「枯れ松の調査員」という仕事

6単位を取りこぼし呆気なく留年してしまった俺のその時の話はまたいつかするとして、不足単位が半期で取得できるものだけに与えられる秋季卒業システムにより俺の卒業証書授与式はその年の9月、大学のちょっとだけ広い部屋で数名の9月卒業者と共に静かに行われた。

4月からの仕事を早々に、また周囲の反対にも聞く耳を持たず築地市場でのセリ人とすることに決めた俺は20歳から住み始めた高円寺の風呂なしアパートに静かに別れを告げ実家の九州へ仕事の始まる半年間だけ戻る事となったのであるが、両親は留年したことよりも、留年して時間があるにもかかわらず何故ちゃんと就職活動をしなかったのか、何故築地市場でセリ人なのか、もっと言えば何故また東京なのか、どうして地元に帰らないのかなどなど、漸く帰ってきた息子に色々と言いたかったに違いないが、極貧生活で酷く痩せて生気のない息子の姿を見てドン引きしたとあって「東京に戻るならそのお金ぐらいは自分で出しなさい...」とだけ言って、半年間の実家生活をアルバイトをして過ごす様、静かに申しつけるのであった。

俺の故郷は九州某県第二の都市であったが、この某県がど田舎であるためか第二の都市とは言っても皆さんが想像する以上に寂れきった斜陽都市である。

目立った産業はなく観光が主のこの街で東京並みの賃金が得られるアルバイトを探すのは極めて難しく、加えて半年間しかバイトできませんという条件もつけばまともなバイトが見つかるはずもなく、帰省して一ヶ月間をほぼ無駄に過ごしていると、初めは憔悴した息子にやや柔らかく当たっていた家族にしても、段々と実家飯で肥えて血色もよくなる息子へのその視線の厳しさが徐々に増していくというのも必然というわけで、これは何とかしないとあと5ヶ月を留年以上に辛い時間を過ごさねばならなぬといよいよ本格的に低賃金の3K職場でも構わないからとにかく外に出て働かないとと、なりふり構わぬ形でのアルバイト探しにシフトしたわけである。

詳細は忘れたが短期で水産加工会社の早朝の肉体労働に申し込みをする決意を決めたまさにその日、先日書いた件のマンUカフェのヨッちゃんが市役所にツテがあることので短期間での市の臨時職員として雇われるこことなったのはまさに幸運としか言いようがなく、この仕事が僅か1ヶ月の超短期であったにも関わらず業務内容がPCを使った軽作業な上、その賃金が比較的良かったこともあり二つ返事でこれを受けた次第。

当初業務内容はエクセル、ワードなどを用いた簡単な資料作成、データ編集であったが得意のPCとあらばバッチコイと言うわけで、市役所各位が期待していたより仕事が早いものですから半月ほどで予定していた業務の大半を終えてしまったものであった。

するとこれには、このあと半年後には社会に出ていこうとする若者も過剰な自信を得てしまうというもので、この社会人予行練習問題を見事にこなす自分の姿に酔いしれつつも、そうすると思い出すのはこの後の就職先であり、この辺りから自分自身ですら「なんで俺は築地市場のセリ人になるんだ」という自問自答の日々が始まるのであったがそれは別の話としたい。

そしてこの、半月で仕事を終えてしまった空気の読めない若者をどうするべきかと悩んだ市役所の皆さんに与えられたのが今回のタイトルにある「枯れ松の調査員」という仕事であった。

枯れ松の調査員、読んで字のごとく枯れた松を調査する者である。市内に数多ある松が、マツクイムシという、これまた読んで字のごとくとりあえず松を狙って食う虫によって枯れてしまっている現状を調査しレポートを作るという、市役所が長年行なっている長期プロジェクトのメンバーとして選任を受けたわけである。

この特務を授かったその日から早速のミッションスタートというわけであるが、集合場所とされる事務所の一角に行くとそこに待つのはポツンと立つ小柄でやせ細ったおじさんただひとり。

「パートナー」と呼ばれる商用バンに市のロゴのついたものをあてがわれ小さな消え入りそうな声で「僕は運転出来ないから、運転して。」と言われて始めて、枯れ松の調査員がこのおじさんと俺のたった二人しかいないことを知る。その日からこのおじさんと二人だけの残り半月の枯れ松の調査が始まるのであった。

 

