父は息子の憧れでありたい

 

息子には早めに知っておいたほうが良さそうな事はなるべく教えてあげているが、それが口笛の吹き方だとか側転の仕方だとかビンのフタ集めやっといたほうがいいぞだとかしょうもないものばかり。それでも息子は喜んでおり俺は満足している。

おとうさんは自分ができないことを何でも知っている凄い大人である、という刷り込みが今のところ成功しているが妻はあまり快く思っていない可能性もある。

勉強などは母親が熱心に教えているが俺はいつもソファに寝転がってぼんやりし、幼稚園児のくせに熱心に算数などをする様を眺めながら、たまにフラっと近寄っては

「お前な、幼稚園児なら、この指の取れる手品を今のうちから覚えといたほうがいい。ほら、取れたろ。」

「すごい...どうやるの?」

「まあ、こっちにきなさい」

などと幼稚園児を惑わすクソネタを仕込んでまたソファに戻る。端的にいうと役立たずである。夕食時に息子が俺が教えた手品をしつこく続けて腹が立ったと妻。だんだんと息子の言動が俺に似始めているのを妻はどう思っているだろうか。

 

「お父さん、口笛で『おしっこ』って言ってみてくれない?」

 最近口笛を教えた息子が真剣な顔で俺にそんな相談を持ちかけてきた。お前はバカかといいそうになったが俺は父親、寸でのところで踏みとどまる。

「...ちょっと待ちなさい」

「出来ないの?」

「いや、出来るけど」

「じゃあちょっとやって」

何の目的で口笛の「おしっこ」を聞きたいのか全く理解ができないが、だからといって出来ないとは絶対には言えない。おとうさんは息子の憧れの存在。何でも出来る全知全能の神なのである。

「フィ、フィッフォ(おしっこ)」

案の定であるが、俺は口笛で「おしっこ」と奏でることが出来た。だから何なんだという響きであった。

「おとうさん、やっぱりすごいね」

「うん、そうだろ」

「すごい」

会話はそれで終わった為、何でこいつが口笛で俺におしっこと言わせたのか全く分からなかったものの父親の威厳が保てたという事実があればよいので俺は満足である。