男は男湯でゴジラになる

温泉や銭湯といった公共の浴場での男の振る舞いについても色々と思う事がある。

女性側でもあるかもしれないが、男湯では人が入ってくるとほぼ体付きと股間のチェックがなされる。これはその人の性的嗜好とは全く別のある種の無意識の確認作業であり、そういえば俺も何となくガタイ、股間、ついでの顔の3点セットを半ば本能的に確認してしまうし、また自分が確認されているのを常日頃感じてしまう。

悲しいかな、衣服を脱ぎ棄て肩書きも社会的地位もないありのままの姿になった時、モノをいうのは現代においてもガタイのよさと男性器のサイズという社会のルールから我々は未だ逃れられず、男湯で一目置かれるのはそのいずれかで優りし者。従ってこの浴場のこの瞬間の潜在的ヒエラルキーというのはその瞬間瞬間、入って来た者のガタイと男性器で瞬く間に入れ替わる世界なのである。従ってタオルで股間を隠しし者はこのレースからそれこそタオルを投げ込みし者なのでこの限りではなく、股間タオルで隠しし者として殆ど相手にされない。

そんなタオルキッズはここから先の話からは除外してあるのだが、銭湯、温泉に入ると男らしい動きをしてしまうという人を俺は結構見かける。俺も何となくやってしまう男湯ヒエラルキーの中で無意識にけん制しあう男の闘いである。なぜかいつもより妙にガニ股になって歩いてみたり、温度の丁度良さに「あぁー」とか「うぅー」などのFeelingsを野生動物のように周囲に遠慮なく言い放ち、さも俺は周りのことなど気にしない男deathとでも言いたげな風に、自由気ままに己の気持ちEを響かせるなど、普段なら絶対やらない大胆な動きを男湯だとついついやってしまうという人のことだ。開放感がそうさせましてでは説明出来ない意図的な男らしさの演出。股間チェックから続く一連のおとこらしさ対決は常にそこかしこで続いているのである。

男らしさの演出、その最たるものが、あの男湯で発生する全員のスローな動きだと思う。なぜ男は温泉で動きがスローになるのか。全員動きが遅い。おいおい、お前たちどうしたんだと俺はいつも考えていた。確かに銭湯にきてチャカチャカと俊敏に動き回るのは大抵子供か股間をタオルで隠した俊敏な小さいオッサンだけである。それ以外はみな動きがゆっくり。リラックスしているからか、ゆっくりしに来ているから動きもゆっくりになるのか?周囲への配慮?それだけだろうか。

それも今では全て今は「男湯ヒエラルキー」で説明がつく。がに股、「あー」とか「うー」という気ままな雄叫びに、あの必要以上に幅を取るスローな動きとくれば、それはつまりゴジラなのである。男は公共の浴場では皆ゴジラになるのである。ゴジラはがに股だし、水の中で気に食わないことがあればすぐ「あー」みたいな感じのことを言いますし、そういえばお湯の中からジジイが立ち上がる際に見せるあのゆっくりとした動きなんて、海から出て来て豪快にわななく、ゴジラの登場シーンそのもの。(男の股間ゴジラのしっぽ?!)そうだ、昔から強さはスローで演出されてきた。子供の頃見た色んな特撮モノの影響が反映され、その結果のゴジラ、ますます明かになるのが男らしさへの、強いものへの憧れだ。

そんな無駄な男同士の競い合いも湯船に浸かれば関係ない。Bodyは湯の中、競うものがない束の間のリラックスタイム。しかし油断してはなりません、ここでも行われる男の静かな闘い。男は野蛮なので競争がだぁいすき。

《あいつが上がったらあがろう》

いつの間にか各々の頭の中で密かに開催される我慢大会のメンバーにあなたも入れられているかもしれない。いやあ面倒臭いですね。

無職になった日の朝

25歳の春、2年務めた築地市場の青果部門で働くのをやめ無職になった。

「彼女からも毎日朝早いし土日も休みがないので辞めてほしいと言われまして」

いざ理由を述べる際、上司に向かい、辞める理由として極めて賢くない話をしてしまったことで案の定俺は付き合っていた彼女共々会社の偉い人に呼び出され、銀座のレストランで食事をしながらの説得を受けてしまった。

最終的には「普通の仕事がしたい」という若さゆえに出た残酷な本音の前には「ああ、そう…」と説得のトーンも下がり、そもそも呼び出された彼女が勝手に退職のキーマンにされてこの場に呼ばれたことに迷惑そうな顔をしていたことなどもあり、なんとか無事に辞めることが出来た。

