スナックのママ

そもそも自分の親のことをママなどと呼ぶ家庭ではなかったものだからスナックの「ママ」という表現には強い抵抗感があり、あまつさえ大の大人が「ママ」などと発しているのを見るのはかなり辛いものがあるというもんであるが、しかし社会人になるとスナックの一つにでも行く機会はあり、ママの一人でも呼ぶ機会もあるというものである。

「おい、ママ呼んできて」

そう、あれは前に勤めていたクソの会社のクソ上司にママを呼びに行かされた時のことである。

ママは、俺のお母さんでもないくせにそう呼ばされようとしているママはというと、我々の席から一番遠い場所で別の客と話をしている最中、それを俺に呼び寄せさせようというのである。

最初に言ったとおり自分の親にもそう呼んだことのないけがれを知らないママ童貞の俺が、最初にママと呼ぼうとしているのが眼前にて爪楊枝かと見まごうばかりの細いタバコを吸いながら片手で腕組みをし、おたくのカラオケは全曲デスメタルすかと尋ねたくなるようなしゃがれた、低周波の、肩などにあてがうととても気持ちのよさそうな低いヴォイスでもって客と談笑などをカマす60がらみのおばさんなのである。

「マ...」

あの、すいません。と他人行儀に言い直し、この手の場所では馴れ馴れしさや図々しさが溶け込む最善とは分かっていたが、子供の頃からこういった誰からもニックネームで呼ばれ、皆が疑いも警戒心もなく馴れ馴れしく接している人物に、俺も俺もと一緒になって馴れ馴れしくするのが極めて苦手な俺はこの日も他人行儀でやり過ごし、

「あらーー○○ちゃん、来てたの~」

など、俺には半分無反応なまま、上司にはプテラノドンのように両手を半開きに広げて向かっていくその女の背中をぼんやり見つめながら、近所の駄菓子屋のおばちゃん、部活のマネージャーの女子、後輩にやたら慕われている先輩社員など過去から最近に至る、今までに俺だけが一人よそよそしくしていた色んな人たちの顔を思い出していた。