俺はただ親切心で

まだ日本にいた頃、本社のある都内のオフィス街を外れたところで一人、いつもの店で昼飯を食べていた。それはオフィス街では割と当たり前になりつつあった居酒屋などがランチタイムは店の前で弁当を売っているパターンで、唯一その店が珍しいのは買った弁当をそのまま店内で食べて行けることであった。

弁当を購入し「店内で」と言うと店内へ案内されあとは座席に座り電子レンジや調味料の類、お冷にいたるまでセルフサービスで利用できるこの店、まだあまり知られていないのか、広くない店内だがランチ激戦区のこの界隈では信じられないほどの空き具合。席を争い駆け足で飲食店に向かう必要もなく、またがら空きの店内は非常に落ち着くためこうしてすっかり通うようになっていたわけである。

おまけにである、店内で食べる人限定で豚汁が150円、ランチコーヒーが100円、ランチビールは180円とくれば店内で食べない選択肢はなく、就業中にしか来ることの出来ない人が多いであろうこの店でランチビールを頼んで羨望の眼差しを受けたい気持ちは高まるばかり。

その日はピラフとスクランブルエッグの上に、コロッケと白身魚とあとは何の肉かよく分からない揚げ物がタルタルソースまみれで乗るという、男子学生のバイキング一巡目と見まごうばかりの弁当。にもかかわらず俺はそれでも足りないと不安なのでと、プラス100円でから揚げと赤ウインナーが入ったお得なパックを追加。足りるか足りないかは幼稚園のときに先生に「おなかと相談」というケーススタディを通じた高度な情操教育を完了しているものですから、瞬時に計算が出来るのである。

こうしていつものようにこの店のカウンター席に座り、与えられた電子レンジも使わず冷えたそいつを頬張っていたところ、この男子向けの店には珍しく20代後半と思しき4人組の女性客が現れる。早速その安さに心を奪われたらしく「アイスコーヒー下さい」と言う女性グループは、購入してきた弁当を電子レンジに投入するとすかさずタバコを取り出し、孤食を楽しむ男たちに混じってひときわ賑やかに雑談を響かせるわけである。

その女性グループの近くに居た俺はというと、こうなると天性の被害妄想が開花し三十ウン歳にもなって赤ウインナー3つも食べているのが妙に恥ずかしく感じられ、やや隠し気味にそれをいち早く口にかっ込むと、今度は俺の弁当がパセリを除けば茶色が支配する荒野の世界と化していてそれにも心が沈む。

程なくして隣の女性グループにアイスコーヒーが運ばれ、それに対する「えっ、アイスコーヒーは3つでよかったんですけど」とそんな声が聞こえてきた頃、俺は楽しみに最後まで取っておいた謎の揚げ物がチクワであることに愕然としていた。

隣の女性、テーブルに届けられた4つのアイスコーヒーが1つ多かったようだ。1人はコーヒーが飲めないらしく「飲んでくださって結構です」という店員のサービスも実らない。

食べ終わり、そのやり取りを背中で聞いている俺はというと、自分の弁当を平らげ、いつでも店を出られるという開放的な気持ちがそうさせたのか、ふと、妙な勇気が芽生えてきたのである。

≪「それ僕が飲みましょうか?」なんて言ってみるのも、これは粋じゃないか≫

粋とは何か。俺には漠然としたイメージがある。粋とは馴れ馴れしさ、しかしそれはさりげなさも帯びていなければならない。全然馴染んでないが一応俺も常連ではあるしそういうのっていいんじゃないだろうか。「ヨッ!」みたいな掛け声の一つぐらいくれるんじゃないだろうか。そういう前向きな気持ちが沸々とこう、なんか沸いてくるわけなんだね...。

でまあ、ひとつ言ってみたわけである。爪楊枝をシーシーなどしながら、言ってみたわけである。

「おやッ、それ余りなんだったら俺がもらいましょうか~?」

こういう具合だった。気さくでいて小粋だった。ヨッという声がしてもよかった。

だけど≪言った!≫と思った次の瞬間、愚かで間の悪い別の店員が遠くから俺の声に重ねるように言うワケ、「コーヒーそれ、1つは8番さんのだからねーー!」

突然話しかけた俺の声に一度はパッとこちらを見た女性グループとそのテーブルにいた店員だったが「それは8番の」という別の店員の声に反応し、次にまたこちらを振り返るときには「つーわけなんで、お引取り願いますか」的な迷惑さを帯びた視線で振り返る。隣の席から急に声を発したかと思ったらコーヒーくれだのという男を憐れみの目で見る女性たち。そしてあわやコーヒーを取られそうになった8番テーブルのジジイも遠方よりミーアキャットのように俺を警戒のまなざしで見ている。最低である。いつかライオンなどに襲われてほしい。

元は完全な親切心である。それがこのざまとはどうだろう。逃げるように店を出た俺に落ち度があったとすれば、そんなに気さくな感じのルックスではないという点である。あとは何も無い。

かくのごとき次第である。なんでもないランチタイムが、ちょっとした出来心でこのザマ。極力目立たず、必要最低限のことだけをしてやり過ごしていきたいものだと思ったものである。