マネージャー・スペシャルとは

車社会のアメリカであるからそこら中に洗車場がありその業態も様々。セルフ、ワンコイン、手洗い。洗車だけで独立しているものやガソリンスタンド内に併設されているもの等々。

先日出張先の街で入ったまったく知らない洗車チェーン、「マネージャー・スペシャル」という旗が掲げられており何か特別イベント感を出していたので興味本位で入ってしまった。マネージャー・スペシャル、意味は分からないが何かワクワクする響きである。

日本もほとんど同じかと思うが、アメリカではまず車で洗車場に入っていくとスタッフが出てきて自動洗車機では落ちにくい箇所をホースで洗って、その後車は自動搬送、洗車され、最後に待っているスタッフ1、2名が残った水滴をふき取ってくれ、そこで料金とは別にチップを払うという流れ。

その最初のところ、洗車場に入らんとするときに「マネージャー・スペシャル」の意味としてハッと思いついたのが日本でもパチスロ屋で時々見かける「新店長就任祝い!」とか、スーパーマーケットの「本店舗が本社より○○地区の特別強化店舗に指定されました!」のようなてめえの会社の内部の人事や方針を我々部外者に何のためらいもなくどうすかすごいっしょとアピールしてくるのを日本では時々見かけたアレである。

そういうのは社内事情なので宣伝に利用するのが相応しいのか分からないが、時に競争の激しいB to Cの小売店やサービス業はこのようなある種の派手さで他店との差別化が求められることもあるのかもしれない。

そのような概念がここアメリカでも「マネージャー・スペシャル」として存在するのかもと思いワクワクして「マネージャー」の登場を待ち望んだが、最初のホースを持って現れる中東系のオッサンは死んだ目で親のカタキのように前輪のホイールばかりを狙って水を当ててくるし、では最後にマネージャーが長年のマネージメント能力をフルに発揮する形で水滴をふき取ってくれるのかと思ったが、なんと先ほどの中東系のオッサンがまた出てきたのである。これにはビックリ、倒したはずの中東系のオッサン再登場。俺の前輪をきれいにしたあとユックリと歩いてきたのか知らんが、これがマネージャー・スペシャルなのか。

通常別々のスタッフがやる2つの工程を一人でこなすあのオッサンがガチのマネージャーだった可能性もなきにしもあらずだが、実際にそうだったとしても俺にはその価値が何も分からなかったわけだが、このようにマネージャーとか店長といった内向きの肩書きの発するメッセージは非常に概念的、また時には組織内である種主観的な価値として流通しており外部には伝わりにくいことが多いのかもしれない。

前職、商社勤めだった際に仕入先のメーカーがとんでもない不良品を納品し、客先にお詫びするなど大変な目に遭ったことがある。不良品を出すと処理が大変である。レベルがどの程度であろうと原因の報告と暫定対策、そして恒久対策などをつらつらと書いて先方が納得するまで説明するのである。

その報告書の打ち合わせに仕入先メーカーの工場へ出向いたときの話であるが、彼らから出てきた報告書の「対策」の中に見慣れない文言「『部長検査』を実施する」というものがあった。

はて、「部長検査」とな。これは何かと尋ねると彼らが答えていわく、

「はい、今回の問題の根本原因は発生源の製造上の問題とあわせて、それを流出させた検査体制にも問題がありました。発生に加え流出も改善しないとお客様にはご理解いただけないかと。」

「なるほど、で『部長検査』とは...」

「なので今度から管理職、中でも品質保障部の”部長”が数ヶ月間実際にラインに立って検査を行います。」

部長を出しますよエッヘンというような顔でそう説明するのであるが正直ピンと来なかった。野球で言えば若いやつには任せておけんとばかりに打撃コーチが代打に出てくるようなものであるし、部長って言われても実務から退いて久しい人をそこに立たせて意味があるのかという実際の効果面の疑問と、印象としてその「部長」がどの程度スゴいかなんて主観的な評価であって、外部には、客観的にはあまり訴えるものがないからである。

加えて個人的には「部長検査」というその字面の第一印象は病院で沈痛な面持ちにて白衣を着ている部長の姿。部下の管理の甘さから不良品を無残に流出させてしまった部長の脳波を検査し、フィジカルに問題はないか、内臓はどうかなど身体測定などを検査するシーンを想像したからである。

彼らの会社文化の中には当然かもしれない「部長検査」という聞きなれない単語を外部に発信しても変なメッセージを与えるだけであるし、そもそも部長が検査すると言われてもそれがどうした部長がなんぼのもんじゃい的な、我々の中にいる長渕剛的な部分が刺激されてマズいですよという事をやんわりとお伝えして何とか「管理職チェック」に落ち着いたが、そでもまだ管理職?それがどうしたほととぎす的な我々の中にいる織田信長的な部分が刺激される可能性はあったものの、メーカーの彼らの誠実な姿勢は伝わりその問題は何とか落ち着き事なきを得たのであった。

B to Cだけでなく、B to Bのビジネスシーンでもこのような事があるのだなと思った次第である。