ドアを壊すプランでいきます

$354というと、今の為替で言うと日本円にして約38,500円。これが昨日かかった自宅の鍵閉じ込めの解決に掛かった費用である。経緯は割愛するが、俺は、俺の家族は手持ちの鍵すべてを家の中に置いたまま、外側から手で鍵がかけられる(が鍵がないと外側からは開かない)ドアをバタンと閉めて外出してしまった。

夕方、出先でポケットに家の鍵が一個もないことに気づき慌てて戻るといやな予感は的中し、先述の通り鍵はすべて家の中、また窓という窓は冬の寒さを僅かでも遮断したい気持ちが行き渡り、全てロックされていた。

ガレージにあった工具、クレジットカードや細い金属部品などを持ち出し何とか自力で鍵を開けようとしたがいずれも無理だった。俺と同じ1982年に立てられたこの家のドアノブが異常に堅牢でいかにも融通の利かなそうなことは日ごろ使っていて良くわかっている。

家から5分のところに住むウクライナ人の大家さんに連絡をする。アメリカの自動車メーカーでエンジニアをしているアラさんという女性である。近所に住むこともあり家賃の小切手は直接手渡しに行ったり、割と顔を合わせていることもあり関係は良好。家賃更新の度に家賃が$2、300値上がりするのが当たり前とされるアメリカの家賃が据え置きであったことは日ごろから顔を合わせているからか、もしくは自営業をしているロシア人の旦那さんと合わせた世帯収入に余裕があるからかもしれない。

スペアキーがないかと聞くと、5分ほどですぐ来てくれたが20もの鍵の束が一緒になったものを持ってきて「この中にあるかもしれないし、ないかもしれない」と言う。作ったかどうかは覚えていないそうだ。合うものがあればいいけど、望みが薄い。

「これは○○の時の鍵だから違う」「これは前のっていた車ね、もう無い」

20もの鍵の束は長年作ったあらゆるスペアキーの記録であり、アラさん一家の生活の記録でもあった。アラさんは10代のときに政治的な理由で家族と一緒にアメリカに移住してきたのだそうだ。当初は英語も出来ず苦労したそうだが、今は大きな会社に勤め、人に家を貸し、生活は安定しているように見える。そんな歴史の中に日本人に貸したこの家の鍵が入っていることを願ったが、結論としては無かった。

「ありがとう、僕らで鍵屋を呼びますよ」

そうなる時点である程度鍵屋を呼ぶことを覚悟していたのは、すぐ近くにあることを事前に調べていたことと、そこまで費用も掛かるまいと高をくくっていたからである。しかし結果としては冒頭に書いたとおり$354、しかもドアを破壊してこのお値段である。

鍵屋、こちらではLocksmithと呼ぶらしい。Smithという言葉は古い英語で「職人」を意味し、Goldsmith(金細工師)、Swordsmith(刀鍛冶)などの呼び名は今でも使われる。Locksmithもこの文脈でいうと鍵職人のようなものだろうか。

15分ほどするとLocksmithが到着、しかしドスドスとカーステからビートの漏れ出る大きなピックアップトラックで現れたのは全身黒づくめ、フードを被り東欧訛りのイカつい男性。本当に申し訳ないが、工具箱を片手に現れたその外見はいかにもこんにちは泥棒ですといった感じで、勝手にチェックのシャツにベストなどを合わせた丸メガネの小柄なおじいさんを想像していた俺としてはLocksmithとはおよそ似つかわしくないこの男性にはいやな予感しかしなかった。

「お値段はコレ」

事前に値段の説明があった。良心的である。サービス料$29は必ず掛かり、それにプラスされる作業料として2つのプランがあるという。手書きで明細書にサラサラと書いていく。

「ひとつは、ドアを壊さないプラン、$275」「もうひとつは、ドアを壊すプラン、$325」

ドアを壊すプランの方が高いんかいと思いながら説明を聞くと、彼曰く

「俺はまずドアを壊さないプランで進めるが、どうしてもあかない場合は、ドアを壊すプランになります。」

ドアを壊すプラン。ちなみに彼の字が汚すぎて、また東欧訛りがキツすぎて値段の$275を$27、$325は$32だと思っていた俺は「意外と安いじゃん」とこの時点では完全に勘違いをしていたのであるが、しかし結果は$354、余裕のドアをブッ壊すプランでありました。 

Locksmith先輩がドアを壊さないプランで頑張ってくれたのはわずか2、3分のことであった。色々と小道具を持ち出してやってくれたが、基本的にパワーで空けようとしていたのが印象的。素人なりに「その道具はもうちょっと耳を当てたりしてコチョコチョやるやつじゃないのかね」と思ったやつを鍵穴に挿した後にバールのようなものでガシガシと力でねじ伏せようとして曰く、聞きたくなかったあのセリフ

「ドアを壊すプランでいきます。」

Locksmith先輩がイキイキしだしたのはそこからである。電動ドリルを持ち出しドアノブに挿しては保護メガネも手袋もせずにワイルドにドアノブを破壊するさまはまさに泥棒。目の前で泥棒に侵入されているのを見ている気分である。 ドアは開いた。そりゃあドリルを使えば開くワイな!と思いながら破壊されて開いたドアを眺めていた。電動ドリルで鍵を開けるLocksmith(鍵職人)...。

お会計は彼のピックアップトラックの中、彼のスマホ端末を利用しカード払いで。そこで実は$354であることを知り衝撃を受けるのだが、更に彼の差し出すスマホでの支払い画面が「チップを渡すか?」と聞いてくる、チップを入れると$400になる。明らかに衝撃を受けている俺の顔を見て察したLocksmith先輩、「どうする?これは別にまかすけど...」と聞かれ「すいません、思ったより高かったので、ナシで」とアメリカに来て初めてチップナシで彼を帰した。

「あまりくれるひといないからいいよ」

ハバグッドイブニングと挨拶をして去っていく彼にもアウーとしか返事を返せずに、$354とぶっ壊れた1982年製ドアノブの重みを感じながらぶっ壊れたドアから無事家の中に入ることに成功した。本当に辛いことがあると眠くなる俺はそのままソファで2時間寝た。