最終出社日に送別会が開かれると、従来朴訥でその当時あまり職場では喜怒哀楽をはっきりと見せなかった俺が最後に挨拶したときに声を詰まらせ涙を流していたことが職場の皆様を大いに喜ばせ、3次会までほぼ全員が参加するというたかだか2年目の社員の送別会にしては妙な盛り上がりを見せたのを覚えているが、その実、半年間ろくに休めなかったこの職場をついに辞めるとなった安堵感、このままこの辛い生活を一生続けるかもしれない不安や少なからずあったこんなはずじゃなかったという後悔など、到底今目の前で盛り上がっている人々に堂々と言えようはずもない失礼な考えが頭の中を巡った結果のものであった。

「またいつでも戻ってこいよ…」

それだけはマジでご勘弁くださいと思ったが、あの涙が理由となり最終的には元職場の皆々様には好印象だけを残し円満に辞めていく恰好となり、背景はともかく後味の良い形で辞められたことを自分ながら満足していた。

俺の少し前にも同じようにこの職場を辞めた人が同じように送別会をしてもらい、ようやく辞めることが出来たという解放感から鯨飲したその帰りに電車に接触し亡くなるというめちゃくちゃに痛ましい事故があったこともあり、俺がそうならぬよう会の終りにはやたらと厳重な見送りと、「死ぬなよ」という生々しい別れの挨拶。「戻ってこい」「死ぬな」そのような物騒な別れの挨拶を色んな人から投げられる涙目の若者を何事かと振り返る歩行者。こいつ戦場に行くのかと。

翌朝からはもう早朝暗闇の中で起きる必要もあの埃だらけの小汚い現場で汚れ仕事をしなくて良いのだと、死ぬなよという声を背中で受けながら帰宅し久しぶりに何の気兼ねもなく布団に入る。翌朝は2年間の習慣にたたき起こされ早朝4時、早起きしても何も起きない無職の初日を朝日ののぼる前の暗闇の中、ぼんやり孤独に迎えたものであった。昨日まで沢山の人に囲まれてゴチャゴチャして、悩みがあって、負荷を感じていた。それが今は一人である。無職である。

朝8時。築地は朝イチの仕事を終えている頃である。何もすることが思いつかず、3階の窓から下を見下ろすとマンションの人々が出勤していくのが見える。それを見ながら仕事辞めたんだなという気持ちとこれから自分に待っているもののことを考えていた。

検尿の時だけなぜか尿の発色がすさまじい

汚い話なので俺のこと全てを愛する人以外は読む必要はないのだが、昔から検尿の時だけションベンの色がやけに発色のよいデカビタCのような鮮やかなイエローでいつも困惑している。「おまえどうしたよ…」と河原でちょっとしたBBQをするというその集合場所に一人だけ雪山登山フル装備級のアウトドアウェアで現れた友人に語り掛けるようにその時はそうつぶやいたほどであるが、実際には俺は河原でBBQをしたこともなくそのような形で待ち合わせ集合する友人もイベント経験もないためあいにくこれは完全に虚言だったとしても、ともかく今言える事実として俺の検尿時のションベンは頼まれてもいないのに通常の2倍は発色のよいイエローであるということである。

検尿容器に入れたから発色よく見えるだとか朝イチだからとかそういう理由もあるのかもしれないが、それは普段のションベンを見る俺にしてみればそういうものでは説明できない明らかに黄色すぎるションベン。昔なら教卓におもむろに置かれた検尿回収箱、今であれば病院の検尿回収係の人に、ぐるぐる巻きのビニール袋の中からそんなまぶしいばかりの尿を取り出し提出するその一瞬、その一瞬だけでも人の目に触れるのが恥ずかしくてたまらない。ではどんなションベンならいいのかと言われるとそんな理想のションベンなどないのだがとにかく大人しくしていてほしい、普通にし、人と同じようにいて欲しいというのが出し主としての願いである。出る尿は打たれるからである。

しかしションベンの気持ちになってみるとどうだろう。検尿は年に一回の外出のようなものかもしれない。「外出」とは自宅トレイかそれ以外かという意味ではなく、便所かそれ以外という意味になるのだが、つまり検尿は己を検査、品評する年に一回の晴れの舞台なのかもしれないということである。そう考えるとションベンがその日だけは輝こうと張り切るのも無理はなく、アニキなんでしたらちょっと糖の一つでも足しときましょうかなどせんでいいことも考えているかもしれないし、あの発色は余所行きの一張羅と捉えると迷惑に感じるのも少しかわいそうな話なのかもしれない。

