子供にブログを見られ

気づけば子供も大きくなっており、今まで子供だから分からないだろうと思っていたことのアレコレにも段々と気を配らなければならなくなって来ていることに気づく。

一緒に見ていたYouTubeのミュージックビデオ、本棚に何気なくおいていた漫画、夫婦の何気ない会話などなど。例えばそこにセクシーな女性が登場したり、暴力的な表現が使われることもいつしか大人にとっては普通のものとして受け流してしまっているが、人生の初心者である彼らにはいい影響を与えるものではなく、段々とそれらを遠ざけたり撤去したりする必要性も感じてきた。

そうして見ていくと部屋の中にはまだ堂々と子供向けではないものがおかれている。いかに無自覚であったかと省みる次第だが、例えば今まではまさかそんな視点で見てこなかった手塚治虫の漫画もそれに含まれる。エロは表現の中のスパイス、味付け程度のものとして気にも留めなかったが子供はどうだろう。自分の言動も含めそういう時期に来たことを今更ながら自覚する次第。

子供の口から「ぼくののうみそ」という言葉を聞いた時はドキリとしたものである。大体、土日の早朝に一人でおきてきて自室のPCの前で更新することが多いので、後から起きてきた子供が部屋に来て話しかけてくる時に見て覚えたのかもしれない。いつの間に、という思いであったが子供は何でも見ている。そして覚えている。

「ぼくののうみそって何」

その質問には無言を貫いたが正しかったのか分からない。恥ずかしいことをしている訳ではないので自分のインターネット活動は妻は全て知っており、妻の友人、何なら自分の兄弟にも知られている。しかし子供にはどうだろうか。「子供に見せられんのか?」と聞かれると微妙である。

「ぼくののうみそ」

いつかGoogleで調べるかもしれない。今のところお父さん、頼まれもしないのに頑張ってブログ書いてる関係であいにくこのブログが検索の上位に現れるもんですから、息子はいつか見るかもしれない。あの記事、そしてこの記事も。オイお前、見てんじゃねえよ。消しなさい。

「ぼくののうみそって何」

だから次にそう聞かれた時、俺は言うだろう。

「20歳までにその言葉を覚えていたら、死ぬ」

 

案外、「紫鏡」の背景にもきっとこういう誰かのクダラない事情があるのではないだろうか。