クッキーは生地がピーク、焼くと魅力が半減する

クッキーが苦手であるが、最大の理由は口の中の水分を全て吸い取られて行くような感じがダメだからだと思う。前世はおそらくソフトコンタクトレンズだったので日々渇きを恐れており、元来食事の際には小まめに水分をとるほうなのだが、クッキーは1口に1回、水分を入れて行かないともたない程、口の中の乾きに耐えられない印象を持っている。

あとはクッキーという食べ物にありがちな、食べるとボロボロこぼれる脆弱な感じもどうでしょうね。元来食べ物をよくこぼす俺には天敵であるように思え、恥ずかしい話であるが、大人になった今でもクッキーを食べると100%テーブルの下などにこぼすのでこれには殊更腹が立つのである。

家庭科の時間にクッキーを作った事のある人は多いと思が、恐らく俺がクッキーと距離を置き始めたのはそんな小学校の家庭科の時間、クッキーを自分で焼いたあの瞬間にさかのぼるのではないかと考えている。

どういうことか簡単に言うと、焼く前の生地のときの方が断然見た目上美味そうに見え、焼いた後の全てが垢抜けないお姿に幻滅したことが今も尾を引いているのではないかと思うのである。

焼く前の生地はどうだろう。手触りはふわふわしているし、色味もなんか乳白色に近く、食欲をそそるじゃないですか。ちょっと堪え切れずに生地の状態で食ったことのある野蛮人の意見など聞いてくれないかもしれないが、強く主張したいのはその後に腹を下したマイナス面、その一点にさえ目をつぶれば、クッキーというのは生地の時点でもなかなかイケる食い物だったということである。

そんなわけで、この後に控える後工程の”焼き”に疑問を持ちながら愛しの生地chanをば送り出したらばほれみたことか、かわいい子には旅をさせるべきではなく、案の定色気も何もない茶色い揚げ物みたいなジジイっぽい見た目になって戻ってきてガッカリしたあの経験が忘れられないのである。

ところで、そんなことよりクッキーの話で思い出したが、くみっきーこと船山久美子が、元々無理やり流行らせてきた「くみっきー」というニックネームへの恩を忘れ、その後イメージチェンジと共に焼いたクッキーのような守りの船山久美子に回帰していった姿勢には「それはいかがなものか」とクッキー以上に疑問を投げかけたくなる次第である。

最後は取り乱し余計な話をしてしまったがまあ世の中にはそういうこともあるわけですし、クッキーはあまり好きではない俺である。