皆さんはどうだろうか。俺みたいに働きすぎて尿というか頭のほうがおかしくなっていませんでしょうか。

コロナにより全世界の男性の髪型がガタガタになる中、俺は

男性はどうしても月に一回、少なくとも二か月に一回は髪を切らないといけない。髪の生え方、男性によしとされる髪型や社会的なルールによるものである。あまりクローズアップされていない気がするがコロナで男性を直撃したのは髪を切りに行けないという深刻な問題。アメリカにおいてもコロナでの外出自粛や理容店の休業などもあり3月以降、普段は短髪が多く常に短く整えている人も多いアメリカ人でも段々と髪が伸びていく人は増え、3か月も過ぎたころには奥さんに切ってもらったりセルフカットに挑むもの、坊主にするものなどが増えてきて、若干ガタガタの髪をした人が周囲には一時的に増えたものの、6月からは理容店が営業再開、現在は普段のアメリカ人の頭髪が戻ってきたというのが今の状況である。

セルフカットや妻カットが拙かろうと、アメリカ人はまだいいのである。黒人男性は元からセルフカットが多く何ら問題はなさそう、白人男性とて彼らの髪は柔らかく、また肌の色とのコントラストが小さく若干バランスが悪かろうと何となく頭上に馴染み、ガタガタなりに数日もすれば整ってしまう。問題は我々アジア人である。アジア人の髪は硬く黒く、肌の色と明暗クッキリ、きちんと切らないと失敗があからさまに頭髪に出てしまう悲しい人々なのであるから。コロナ以降、初めての妻カット、セルフカットに挑戦し失敗した日本人を何人か見てきた。これは仕方がないことで、日本人男性の髪は難しい。プロであるアメリカの理容店でもアジア人の髪は上手く切れない人ばかりである。地元のアメリカ人理容店に挑戦し無残に頭髪だけマイクラになって帰還してきた人を俺も見てきたものである。

我が社にも日本人が何人かおり、彼らが5月ごろになり耐えきれず初の妻カットに挑戦し突然失敗田植えアートのようになってきたのを見た。それぞれ頭がこうなった経緯を必死に、恥ずかしそうに説明していたが、そこで聞いていた全員が頭がガタガタだったので、うんうんと我が事のように皆厳粛な面持ちで頷き、この辛い時期を頑張って乗り越えよう、コロナ許すまじと、まるでコロナは頭髪がガタガタになる病気であるかのような低いトーンで改めてこの恐ろしいウイルスとの闘いに頭ガタガタのまま燃えていたアツい光景であった。

俺はというと2年前に日本人の髪に慣れているはずのアジア人経営の理容院でまさかの、裏切りの角刈りにされて以降、当時は口ひげを生やしていたこともありフレディマーキュリーさんなどと親族にバカにされたこともあり心に深い傷を負うなどしてその後はもともと子供の髪を切っていた妻に俺も頼むと頭髪を委ね今に至る次第。妻カットでいうと大ベテランである。

3人の男子を切り続けた妻の腕前は素晴らしく今ではお任せで切って頂くほどなのだが、弱点としては完全に息子2名と全く同じ坊ちゃん刈りなので割と奥様方が集う場に俺が行くと「あら、お子さんと髪型が同じなんですね、かわいい」などと結構その場にいられないご指摘を受けるなどしたり、同じ髪型の息子にまで「お父さんの髪型ウナギみたい」とめちゃくちゃ聞いたことのないカッケェ表現でディスを受けては「お父さんがウナギならお前はウナギの稚魚のレプトケファルスだね」などとアカデミックに返しつつも俺の心の中ではかつて中学生の頃にビートルズみたいにしてくださいと近所の床屋に頼んだら髪が亀頭みたいになり「タートルズやないか~い」とセルフツッコミをしながら自転車で菜の花畑をHelp!と泣きながら帰宅した苦い記憶などがよみがえると徐々に俺の背後にWe will rock youが流れるのを感じながらも、それでも、それでも、、髪がガタガタよりは遥かにマシだと、マーキュリー・オブ・フレディよりはレノン・マッカートニーの亜種の方がイイと拳を握りしめ、この辛い時期を頑張って乗り越えよう、コロナ許すまじと、まるでコロナは頭髪が亀頭になる病気であるかのような低いトーンで改めてこの恐ろしいウイルスとの闘いに燃えている次第である。

