鬼滅の刃ごっこで鬼を演じるにあたって

流行っているものを俺は観てないと逆張りをカマしたいわけではなく単純に機会に恵まれず鬼滅の刃を一度も読んだことがなく子供が観ていたアニメをチラっと観た程度。残念ながら全く流行についていけていないわけではあるが、インターネットで流れてくる作品に関する断片的な情報で有名なセリフや登場人物、ストーリーの一部などは何となく先に覚えてしまった。知らないが知っている、非常にモヤモヤした状態である。

さすがに子供は色んなルートで日本の子供の間で流行しているものをキャッチし鬼滅の刃には辿り着いたようでタブレット鬼滅の刃を見ていたのを横から眺めると、大層死にざまの描写のエグいアニメだなと思っただけで俺はそれ以来一度も目にしていないが、ネットで自然と予習していた分、わずか10分ほど横から眺めていただけでも色々と得られた情報は多く、面白そうだなというのが率直な感想。

ちょっとだけ観たアニメに感化され、子供が昔買ったおもちゃの日本刀を引っ張り出し鬼滅の刃ごっこを始めたのは最近のこと。おそらくまだ殆ど観ておらずストーリーも分かっていない彼らすら遠くアメリカで自然発生的にごっこ遊びを始めるほど子供に訴えるものは大きいのだろう。それはまあいいとして問題は全く話を知らない俺に「鬼をやってほしい」というお願いをしてくることである。お父さんは見たことがないからどういう鬼なのと聞いても「首を切られた死ぬ」という簡単な説明のみなので、クワガタと同じかという程度の理解で挑まざるを得ない状況。

このようにこの作品における鬼の在り方が全く分かっていない為、鬼をやるとしても引き出しにはトラディショナルな鬼しか出てこない。父親から受け継いだ伝統的な鬼のジングル「ハッハッハ」という鬼の笑い声で登場し、あとの子供へのアプローチはナマハゲを参考に横移動を交え、追い込み漁のように退路を断って接近し体を掴む。

ナマハゲ行為の目的は悪い子がいないか探し、怖がらせ悪いことをさせないといういわゆるサーチ・アンド・デストロイ方式の教育的指導であるから、みだりに殺害行為は行わずひたすら「ハッハッハ」と邪悪に笑うのみ。登場からハッハッハと笑い、追いかけながらハッハッハと笑い、切られてもハッハッハと笑い、死ぬときになり急に「おのれ…」と感情の急降下。鬼の本質は喜喜喜怒なのである。

これが俺の知る鬼であるが恐らく鬼滅の刃ではこのような鬼はお呼びでなく話はかみ合わないことが予想されたが、どうやら子供としては手持ちの剣を片手に声に出してみたかった技の名前を連呼しひたすらに鬼をシバきたいだけなので鬼滅の刃としてのストーリーも設定もないただひたすらに横移動でインベーダーゲームのように接近してくる感情が喜と怒の2種類の鬼がハッハッハと剣で切られて「おのれ…」と死に、次の鬼としてまたハッハッハと呼び出され「おのれ…」と死ぬ。

こうした単純な鬼滅行為を延々続けるのが、殆ど知識のない者たちによるアメリカの片田舎で繰り広げられる鬼滅の刃ごっこなのである。

会社のおじさんから来たメール

赴任した時は4人いた駐在員が徐々に減らされ今年の春から1人になってしまい4人分の仕事をさせられている。正気ですかと会社にメールで尋ねたが音沙汰がなく、そういえば日ごろメールに返事をしてくるやつが全員頭がおかしいことから正気なのかもしれない。4割る1は4ですし、縁起が悪いですよといっても取り入ってくれず当然のようにめちゃくちゃ忙しくいつも体調が悪い。色んなところが悪くなったが今のトレンドは背中、背中が痛い。あとで何かあった時の為に書いておくが俺が病気で死んだら会社のせいです。

最後の同僚は俺より後に来て、俺の後任となるだったはずなのだが珍プレーが多いというかユニークというか、平たく言うと非常にバカだったのでコロナにかこつけて2年もたたずに帰任させられていった。彼がきたとき迎えに行った空港までの道をまた俺が送りに行った。親より先に死ぬ奴があるか。