市の管理するエリアにある松林のリストに基づき松の現状を実地調査し、それをリスト化したものを業者に伝えマツクイムシに既におかされたものは伐採する。枯れ松の調査とその目的は簡単に言えばこんな具合である。

実地調査と簡単にいうがかなり過酷な内容でほぼ未開状態の山に身一つで入っていき松を見つけては近づいて一本一本その状態をチェック。けもの道でもあれば良い方で、大半は道無き道を、生い茂る草木を腰に携えたナタで払いのけながら進む探検隊のような仕事だ。

「あっ!松」

松を見つければ「松だ!」と叫び、駆け寄って状態をチェック。チェック済みで問題ない松には黄色、もうダメな松には赤のテープを工業用の太いホチキスでバチンバチンと留めていく。最初は松を見つけると妙にテンションが上がったものだが、次第にマツクイムシもっと頑張って跡形もなくこの街すべての松を食い尽くしてくれよと思う気持ちがかなり優勢になったものである。

移動、発見、ホッチキスの繰り返し。移動中はほとんど会話はない。松があったら無言で近づき「枯れてますね」「枯れてるね」とだけ言葉を交わし、工業用ホッチキスでバチン。

松の木がこうもあちこちに生えているとは知らずすぐに終わるだろうと思っていた俺をあざ笑うかのように松林は市内の山間部いたるところにあり最初の一週間が終わった段階でも調査は終わる兆しも見えない。

蚊の大群に襲われ、おじさんと二人でスズメバチから逃げたこともあった。あと蛇が目の前を通りおじさんだけ小さい声で「うわぁ…」と言って逃げたこともあった。

「今までどうやって調査に行っていたんですか」

夕方、作業帰りの車の中で今まで疑問に思っていたことを尋ねるとおじさんは「ここだけの話」と奥さんの車に乗せて連れていってもらっていた事を教えてくれたが、それよりも俺に言いたいことがあったらしくその答えの後に続けて語気強めにこういった。

「きつかやろ」
「市役所でこやんか仕事とは思わんかったやろ」
「いつもね、僕はこやんか人のせん作業ばっかり押し付けられるとよ」

キツい訛りで珍しく矢継ぎ早にそして悔しそうに、平たく言えば「こんな仕事したくない」とそう言うのである。そんな事を言われるとこちらまで辛くなるので言わないで欲しかったわけだが、俺はこのおじさんが市役所の他の職員に馬鹿にされているのを知っていた。

声が小さく人付き合いが下手で気も弱い彼が色んな雑務を押し付けられ、裏で色んなあだ名をつけられているのを俺は他の職員に度々連れて行かれたスナックのカウンターで何度も聞いていたのである。

東京で留年しズタボロで帰省してきたペーパードライバーの学生と市役所で冷遇されるおじさんの乗った車の名前は奇しくも「パートナー」、隣に座るこの相棒の為、何か気の利いたフォローの一つでも入れたかったものだが、社会経験の無さからおじさんのその恨み節にフォローのコメント一つ返すこともできずただ黙ってそれを聴きながらハンドルを握るのみ。

フラフラ、ノロノロと市役所に帰るその車は後続車に煽られながら、社会に出ても、大人になっても、まさか市役所でさえもこういうことがあるのだなと思うと何となくそういうものとは無縁のように思われた築地市場でセリをやる仕事も悪くないのかもしれないとそう思ったりもしたものである。

半月間の調査で幾つもの山に分け入り、ある時は崖を上り、またある時は離島へも一緒に行った。おじさんは帰りの車でいつも「きついねえ」としか言わないが、勝手ながら思い描いていたものとは程遠く自信を喪失して酒を飲むか部屋に引きこもるしかなかった東京での荒んだ学生生活に終わりを告げるのに、野山へ入って無心で松を探し続けたあの半月間はとても貴重な時間だった。俺の調査した松のデータがどれほど役に立つのか知らない。最初は重要な長期プロジェクトだなんだと説明されたものだが、その話が本当なのかもはや疑わしかった。あの調査結果だって実は誰も読まないかもしれない。社会に出ればそんな事もあるかもしれないとも思った。

俺は幸運にも契約満了と共に、同じ市役所の別の部署での臨時職員を斡旋してもらうことになり、おじさんはまた一人で枯れ松の調査となったようだ。昼飯の後、時々作業着のまま歩いて市役所を出るおじさんの後姿を見るたび「奥さんに拾ってもらうのだな」と思いながら眺めていた。

終り