仕事中に寝たいという気持ち

研修期間中、物作りから覚えるためにと工場のラインで3ヶ月近く働いていたときの話である。

先日、いつも通り死んだ目で立って材料の裏側をゴシゴシ磨く作業をしていたところ、現れた班長に「そろそろ顕微鏡を使ってみるか?」的な問いかけをされたときは、そのさも何らかの特権を授けようとしているかのような得意げな顔にたかが顕微鏡でよと若干のイラつきを覚えたものの、それまで行ってきた力仕事や単純労働の類と比べた時の、「顕微鏡」という響きにある若干のアカデミックさというか、それならやんごとなき大卒の身分に幾らか近づくかもしれないという、我ながらの性根の腐ったマインドが刺激され「へえ、ぜひぜひ」などという卑屈な返事でもってそれを甘んじることにしたのである。

具体的な作業内容はカツアイするが、つまりは顕微鏡で決められた箇所を決められた倍率で眺めて、その数値を決められたシートに記入するという、内容こそスマートになったものの、今までの単純労働とはさほど変わらないばかりか、モノを作るわけでもないので殆ど技術も緊張感も要らない上、その作業スペースときたら工場の端にある酷く殺伐とした場所とくれば、もしやコレ、いわゆるひとつの閑職ではないのかと、最初はアカデミックな集団に見えていたその現場に居るメンツの表情も冴えないものに見えてくるというものである。

なお、顕微鏡にも色々な種類があり、俺にあてがわれたのは一般的な光学顕微鏡の双眼タイプである。他にもハイレヴェルの横文字の顕微鏡もあったがそれは認定されたものしか作業出来ないなどどケチくさいことをいい触らせてもくれなかったのである。

とはいえこの光学顕微鏡、実際に作業をするとこれが意外と楽しく、何が楽しいかと言うとぼやけていたモノたちにピントを合わせ、光を調整し、その姿がクッキリと見えるまでの一連の操作である。ボンヤリとふぬけた感じでレンズに現れる対象物が、俺のさじ加減で徐々にハッキリとした姿を現したときの気持ちのよさである。

恐らくそれまでの単調な工場作業でアタマがおかしくなりつつある一つのお知らせかもわからんのだけど、このピント調節作業に対し不覚にもゲーム性を感じてしまった俺はすっかりピント合わせの虜となり、次の検査物が来ては喜び、またそのピントが幾らかでも合いにくいものが来ようものならちょっとしたヤル気など出してこれに挑んでは、最終的にピシャリと合うピントにニヤリとする始末。

しかしまあ当然楽しいのは最初のうちで、勿論俺自身のこの作業への慣れもあってか検査ラインも2日目にはほとんどピント調節に苦労せず、とうとうこの作業にも完全に飽き切ってしまった。

作業が単調になると眠気が訪れる頻度も高くなり、また、この作業が椅子に座って行われることも相まってか、こっそり眠ってしまいたい欲望に打ち勝てないようになっていったのであるが、というのも、先に説明した通りこの顕微鏡の形状は双眼鏡のように両方の目で見るタイプ、つまりこれを使用している間は例え目をつぶっていても外部からは知りようがないのである。

この事に気付いた俺は早速、両目を顕微鏡にあてがい、少し肘をつくなどして体を支え、それらしい操作をしながら目を閉じてそのまま瞬間的に眠りにつくことに成功した。

ほんのわずかで目が覚めたのはドキドキしていたこもとあったのだろうし、この体勢で寝ることに慣れていなかったのだろうことは、その後1分、2分、、、5分と睡眠時間が徐々に伸びていくことで明らかになり、ついに10分程度の睡眠をこなした時は妙に嬉しくなり「1時間行ける」とそう考えたものである。

結局その日寝ている所を見つかりキツく注意されて以降は俺が顕微鏡を使用する最中に横からアカデミックな視線を感じるようになり眠ることは叶わなくなったのだが、最近この顕微鏡の他に黒い弾幕のような囲いに覆われた個室で物体を投影型しその形を見るという、丁度証明写真機に近い個室感、サイズ感の検査機器があることを突き止めたので、今度班長に「ボク、あれを使ってみたいんです」などとピュアネスの権化のような表情でオネガイしてみたらきっと使わせてもらえるかもしれず、そうなったら仕返しに5時間ぐらい寝てやるぜと固く誓ったもののその願いは一生叶わぬまま俺は数日の後再び元の材料の裏側をゴシゴシするだけの辛い作業に戻る事となった。