父親との旅行の思い出

兄と久しぶりに連絡し、子供のころ行った旅行の話をし色々と昔の事を思い出した。別に貧乏なわけではなかったはずだが、こと旅行に関してはあまり派手な旅行というものをした記憶はなく一泊二日で同じ九州内の温泉地に車で行って帰ってくるというようなものが数年に一回あるかないかという程度だったように思う。それがあの当時の平均かどうかがよく分からないが回りを見渡すと沖縄へ行ったりディズニーランドや海外といった話も聞かれたので、子供のころはうちはそういうところへ行くような家庭ではないということを何となく考えていた。旅行の回数が少なかっただろうか、小さい頃の旅行であろうと今もよく覚えていて、それらのどうでもいいディティール、例えば泊まったホテルの名前やその周りの景色、帰りにカツ重を食って美味かったこと、水族館でなぜか恐竜の模型を買ったことなど、一つ一つをはっきりと思い出すことができるようである。

今日思い出したのは父親と行った登山の話である。父親に突然大分県にある九重山(くじゅう)という山に連れて行かれたときの話。元々断片的に覚えていたが兄と連絡している中でそれが父親が39歳のとき、今の俺とさほど変わらない年齢の時の話だと分かった。当時の俺は9歳で、兄は11歳。この旅行は兄と俺と父親の三人で、目的が登山だったことから母親はまだその当時5歳で小さかった弟と一緒に家にいての3人旅行。ただ父親が行きたかったのかもしれない。

標高は1700mにもなるこの山を登りきったはずなのだが記憶は曖昧で、登山の途中広い湿原を時折霧の中親子三人無言で通過しているときにあの世にいるような妙に心細さを感じたこと、たくさんの獣道(けものみち)があり異常に興味をそそられたこと、硫黄のにおいがすごくて気分が悪くなったこと、母親が作ってくれたオニギリが弁当箱に詰め込みすぎて全て合体し一枚のライス板になっており、それを手で引き剥がし分け合って食べたことなど、断片的に印象に残ったことしか記憶にない。

むしろはっきりと覚えているのは登山を終えたあとである。あの日不運にも地元で何か大きな祭りかイベントがあったということは、その後父親がホテルなど一切予約していないことが発覚し、「予約しなくても泊まれる」など軽口を叩くも、九重周辺および近郊の街のホテルがどれもなぜか満席、結果父親が下山後に数時間も車を走らせホテルを探しようやく福岡県の柳川という町のビジネスホテルにたどり着いたことから思い出される。

俺は疲れて車中寝ていたが道中ことごとくホテル予約を断られる父親、目が覚めると真っ暗、まだ車の中である。何時かわからないが暗い、知らない街で宿も取れず一人で焦る父親、腹も減り、雨が降ってきて、腹が減ったという兄弟。父親は道端の商店で買ってきたバナナを半分怒鳴りながら渡し、兄弟は泣きながらバナナを食べる。

この日の早朝佐賀からここ九重へ来て登山の後まさかのホテル探し、父親も疲れていたのだろう。家まであと2時間半というところで宿泊を選択したのだ。或いは少しでも旅行気分にしたかったのかもしれない父親は「ビジネスホテルだけどいいか」など聞いてきたが、普通のホテルと何が違うか分からずむしろ今まで見てきた小汚い温泉旅館と比べるとこぎれいで現代的な作りだった。俺や俺の家族とは無縁と思われたアーバンな雰囲気。父親は宿を見つけてようやく落ち着き、ピンクの公衆電話で母親に連絡。福岡県柳川市から隣県の佐賀県へかけるだけなのに10円玉がどんどん吸い込まれていく。それを見ながら恐ろしさを感じた。

晩御飯は近所の小さな居酒屋へ。地元の常連しか来ないような小さなお店。緊張した。子供など一人もおらず子連れの父親がこの場所に場違いなのを何となく察知する。こんな時間に珍しい兄弟を見ると酔っ払いが父親に何か話しかけて来たが父親は上手く対応できず浮いたままの三人は確か唯一開いていたカウンター席に座る。父親は居心地悪そうに酒を飲み、俺たちはお茶漬けと焼き魚を食べた。隣の酔っ払いがカウンターで調理をしている店主の奥さんに子供でも分かる程度のスケベな話をしているのが気まずく、テレビで少しでも下品な内容がある舌打ちしてチャンネルを変える父親、どういう気持ちなのだろうかと俺も居心地が悪く。

お茶漬けは味が薄く、タバコくさくなった三人はビジネスホテルへ帰る。テレビをつけると「アビス」という映画を放送していた。海底で遭遇したピンク色の形状が自在に変わる不思議な生命体アビスの話である。調べると確かに俺が9歳の年、1991年の11月23日土曜日にゴールデン洋画劇場でアビスが放送されていた。兄弟は風呂に入り、暗くした部屋のベッドの中からアビスを見た。とりあえずアビスは全く意味が分からなかったが遅い時間に放送される映画はそういうものだろうと思って黙って見ていた。いつもは9時には寝る。夜更かししていいのは旅行のときだけだと父親は言い、俺は途中で寝た。覚えているのはそこまでで、それからの記憶、家に帰るまでのことは全く思い出せない。これがこの旅行に関して覚えている全て。

今自分の子供が7歳と4歳。俺が帰り道のことを一切覚えていないように、大半の記憶は消えていくかもしれない。俺の子供も俺とのこと沢山覚えておいてくれるとうれしいのだが。