彼は今では日本の田舎の営業所で楽しそうにアメリカの思い出話をしているらしく、かつて彼が残した多数の赤字案件について問い詰めようと久しぶりに電話したら景色を楽しむために鈍行列車に乗って2時間かけて出張に向かっている最中だと語った。そうかそうか、食事では器を楽しむ余裕が欲しいし出張では風景を楽しみたい。幸せそうでなによりである。俺は話の途中で電話を切って虚空を見つめた。

彼が帰ったその瞬間から俺の米国長期駐在は約束され、そしてそれを1名で耐えなければならないという事実と向き合うこととなり先日のコロナ禍の中での一時帰国、ビザ更新と相成ったわけである。ビザ更新はゴールではなくスタート、上司も同僚もないまま孤独なレースは続いていくと確か桜井和寿もかつてそのような歌を唄っていた。

そんな多忙な生活をしている俺だが、会社の会ったこともなければメールすらあまりやり取りをしたことのないおじさんからご自身のLINEのID付きで「仲間 欲しい よね」というメールが来たのは先日の事だった。それは幹部、管理職に配信される俺の月報配信メールへの返信。それにしてもやたら長いメールだった。要点を突き止めるのに30分かかった。おじさんのメールは単語なのか文節なのか規則性はないがどういうわけか定期的に半角スペースが入ってくることで有名であり巷では脅迫状と呼ばれていた。それがこの長文を読み解くことを大きく阻んだのである。

何度も読み返したがどう考えても要点は「仲間 欲しい よね」という事だった。1人で苦労している後輩の力になってあげたい、これはそうした温かい気遣いである。そういえばそうだ。上司もおらず誰からもケアもマネジメントされていない。遥かアメリカでこんな理不尽な話はないじゃないか。俺は孤独だ、仲間が欲しい。これはとてもありがたい話だ。しかし相手は選びたい。例えば「女の子だってエッチなんだよ」と言うがそれはバッチリ相手を選ぶことが前提なのである。俺もエッチだが相手を選びたい。すいません関係ない話をしました。

つまりそのメールの要旨としては「私が 仲間に なる から」という悪質な強迫行為で間違いなく警察に言おうとかと思いましたがどうやら選択肢はなくLINEを登録せざるを得ないという事だった。仕事のメールは基本的に即日返すようにしているがこのメールは2日間寝かせてしまった。熟成し発酵して文字化けし別のメールになってほしかったがそうはならず、諸々を勘案した結果逃げることをあきらめLINE登録に踏み切ったその瞬間におじさんからは即返事が来た。

「おはよう!日本は朝です。今日はいい天気です」

LINEでのジジイには半角が存在せず流ちょうな日本語だった。さながらオフの脅迫犯のといったところか。かわりにそこには中年男性特有の絵文字がふんだんに使われており、ひょっとしたら普段脅迫文と呼ばれている仕事でのあの半角スペースの入りまくったメールにも若者には見えない絵文字が存在しているのかもしれない。もしそうだったらそれはそれで昔のCHAGEのブログのようにもっと読みづらかっただろうな、などなどそのLINEの一文に対し色々思うところはあったが俺からは当たり障りのない、おじさんの嫌いそうな覇気のない若者じみた返事をしたところそれ以来返事がない。

今日は土曜日、今朝は特に体調が悪い。

ニュー新橋ビルの台湾式マッサージ

沢山の小さな飲食店がまるで飲み屋街のように軒を連ねる通称「おやじビル」こと新橋駅前の「ニュー新橋ビル」の3階にマッサージ店ばかりが集まるエリアがあるのをご存じだろうか。以前仕事の外回りで近くに来たのをきっかけとして新橋ビルを探検し、たまたまこのマッサージフロアにたどりつかなければ自分では知ることはなかったと思う。

フロア全体がマッサージ店だっただろうか。興味本位で眺めながら歩くと店内や店先に立つ店員から、大半は片言の「ドゾー」の呼び込みの声が一斉にあちこちから飛んでくる。夕方前、俺のほかにはフロアを徘徊する人もおらず、呼び込みが俺に集中する。場所柄健全な純然たるマッサージ店とは聞いていたがそれでもこのマッサージ店だらけの異様な雰囲気には圧倒される。

仕事中であったがマッサージ店に行ってみたいという気持ちが勝り、その中で比較的安かった「台湾式」と書いてある店に入ってみることとした。それが初めてのプロによるマッサージ経験。若干片言のの女性に一番短い時間とされた15分間のコースでお願いすることに。

