クリスマス前、俺は真夜中の築地市場でイチゴを警備した

とうとう築地市場豊洲へ移転したと聞いた。この話をまさかアメリカで知ることになるとはかつてあの場所で働いていた自分は思ってもみないだろう。

思い出せば俺が20代前半に築地市場の青果部門で働いていた時分から「夢の豊洲市場移転!最新鋭の豊洲市場で更なる繁栄を!」的なスローガンは偉い人が声高に叫んでいたものである。あの当時車で予定地を見に行ったことがあったがその頃は周囲に何も無くただ油断しきった作業員のジジイが立ちションをしていたので思えばアレの蓄積が後の汚染物質になり揉めたんかなあと感慨に耽る次第。

今では跡地となってしまった思い出の築地市場。徐々に薄れゆくあの日々をこの機会にまた振り返り記事として残していきたいと思うが、思えば今でも築地の思い出はその時々の旬な果物と共にある。年末の前にはクリスマス。ケーキ、イチゴの季節である。クリスマスで思い出すのは、12月の第二週かそこらに夜中の築地市場でイチゴ泥棒からイチゴを警備した悲しい思い出。少し振り返ってみたいと思う。

 

「年々商業化が加速し、若者向け、特にカップル向けへと突き進んでいるきらいのあるこのニッチなイベントが、何故いまだに我が国で飽きられずに残っているのだろうか...!」

クリスマスとの距離が最も遠くなってしまった学生時代、高円寺の風呂無しアパートで一人、ワンタンをご飯の上に乗せただけの通称「ぎりぎり丼」をおかわりしながら、俺はそんな極めて大学生的なことを大学生っぽく考えていた。12月25日AM1:30。結局何も答えは出ず、ワンタンの買い置きがまだあることを確認すると、俺は台所で体を拭いて静かに眠りについた。頬を涙がつたっていた...。

実際、なぜクリスマスがここまでわが国に根付いたのかは自分なりに考えてみたことがあった。その結論はケーキとイチゴの存在である。この舶来の異文化に対し日本人が唯一理解出来る部分、それがクリスマスのメインを飾るケーキとそこに乗っかるイチゴの存在ではないか、そう思ったのである。ケーキという限りなく神輿の形状に近いあれ。そしてその上にどっかと御鎮座まします御神体はそう、イチゴ。あれはケーキの形を借りた、いわゆるひとつの「神輿」だったのだと。日本人はケーキにジャパニーズのトラディショナルな部分を見出し、それを家族なり恋人なりで、卓上にて小さく囲むことでわっしょいわっしょいと、日本のものとして違和感なく受け入れてしまったということ。頬をつたう涙を拭くティッシュもなく、濡れた頬そのままに俺は寝るに眠れずワンタンの買い置きがあることを確認した後、天井に向かってそう力説していた...。

 

それから数年後、そんな俺がクリスマスと再び向き合うのは大学卒業後、築地市場で働き始めた一年目の冬のことである。俺がいたのは青果部門。それは産地から集められし大事な御神体であるイチゴ様がケーキに着座する直前、かりそめの宿とする神聖な場所。

そんなクリスマスを司る神ともいえる大事な御イチゴ様であるから、12月も第二週へ近づくと大手洋菓子メーカーを中心としたイチゴ争奪戦が繰り広げられるのも当然の話。本来ハイシーズンでもないため流通量は少ないイチゴ。クリスマス需要の高まりでイチゴの価格は日々跳ね上がり、この時期の築地市場ではケース単位、パック単位の欠品でも怒声を伴う揉め事が日々発生する。

そんな状況であるから当然、そのイチゴを盗んで高く売ろうと画策する悪い輩が現れるのも残念ながらこの季節の風物詩である。イチゴに限らず築地には常駐の盗人が何名か居たのだが、イチゴの場合はケーキという間違いの無い需要に支えられ、また重量の割りに高値が付く事もあってか特に狙われる量と頻度が高かった様に思われる。

流通の最上流である市場には全国各地から集められた色んなイチゴがやってくる。これから市場で取引されるもの、先行で値段と買い手が決まって一時的に保管されるもの、それらが市場内にある保冷庫に所狭しと並べられるのであるが、イチゴ泥棒が盗むのはそうした保管中のイチゴである。詳しくは理解していないが、とにかくクリスマス前になると保冷庫には膨大な量のイチゴの乗ったパレットが置かれ、入りきれないものは保冷庫の外にまで並んでいた程、なのであった。

