つり革ソムリエとの遭遇

昔、仕事の移動中に乗っていた電車の中での話。

「ガーン」というドアを激しく閉める音とともに隣の車両から移動してきたのは50代の男性。服装や表情といった外見から放たれるちょっと普通じゃない感じに加え、独り言にしてはかなり大きな音量で何かブツブツ言っている状況からして、東京の電車ではほぼ毎日我々が遭遇する「関わらない方いい人」の類かと思われた。

時間は午前11時で乗客も少ない下りの列車。そのうち、彼の行っていた奇行、またなぜ隣の車両から移動してきたのかはすぐに周囲の乗客に明らかになる。

比較的空いていた電車内、彼は人が握っていない空いているつり革全てをひとつひとつ確かめるように握りながら移動しており、その姿はまるでつり革の握り具合を確かめるかのよう。次の駅で降りるからと俺は立ってつり革に掴まっており、どうやらは彼も一応人が握っているつり革は避けるという社会性も持ち合わせていたものの、接近し、通過していくときには軽い恐怖を感じた。

車内の視線を一身に浴び、また他の乗客に避けられながらもしつこいくらいにつり革のひとつひとつを小まめにチェックする男性。

そんな彼が突然足を止め、突然グッと握り締めたつり革があった。両手で握り締め、ブツブツつり革に語りかけるように10秒ぐらいそこに居ただろうか。彼の電車内の移動はそこで終わるのか。乗客もその動きをジッと見つめたが、しばらくするとまた歩みを始め「ガーン」と強めに締めた扉の音ともに隣の車両に消えていった男性。

車内の視線が彼の背中から先ほど彼が凝視したあのつり革に集まっていたのは言うまでまでもなく、そして次の駅に着き、その降り際、俺と別の男性が同時にそのつり革の何が違うのかと確認しようと同時にそれに近づき、目が合い、俺たち、それを見ていた乗客の中に妙な気まずさだけが残った。