「えっとぉ、こ、このぉ15分の」

「スッキリコース、ですね」

たしかそういう名前のコースだったが、とにかく店側が名付けた特有のサービス名や料理名を口にするのが俺には時々難しい。

スッキリコース、はじまるやすぐに「おおお」と声が漏れる。これぞ台湾式というべきか、初めての俺は正直何が台湾式なのか知らんのだけど、とにかくかなりのパワーで、まずは肩と首のあたりを手と肘でゴリゴリと、これがものすごく痛く思わず顔が歪む。その後同様に主に手と肘を使いものすごい力とせっかちな動きでゴリゴリ、腰、肩、足、これがどこをやっても痛かった。

「これが台湾式…」

良薬は口に苦しともいうし、この痛いのが効いている印でそしてそれが看板に掲げられた「台湾式」の極意なのだろうと信じじっと痛いのを顔をしかめて我慢をしていた。そういう痛いのをよしとするマッサージをテレビで見たことがあるような気がしたし、なんというか良かれと思ってやってもらっているのに「痛い」というと無粋というかイケていないというか、そういう色んな思いが交錯しつつ、痛かったけれども我慢をした。

「なぜならこ、これが台湾式なのだから…」

台湾式とはこういうもの、痛いものなのだろうそうだろうと我慢していたところ、もう15分も経とうかというところで、女性が「気モチーですか」と聞いてきた。それには俺も驚き「えっ!最初からもの凄く痛いです」と言うと「それは早く言ってくださいもう終わりです」と終了した。

クビに痛みを感じながら店から出てきた俺は「ドゾー」とあちこちから片言の呼び込みが浴びせられながら足取り重く新橋ビルを後にした。

男は男湯でゴジラになる

温泉や銭湯といった公共の浴場での男の振る舞いについても色々と思う事がある。

女性側でもあるかもしれないが、男湯では人が入ってくるとほぼ体付きと股間のチェックがなされる。これはその人の性的嗜好とは全く別のある種の無意識の確認作業であり、そういえば俺も何となくガタイ、股間、ついでの顔の3点セットを半ば本能的に確認してしまうし、また自分が確認されているのを常日頃感じてしまう。

悲しいかな、衣服を脱ぎ棄て肩書きも社会的地位もないありのままの姿になった時、モノをいうのは現代においてもガタイのよさと男性器のサイズという社会のルールから我々は未だ逃れられず、男湯で一目置かれるのはそのいずれかで優りし者。従ってこの浴場のこの瞬間の潜在的ヒエラルキーというのはその瞬間瞬間、入って来た者のガタイと男性器で瞬く間に入れ替わる世界なのである。従ってタオルで股間を隠しし者はこのレースからそれこそタオルを投げ込みし者なのでこの限りではなく、股間タオルで隠しし者として殆ど相手にされない。

そんなタオルキッズはここから先の話からは除外してあるのだが、銭湯、温泉に入ると男らしい動きをしてしまうという人を俺は結構見かける。俺も何となくやってしまう男湯ヒエラルキーの中で無意識にけん制しあう男の闘いである。なぜかいつもより妙にガニ股になって歩いてみたり、温度の丁度良さに「あぁー」とか「うぅー」などのFeelingsを野生動物のように周囲に遠慮なく言い放ち、さも俺は周りのことなど気にしない男deathとでも言いたげな風に、自由気ままに己の気持ちEを響かせるなど、普段なら絶対やらない大胆な動きを男湯だとついついやってしまうという人のことだ。開放感がそうさせましてでは説明出来ない意図的な男らしさの演出。股間チェックから続く一連のおとこらしさ対決は常にそこかしこで続いているのである。

男らしさの演出、その最たるものが、あの男湯で発生する全員のスローな動きだと思う。なぜ男は温泉で動きがスローになるのか。全員動きが遅い。おいおい、お前たちどうしたんだと俺はいつも考えていた。確かに銭湯にきてチャカチャカと俊敏に動き回るのは大抵子供か股間をタオルで隠した俊敏な小さいオッサンだけである。それ以外はみな動きがゆっくり。リラックスしているからか、ゆっくりしに来ているから動きもゆっくりになるのか?周囲への配慮?それだけだろうか。

