おいしいミカンの見分け方

 

丁度冬のこの時期、築地市場の青果部門で働いていた時のことを時々思い出す。あれは全国の産地から送られてくる怒涛のミカン段ボールのパレット組みを強いられていた季節。

1パレットに何十箱と組まれたミカン入りのダンボールの山、山、山。市場に収まりきれず屋根もない駐車場にブルーシートをかぶせられたミカンの壁、ミカンの迷路の中を俺はひたすら検品に奔走していた。それがあの頃、あの冬であった。

嫌と言うほどミカンを見て、色んな産地のミカンにも詳しくなった。産地、銘柄、等級、そして外観。仕事の合間、高く積み上げられたミカン段ボールの摩天楼の影で、東京湾から吹く冷たい風に震えながら、抜いた昼飯に腹がなり時に盗み食いしていたのは今だから言えることだが、そうやって味を覚えたのもよい思い出である。

だからというわけではないが、ミカンには多少の見識はあるし美味しいミカンの見分け方というやつにも一般の方よりは詳しいつもり。

うちの妻も築地で鍛えた俺の目利きを信頼しており、ミカンを買ってくれば食べる前にはいちいちどっちが美味しいのかと尋ねてくる。水道トラブルへの対処、日曜大工から軽い電気工事まで、あまりに俺が不器用なのでいつしか家の中のブルーカラー仕事を何でもやるようになったマルチな妻だが、そんな妻に俺が頼りにされている数少ないもののひとつとして今のところこの「ミカンの選別」が挙げられる。(ちなみにもうひとつは米とぎである)

あるとき冷静になって考えたことではあるが、ほとんど何も出来ない俺が、ミカンの選別と米とぎ以外に取り柄のない俺がである、仮にこのミカン選びでしくじりでもしたら、よもや考えたくもないがはっきり言って俺の存在している理由が一気にゼロに近づく訳で、「これとこれ、どっちが美味しいのか」と聞かれるたびに心中穏やかではなく、「ほんとだ、美味しい」と喜ぶ我が妻のそばで、《ミカンの季節、早く終わらないかな》などと心から願う日々なのであった。

以前、コタツでテレビを見ながらミカンとしけ込むかと箱買いをカマしていた段ボールの中からミカンひとつ、妻に取ってもらったときのことである。選んできたミカンは見た目、手触りからして酸味が足りず味が薄そう。目利きは五感で味を知るのである。うーん、まだまだやなと思いつつもいささか表現をやわらかめに、まるでアドバイスをするがごとく「これはこの辺がこーであーで」とミカンの専門家らしくマイナスポイントを指導し、相手を傷つけぬよう、角が立たぬようもう一度ミカン選びを依頼。練習という形でもう一回選んでもらった。

「じゃあこれは」

目利きの指示、指導が的確だったのか、今度は先ほどより美味そうなヤツを持ってきてくれた。いわゆるミカンのオシリにある凹み具合、色、手触り、パーフェクトとはいかないまでもまあOK。80点である。

「おっ、こりゃ美味そうだ。ありがとう」と皮を剥き始めると案の定の好感触。食べるとビンゴ、とても美味しい。さすが目利きである。「うまいうまい」とテレビを観ながらミカンを食べる俺に向かって妻は言う「さっき選んだのと同じだけど」

 

《やりやがった...!!》

 

何ということだろう。俺は試され、そして負けた。消えてしまいたい気持ちかはたまた存在意義を体が表現しているのか、その瞬間、自分が透明になって行くのを感じた。

皆さん、このように以前我が家で大変恐ろしい出来事が起きました。あれから数年、今でも米とぎを頑張ることで何とかお願いして家に置いてもらっている俺です。米とぎは繊細な作業といわれ、とても難しく、誰もが出来るわけではありません。皆さんもどうか気をつけてください。では、さようなら。