で得ていたわけである。

ゲームをやらせてもらうだけの為に、さほど仲良くない友達、さらには一度遊んだ程度のその友達の友達の家まで押しかけるなどして、「なんだあいつは」とほぼ無視されながらもゲームをやらせてもらえるチャンスを伺いじっとリビングに座って待つ事もあったが、それでもたまに「おれやりたい」などと厚かましくいってみるとやらせてくれるケースも多くその価値はたしかにあったのである。

下手くそな俺がゲームし出すとため息やあからさまな冷笑といった子供ならではの残酷な反応もあったように記憶しているが、背中から聞こえてくるそれらが気にならないほどに、俺はとにかくテレビゲームがやりたかったため全く意に介さなかった。

しかしこれも、長い時間をかけてたった一人のプレイヤーだけがコツコツと進めていくロールプレイングゲームではそうはいかなかった。ひたすら他人が進めるだけのゲームを後方から黙って眺めるだけになる。

時にはストーリーを進めるでもなく、ただ同じところをグルグル回って敵にわざと遭遇することで、プレイヤーのレベルをあげる為だけに費やされた1時間の不毛な”作業”ですらも黙って眺めていた。帰ればいいじゃないかとと思われるだろうが、ゲームを欲するあまり、自分がやらずともとにかくゲームそのものが見られればそれでよかったのかもしれない。思えば不憫な子である。

俺は当時流行っていたドラクエIIIを全くやったことがないが、ストーリーは友達がやっているのを黙って眺めて何となく覚えている。

鳥山明が描いたドラクエのキャラクターのデザインは特徴的で敵キャラの名前は今でも割と頭に入っているのだが、中でも記憶に強く残っているのがマミーである。マミーはいわゆるミイラなのだが、そんなマミーの特徴は仲間を呼ぶ事だ。仲間の名前は「くさった死体」、マミーより強くて厄介なこのくさった死体が出てくる前にマミーを殺さねばヤバいなどと友達が力説していたのを覚えている。

くさった死体、今思うと腐ってる癖に仲間思いの良い奴ではないか。どんな状況であろうと呼んだらすぐ来てくれる。(まさにくされ縁ですね)

かたや俺の友達はどうだ、仲間が後ろで仲間になりたそうにじっと見ているというのに放ったらかしでRPGですかい...など、自ら勝手に押し掛けておいてアレだが、くさった死体の仲間を思う気持ちを前にすれば少しは俺のことを考えてもいいではないかと思いたくなるもの。くさった死体によって友達のパーティーが全滅したときに感じた爽快感はこの辺からくるものだったのだろうか。

そんな訳でドラクエの、マミーとくさった死体という敵キャラは、結局一度もやった事もないドラクエの中でなぜか今でも印象の強いキャラクターとして俺の記憶の中に残り続けているのである。

 

随分とマミーに関する説明に時間をかけてしまったが、ここから話はその後十ウン年後、東京にいた時に入ってた社会人バスケットサークルでの話に移したい。アラサー、アラフォーひしめくそのサークル内に、メンバーの親戚の子で間宮くんというとても素朴な高校一年生が途中からチームに入ってきたときのことである。

ひと際若々しい間宮くん、当然のようにみんなから可愛がられると、ほどなく名前のマミヤをもじってマミー、マミーと呼ばれ愛されるようになったのである。そんな彼には時々連れてくる同じ高校の同級生がいて、もうお分かりかと思うが、俺はもう本当に悪いとは思いながらも陰でそのお友達の事をマミーが呼んでくる仲間という事で「くさった死体」と呼んでいたのである。

くさった死体はマミー以上に素朴な高校生で、無口な中にも秘めた熱い闘志が垣間見える線の細い高校生。直接サークル内に知り合いは居ないためドラクエと同様、マミーに呼ばれないと体育館に現れる事はなかったからか、結局俺は一言も会話する事はなかったのであるが、そんな彼を心の中でとはいえ「くさった死体」呼ばわりした罪悪感もあり今でも記憶には強く残っている。今ではもう離れてしまったバスケットチームではあるが、マミーとくさった死体、二人ももう大学生になっているだろう。元気なのだろうか。

俺も誰かのくさった死体でありたいと思う36歳の冬である。