それも今では全て今は「男湯ヒエラルキー」で説明がつく。がに股、「あー」とか「うー」という気ままな雄叫びに、あの必要以上に幅を取るスローな動きとくれば、それはつまりゴジラなのである。男は公共の浴場では皆ゴジラになるのである。ゴジラはがに股だし、水の中で気に食わないことがあればすぐ「あー」みたいな感じのことを言いますし、そういえばお湯の中からジジイが立ち上がる際に見せるあのゆっくりとした動きなんて、海から出て来て豪快にわななく、ゴジラの登場シーンそのもの。(男の股間ゴジラのしっぽ?!)そうだ、昔から強さはスローで演出されてきた。子供の頃見た色んな特撮モノの影響が反映され、その結果のゴジラ、ますます明かになるのが男らしさへの、強いものへの憧れだ。

そんな無駄な男同士の競い合いも湯船に浸かれば関係ない。Bodyは湯の中、競うものがない束の間のリラックスタイム。しかし油断してはなりません、ここでも行われる男の静かな闘い。男は野蛮なので競争がだぁいすき。

《あいつが上がったらあがろう》

いつの間にか各々の頭の中で密かに開催される我慢大会のメンバーにあなたも入れられているかもしれない。いやあ面倒臭いですね。

無職になった日の朝

25歳の春、2年務めた築地市場の青果部門で働くのをやめ無職になった。

「彼女からも毎日朝早いし土日も休みがないので辞めてほしいと言われまして」

いざ理由を述べる際、上司に向かい、辞める理由として極めて賢くない話をしてしまったことで案の定俺は付き合っていた彼女共々会社の偉い人に呼び出され、銀座のレストランで食事をしながらの説得を受けてしまった。

最終的には「普通の仕事がしたい」という若さゆえに出た残酷な本音の前には「ああ、そう…」と説得のトーンも下がり、そもそも呼び出された彼女が勝手に退職のキーマンにされてこの場に呼ばれたことに迷惑そうな顔をしていたことなどもあり、なんとか無事に辞めることが出来た。

最終出社日に送別会が開かれると、従来朴訥でその当時あまり職場では喜怒哀楽をはっきりと見せなかった俺が最後に挨拶したときに声を詰まらせ涙を流していたことが職場の皆様を大いに喜ばせ、3次会までほぼ全員が参加するというたかだか2年目の社員の送別会にしては妙な盛り上がりを見せたのを覚えているが、その実、半年間ろくに休めなかったこの職場をついに辞めるとなった安堵感、このままこの辛い生活を一生続けるかもしれない不安や少なからずあったこんなはずじゃなかったという後悔など、到底今目の前で盛り上がっている人々に堂々と言えようはずもない失礼な考えが頭の中を巡った結果のものであった。

「またいつでも戻ってこいよ…」

それだけはマジでご勘弁くださいと思ったが、あの涙が理由となり最終的には元職場の皆々様には好印象だけを残し円満に辞めていく恰好となり、背景はともかく後味の良い形で辞められたことを自分ながら満足していた。

俺の少し前にも同じようにこの職場を辞めた人が同じように送別会をしてもらい、ようやく辞めることが出来たという解放感から鯨飲したその帰りに電車に接触し亡くなるというめちゃくちゃに痛ましい事故があったこともあり、俺がそうならぬよう会の終りにはやたらと厳重な見送りと、「死ぬなよ」という生々しい別れの挨拶。「戻ってこい」「死ぬな」そのような物騒な別れの挨拶を色んな人から投げられる涙目の若者を何事かと振り返る歩行者。こいつ戦場に行くのかと。

翌朝からはもう早朝暗闇の中で起きる必要もあの埃だらけの小汚い現場で汚れ仕事をしなくて良いのだと、死ぬなよという声を背中で受けながら帰宅し久しぶりに何の気兼ねもなく布団に入る。翌朝は2年間の習慣にたたき起こされ早朝4時、早起きしても何も起きない無職の初日を朝日ののぼる前の暗闇の中、ぼんやり孤独に迎えたものであった。昨日まで沢山の人に囲まれてゴチャゴチャして、悩みがあって、負荷を感じていた。それが今は一人である。無職である。

朝8時。築地は朝イチの仕事を終えている頃である。何もすることが思いつかず、3階の窓から下を見下ろすとマンションの人々が出勤していくのが見える。それを見ながら仕事辞めたんだなという気持ちとこれから自分に待っているもののことを考えていた。