12月のある日、俺は会議室へ呼ばれていた。俺の他に三人、同じく呼ばれた若手社員の前に現れた築地市場、果物部門の部長から言われたのは、「君たちにイチゴを泥棒から守ってほしい!」という衝撃の指令。何が衝撃かといえば、内容のファンシーさよりも僅か5分程度の指令伝達にわざわざ会議室を取ったこと。「では、解散」と言われて会議室を出た面々、口々に「内線で済むだろ」と言っていた。

指令の内容は簡単である。12月のピークに近づくにつれ多発する夜間のイチゴ泥棒に対し、現在の夜勤作業員だけでは手が回らず、体力のある若手社員が日を替えながら夜通しで巡回し怪しい者をチェックし、出来れば確保せよ、という内容。警備という類の受け身のものではなく、命じられたのはどちらかというと積極的に嗅ぎ回り、悪党を退治しろというかなりアグレッシブツかつデンジャラスな任務のように思われた。そのような危険作業を素人に任せて大丈夫なのだろうか。こちらの持つ武器はミカンのダンボールをあけるときに使うカッターナイフぐらいである。

そして12月のクリスマス直前。確か22日かそこらが俺の警備担当の日だった。夜10時、いつもなら寝ている時間に出勤である。久しぶりに見る平日の夜の電車。皆さん、俺はこれからイチゴを守りにいくんですよ、と心の中で叫んでいた。

それにしても慣れない夜勤、慣れない警備の仕事は大変辛く、事前に「築地市場内部の者が怪しい」とは聞いていたものの、この日の現場ミーティングに参加してみれば「怪しいやつがいたらみんなで声掛け合って...」とか言ってるけどハッキリ言ってその全員軽犯罪は10代半ばで全クリしてそうなカンジだし、ノーヒントでこれはキツいとばかりに適当に外観の小汚いヤツを発見したら暫く尾行しては諦めたりを繰り返し、そんなことをしながらひたすら年末に近づき寒さを増す深夜の築地市場でイチゴの周囲を「さむいさむい」とウロウロするばかり。

そんな感じで夜中1時。とても果物を守っているとは思えないSPのような厳つい顔でイチゴさんの周囲を張っていたが何も起こらず休憩時間。30分の休憩にもかかわらず、休憩室で熟睡をカマした瞬間に電話で起こされ完全に寝ぼけた状態で現場へ駆け足で向かう途中、若干上がっていたフォークリフトのツメでスネを強打し戦意喪失である。

フォークのツメでスネを打つ。肉体労働現場では割とあるあるのこのアクシデント、これはもうマジで死ぬほどの痛さなのである。寝ぼけと痛さの相乗効果か、意識を失いかけた俺はそのまま現場にしばらくへたり込み、顔面蒼白、意識朦朧で死期を悟った猫のようにヨロヨロと築地市場の端っこにある売れ残りリンゴのダンボール置き場へ身を潜め、内線携帯の電源を切ると遠のく意識の中、ワンタンの買い置きがまだあることを確認すると、台所で体を拭いて静かに眠りについた。

 

「犯人逮捕」が知らされたのは翌朝のことである。

内部の者の犯行だったそうだ。まあまあ、そんな過保護のイチゴちゃんの安否なんてどうでも良いとして、そんなことより心配なのはあの後の俺である。フォークリフトでスネを打ち瀕死の俺はどうしたかというと、真冬の夜中を極寒のリンゴ置き場のダンボールとダンボールの隙間で震えながらも熟睡して過ごしたのに目覚めたら奇跡的に健康体。打ったスネだけはもの凄く腫れていたが、そんなことよりもヒトなのに果物であるイチゴの手下的な扱いを受けたことにより負った深い心の傷がハンパなく、翌日は有給を取りたいと思っていたが現れた上司に「よし、今日もそのまま頑張れ」と言われるとそのまま早朝から日課である静岡県産高級メロンを200ケース地べたに並べる仕事を始めていた。

「なるほど!夜勤明けでも、そのまま寝ずにノンストップで働けば簡単に元の生活のリズムに戻せるぜ!」というわけである。皆さんがクリスマスに食べるケーキにイチゴが、御イチゴ様が乗っていたらば、その裏に隠された男達の物語を思い出すといい。