まだ時々、ゆっくり留年する夢を見続けている

今でも時々夢を見る。目の前でゆっくり留年していく俺である。防げたいくつものミスをほったらかしにして確実にゆっくり留年していく俺を目の前で止めることもせずに眺める夢である。

俺は大学を留年した。単位が4単位足らなかったためだ。本気を出せば取れていた単位である。母親から怒りの電話があったあの日のことは今でも忘れない。第一声に「さぁアンタ、大変なことになったよ!!!」といわれたときには新しい弟でも出来たかと思ったものだ。

だがそれは留年のお知らせ。第4の審判が電光掲示板でロスタイムを表示した。彼の掲げる電光掲示板、その電光掲示板には赤いデジタル文字で「半年」と表示されていた。実況を担当するアナウンサーは言った。

≪おっ、ロスタイムはまだ半年ありますね!≫

つづけて解説者

≪まだこれ十分チャンスはありますよ≫

チャンスなどあろうか。

こうして22歳の春、俺の半期留年が決定した。それから半年間、留年の理由と思われていたバイトは親に禁じられ、学校と家の往復だけとなると元から一人の俺はますます一人になった。一学年もしくは二学年下の若者と一緒に授業を受け、終われば一人で帰る。同い年ぐらいの大学生が皆卒業し仕事を始めている。そして飲み屋で騒いでいる。俺は学生で最低限の食費と家賃を仕送りしてもらったが困窮していた。

いつもの無洗米に100円ショップで買ってきたレトルトシチューをかけるだけの食事が週に5日。留年の原因にもなったイタリア料理屋でのアルバイトだが、あのとき食ったまかないが忘れられず自分でスパゲッティをゆでたこともあった。ソースはシチューしかなくシチューをかけた。シチューごはんとシチューパスタ、シチューを食うためにガス代を払っていた。

曜日の感覚がなくなるのが嫌だったので、週末の夜には必ず発泡酒を買って飲んだ。ドラフトワンの500ml、週末を感じさせる唯一の存在。発泡酒一本で酔っては街を徘徊し、何も起きない月曜日がまたやってくる。

家には風呂が無かった。銭湯は400円。バイトしていたときならともかく、貧乏なあの時分、高くて行けない。家から自転車で5分ほどのコインシャワーは100円で5分。100円で済ませるために100円玉を入れる前に脱衣所で体にボディソープを適度に塗りこむ。お湯を少し出してぬらしたタオルで一気に体をこするはずが、コインを入れた瞬間開いたままの蛇口は俺に大量の放水を浴びせることもあった。目論見は外れ、塗りこんでいたボディソープが全部流れ落ちるのを「ちくしょうちくしょう」と一人個室内で叫びながら慌てて体を洗ったあの日。自転車で10分行けば100円で7分のコインシャワーがある事を知り真冬の夜に2分を求めて走ったこともあった。

≪まだこれ十分チャンスはありますよ≫

本当にそうなら信じたいとヘロヘロのままスーツをまとい殆ど死に掛けのメンタルで築地市場へ向かっていた。悪臭に近いあの潮の匂いで故郷の玄界灘を安直に思い出すほどに弱っていた俺は「もうここで働きたいなあ」という気持ちで、簡単に貰った内定に飛びつき、半年後には朝5時半から築地市場フォークリフトに乗っていた。

≪まだこれ十分チャンスはありますよ≫

まだあるのかよと思いながら転職を繰り返し幸い俺は今それなりに大きな会社で働き、アメリカで駐在員をやっている。人生どうなるか分からないものであるがそれでもまだ時々、ゆっくり留年する夢を見続けている。