中野駅前のラスベガス

ファミコン、ファーストフードに炭酸飲料と子供のころに親から色々と禁じられていたものが多かった関係でいつしか感心すら抱かぬようになり、結果としていやと言うほど自由を与えられることとなった大学生になって初めて体験するものが多かった様に思う。

進学と共に家を出て自分の考えで自由にそれらを経験をしていくうちに徐々に当たり前のものとなっては来たものの、食に関してはなかなか改まらず、ファーストフードや炭酸飲料は「砂や泥水を飲んだほうがマシ!」という親の洗脳教育の結果今でも飲むときは妙な罪悪感があり、結婚した当初は妻に「炭酸買っていいかな」などとたずねたり「週末はマクドナルドへいこう」など目を輝かせて提案して失笑されたほどである。

そんな家庭で育ったものだからゲームセンターという場所に親の同伴なしで初めて入ったのは大学生の頃、中野に住んでいた同じ大学の数少ない友人のフクダ君と共にであった。

フクダ君はスポーツ推薦で入ってきたバリバリの体育会で、俺と同じように父親がめちゃくちゃ厳しいという家庭環境もあってそれまでゲームセンターにはあまり入ったことがなかったのであろう、ある日の夜、隣駅の高円寺に住んでいる俺に「中野駅前にすげえところを見つけたから来いよ」と連れて行ってくれたのが駅前にあったゲームセンターであった。

俺が親の同伴無しに入った初めてのゲームセンターは父親の言う不良の溜り場でも恐喝の横行する治安の悪い場所でもなかった。子供も大人も、男も女もみんなそれぞれが楽しめるゲームに向かって楽しそうに遊んでいる。

子供向けだと思っていた俺のイメージを覆すスロットやカードゲームを模したマシン。ギャンブル性や娯楽性の高い大人のゲームセンターがそこにはあった。特に俺が没頭したのが機械制御の競馬場で小さな馬が走る競馬ゲームである。競馬場の周りの椅子に腰掛け、スクリーンに表示されたオッズを眺めながらコインを賭けて一喜一憂する。コンビニで買って持ち込んできた缶チューハイを飲みながらフクダ君が言う。

「どう、ラスベガスみたいだろ」

俺はベガスには行ったことがないがそのとおりだと頷いていた。たぶんフクダ君もラスベガスなんて行ったことはないはずだが、でも紛れもなくこれはラスベガスだ。夜のゲームセンターにはゲーム機の明りがラスベガスのように瞬いている。中野駅前のラスベガス、なんて楽しい場所なんだ。卒業と同時にフクダ君が中野を去ってしまうまで俺たちは時々思い出したように「あそこ行くか」と連れ立ってあのゲームセンターに向かったものである。

 

それからあのゲームセンターに行ったのはそれから6、7年後、大学時代にフクダ君と最後に行って以来のことであった。卒業後、彼の父親と同じく警察官になったフクダ君は中野を去り、他の大学時代の友人同様、卒業後疎遠になってしまったが俺は就職、結婚してまだ中央線沿いに住んでいた。

ある晩思い出し、中央線沿いで一緒に飲んでいた数人に中野にいいゲームセンターがあるから行こうと言い出したのは俺だった。

「ラスベガスみたいなんよなあ、すごいんだキラキラしてて」

嘘だろ、そんなもん中野にないだろう、などと言われながら駅から歩いて向かう最中、ラスベガスの場所を知らない彼らに黙ってゴミゴミした裏通りなどをワザと遠回りしながら大学以来殆ど足を運ばなかった中野駅の雰囲気をひとり感じていた。

 

数年ぶりにあのゲームセンターに着くと全てが以前と変わらずそのままだった。多少経年劣化は進んでいたが競馬のゲームもそのまま、大人も子供も楽しむあのゲームセンターそのままだ。懐かしかった。

「な、すごいだろ」

連れてきた彼らは冗談だと思って笑っていた。何がすごいのかわからない、普通のゲーセンじゃないかと言われ、その時俺が来たことのあるゲームセンターがここだけだという事に気づいた。そう言われると急に自信が無くなり、そう言われるとこれは普通のゲームセンターかもしれないと思い始めた。競馬のゲームは正直言って壊れているし、スロットマシンには補強用にガムテープが貼られている。この歳になってよく見ると客層だって良いとは思えない。もっとキレイで広くて、最新の凄いゲームセンターは沢山あるのだろう。ましてこれをいい大人が真顔でラスベガスと呼ぶなんて。俺はラスベガスに行ったことはない。フクダ君だってそうだったじゃないか。

帰りたそうな彼らを見て嬉々としてここに彼らを連れてきた自分、今の今までラスベガスと呼んできた自分への恥ずかしさが急にこみ上げ、本当に見せたかった○○がなくなってるという類の苦しい言い訳をしながら足早に去り、連れてきたうちの一人がおすすめするという中野の裏手にある味のある飲み屋を求めて夜の街へ消えていった。