コンビニで行われる男たちの満腹計算

omocoro.jp

先日文字そばにてご飯の量が少ないのを恐れていることについて書いた。

学生の時、社会人になってもそうだったかもしれない。コンビニで「500円以下でいろんなものをたくさん食べた錯覚に陥るコンビネーションはどれか」という素敵な逡巡タイムを満喫、「満腹計算」と呼んでいたあの日々が懐かしい。選べるというのは素晴らしいこと。食事、文化、趣味、付き合う相手、この前帰って思ったのは日本には、特に東京にはそういう選べる楽しさがある。アメリカは自由の国かもしれないがコンビニがない。

満腹計算に掛ける時間はせいぜい5分。特に社会人ともなれば大事なランチタイムを削るわけにはいかない。かといって単に安く腹いっぱいになりたいという訳でもない。たった1アイテムだけで満腹になるのはむなしい。満腹計算とは「量」に、さらに「バラエティ」を内包したとても奥の深い世界なのである。

短い時間で最良の選択。350円の弁当を買い、子分格としてボリューム対策でデカい惣菜パンをつけるか。それとも健康と様式美を気にして豚汁で整えるか。弁当はやめてカップラーメンにすれば実質汁がついてくる。おかわりした気になるからパン2個とオニギリ2個で細かく刻むか。など。文字にすると実に冴えないが、お前は何が食べたい、お前ならどうすると、日々行われる己との対話。

地方の営業周りが主だった頃、コンビニには車で行き食べるのは車の中。かつての満腹計算には「車中で食べられる」の条件付き。汁が飛んでシャツが汚れそうなもの、こぼれやすいもの、ご飯とカツの間に1枚フィルムが入ってて食べるときにそれを滑り台みたいにしてうまくカツをスライドしてご飯にサーッと着座させないといけない、あの例の無駄にカツを敬い、丁重に扱う通称「繊細カツ丼」とかああいうものは、そもそも選択肢に入らなかったのである。(どうでもいいけど、あれなぜか普通の弁当と比べて温めてもらったときめちゃくちゃ熱くならないすか)

コンビニ飯の進化は日々続いている。最近では揚げ物コーナーの充実度もすさまじい。そしてコンビニ自体のあり方も変わろうとしている。この前帰国して感じたのはイートインスペースの拡張、充実。2階建てのコンビニで1フロアを全てイートインスペースにしているコンビニも見た。

こうして満腹計算の選択肢は広がり、終わりが見えない。先日日本に帰った初日、外食する気力も無く、俺は家族の分も含めホテルの前のコンビニにその日の晩飯を買いにいったわけだが、上記理由から完全に満腹迷路に迷い込み満腹方程式も満腹関数もわからない、満腹計算のイロハのイの字も分からない、ただの満腹文系大学生になってしまった。そして満腹計算の入り口である惣菜パンコーナーの前で呆然と立ち尽くし人々の邪魔となってしまったのである。

突然突きつけられた選べる自由、無限の選択肢に思考が停止し、今までなら買うことの無かった鮭おにぎりとかヤマザキのランチパックのような素人が買うものをひとしきり買い込みホテルに帰った。久しぶりに食べた鮭おにぎりは極楽浄土で、ランチパックに桃源郷を見た俺はうまいうまいと感動しながら久しぶりに帰ってきた日本をかみ締めていた。