受験勉強と角兵のたぬきうどん

勉強は学校と家でやれ、なる親の方針で子供のころから塾とか予備校の類には一度も行かせてくれず、大学受験ですらただひたすらに自学に頼るのみであった。もっともそれも俺だけではなく、ド田舎であったからまともな予備校もなく、中には福岡まで通うもの、地元の学習塾の高校受験講座を受けるものなどいたが、基本的にはみな自学、独学で受験戦争を戦い抜こうとしていたものである。

しかし一人で大学受験に向き合うのは孤独で不安な作業である。競争相手が見えず、自分がやっていることが正しいのかその確認作業も出来ない。そしてそんな思いをしている同じような受験生が自然と集まってきたのが地元の図書館の4Fに設置されていた「自習室」であった。同じ境遇の仲間達が学校のない週末に集まってきて、言葉は交わさないにしても互いに意識し合い、みんなと一緒に勉強してたのが良い思い出。

自習室は共有の広いテーブル席と仕切りの設けられた個室席があり、個室が人気。数にも限りがあり、完全に早い者勝ちだったので朝早くから並び、ダッシュで向かって場所取りをするところから始まり、一日中をそこで過ごしていたことが多かった。

夏休み中は同じ受験生も結構来ていたけれど、秋~冬にかけ、思うように伸びない成績に不安を感じ始めたのか、皆徐々に予備校へシフトしていくにつれ自習室に来る人も減っていった。それでも自習室通いをやめないおなじみの数人の中で特にその中の4人でいつの間にか昼の休憩に一緒に昼ごはんを食べに行くようになっていた。

元々同じ高校だがあまり喋ったこともない4人、たまたまみんなが丁度東京の私立大学志望という目標も境遇も似ていたものだから、全然知らない東京の生活を昼飯のときに、限られた田舎の高校生の想像力の中であーだこーだと想像しながら話すのがモチベーションになっていた。その中にいた、ワケあって1コ上の同級生である地黒でロン毛のコータロー君だけはこの田舎で当時でいうところのギャル男みたいなナリで、東京のことにも詳しいらしく「ざっと福岡の10倍くらい」とか「男はロン毛しかいないから今のうちからキミらも伸ばしたほうがいい」といった具体的なアドヴァイスをくれたりなどして大変心強かったものである。

そんな我々は昼飯には必ず、商店街にあった角兵(かどひょう)という地元にしかないチェーン店のうどん屋に行くようになっていた。田舎の高校生の小遣いなどたかが知れており、みな同じように金が無かったのでオーダーするのは必ず一番安い280円のたぬきうどん。財布がなぜかSUPER LOVERSのマジックテープ式財布だったコータロー君だけはいつも妙に金をもっており、天かすしか入っていないたぬきうどんを頼む3人をよそに、決まって天ぷらうどんをオーダーしては「あれのカスが俺たちにきてるのかな」などとセンボーのまなざしを受けていた。

夏~秋、冬にかけて、週末の通った角兵。毎回のたぬきうどんにもいい加減飽きてきた頃、コータロー君の天かすを食らう屈辱の日々に耐えかねたのか、ついにそのうちの1人が「オレは素うどんに行くから」とたぬきうどん界を旅立っていったが、素うどんは290円、ナルトとコンブが入っているだけで特にたぬきうどんと代わり映えしないシロモノであることに愕然として、10円惜しさに再びたぬきうどん界に復帰してきたのも印象的であった。

自分の金のなさを恨むべきではあるが、毎回変わらぬたぬきうどんに段々イライラしてきたのか、店員へオーダーするときに分かるか分からないかぐらいの臆病さでもって「手抜きうどん...」というのが通例になってきて、それにも飽きたあたりから、店に唯一いる若い女性バイトがオーダーを取りに来たときだけ「テコキうどん」とハッキリといい始めるなどの迷惑行為により受験のストレスを軽減していたものであるが、通いつめすぎた受験直前の冬ともなると、店員もこちらの顔を、この後入るオーダーを覚えてしまい、言葉少なに「例のものを」と言えば分かるようになってしまった。

なお、ルックス面では上京後の準備万端、我々と違い1人豪勢な昼食を楽しんだコータロー君がその後体育の授業中に足を骨折したことで東京の私大受験を断念したのは皮肉なものだが、そんなコータロー君以外は皆、目的通り東京の大学へ進学することが出来、上京を果たした3名は幸い今でも交流がある。

大学2年次にコータロー君を、彼の通う福岡の大学近くにあるツタヤで目撃した人の話では、ロン毛のまま髪がシルバーになっており、東の方向を見つめながらいまだ冷めやらぬ東京への想いを語っていたらしい。コータロー君について聞いたのはそれが最後である。

夏休みが終わると受験への追い込みも本格的に始まだろう。この時期になるとみんなで一緒に食べた角兵のたぬきうどんを思い出す。今はもうあの場所に店舗はないらしく、たぬきうどんも280円じゃないらしい。今度帰ったらまた食べに行きたい。俺は天ぷらうどんを食べたい。