思えば学生時代の就職活動はひどいもので

結局その年は留年してしまったので結果的には意味がなかったし、むしろ下手に就職していたら面倒なことになってしたかもしれないのだが、大学4年時の就職活動は今思い返すと大変ひどいものであった。

そもそも就職活動のことを微塵も理解していないばかりか、親が公務員だったから!というと人のせいにしすぎだが、会社で働くとか利潤を追求するという競争社会の原理、資本主義、ネクタイの結び方などの一切について全く興味もなく理解も出来なかったようで、会社というものをアニメや漫画に出てくる一般的なイメージ、サザエさん美味しんぼなどによりぼんやりとした概念で理解していたが、そこに自分の身を置いてみるということは到底できず、結果として就職活動は何の準備もされず自己流の、成り行き任せのアルバイト面接に限りなく近いノリで取り組んでいたように思う。だからすごく、ひどかった。

学生時代に何をしたか。アルバイトを通じて学んだことは俺は友達でもない人と接するのが嫌いだなあということぐらいで、仕事中に酒を飲んだり店長の目薬に酒を入れたりなどおよそ学生時代の経験として人に話せるものは何もなかった。授業を受け、バイトをし、酒を飲んでインターネットをしていた。CDを沢山持っていたという自然な理由で自己PRに「CDを沢山持っています」と書いたこともあったし、Aamazonでレビューを書きまくっていたので「アマゾンのトップレビュアー1000です」など、企業の皆様には何ら関係のない上別にすごくないことを臆面もなく書き連ねていたものである。

その様なずさんな書類でも審査を通過し面接に呼ばれれば大学入学式の時に買ったスーツをまとい、やべえカバンがないぞと面接当日コンビニで黒い布製のトートバッグを買って面接に行ったのも今思うとあの当時そのような話題を共有する友達が大学に居なかったことにほかならず、いかに手探りで孤独のうちに自己流の就職活動をしていたかということがうかがい知れる。

面接に呼ばれることも多々あったが、あの書類が通過するということは一次面接は書類もほとんど見なかったのかもしれない。あるとき控室から面接部屋に呼ばれ廊下を歩いていく途中、歩くたびにシャンシャン、シャンシャンと祭事に出てくる神聖な馬であるかのように俺の体からシャンシャンと鈴の音がすることに気づきポケットに手を入れると鈴付きの家の鍵を発見、とっさの機転で面接部屋の入口ドア横にあった観葉植物の鉢植えに入出直前にそっと鍵を隠して面接室へ。我ながら好判断!と思うと声も弾み「失礼します!」と中へ入るも、面接中は鍵のことが気になったというか、機転を利かせて鍵を隠した自分に半ば満足してしまった俺は何だこの会社は、早く終わらんかなと何をしに来たのか分からない状態で面接を終わらせると鍵を無事回収、再びシャンシャンと神聖な馬のような厳粛な足取りで帰宅したものであった。

俺の就職活動は終始そんな具合、その後も就職活動のことが全く分からず、落ちるべくして落ちた様々な企業。どこを受けたか名前も覚えておらずその後留年し唯一決まったのが築地市場の青果部門だったのも頷ける。度々書いている通り築地市場の仕事はそれなりに過酷なものだったが「ちゃんとやらないとつらい目にあう」という世の中の当たり前を失敗を通じて学ぶしかない俺には痛い目に遭いながら正しさを追求して転職活動を繰り返すのが合っていたということで、人が自分の将来のことを考える、いわゆるちゃんとするまでの時間や必要な経験には当然個人差があり、俺は就活の失敗と転職二回が必要だったと思うことにしている。

何の縁か今駐在員としてアメリカの会社に出向し働いているが、これは俺の大学卒業後数年を想うと全く想像も出来なかった状況、それだけを考えれば大学4年時の就職活動が俺の人生に及ぼした影響は一切なくて、就職活動や新卒として入った会社で人生はそんなに決まらないと思う。ここに書かれているのはひと時代前のダメな学生の姿ですから、ちゃんとした大学生活を過ごしきちんとした人生設計をした方が方が本人や社会にとっても有益なのは疑いようのない事実だけど、そうできない人もいるし、その人の参考になると嬉しく思う。