腱鞘炎への恐怖

インターネット経由の過剰な情報量が若者に与える悪影響と言われると、さいですね、イエスですねと思うわけだが、一方で情報源が地元で手に入る限られた紙媒体しかない時代に青春時代を過ごしたのでそうしたかなり限定的な情報から自分の生きる道を決め続けていたと思うとそれはそれで恐ろしくて仕方がない。

中学1、2年の時分、俺が得ていたカルチャー情報の大半は兄が定期購読していたファッション誌「Boon」の白黒ページ経由であり、またそのBoon白黒に時々混ざってくるエロいコーナーにより俺の10代初頭の性知識は醸成されたといっても過言ではなく、いま思えば作り話が大半のあの手のエロコーナーの体験談をくまなく読みふけってはなるほど納得と誤ったHow Toを日々形成していったものだなあと恐ろしくも今では懐かしく思う次第なのである。

腱鞘炎というものの存在について初めてその存在を知ったのも件のBoonである。若者向けの雑誌とあって何かと性急なBoonの中では腱鞘炎はオナニーをしすぎるとなってしまうヤバい症状であると面白おかしく断じており、あるときそれを我々ティーンに意識付けする意味でか「オナニーしすぎで腱鞘炎になり、通った病院の先生に『右腕を破壊するなんて、君のチンコはスゴい!』と褒められた」という起承転結の起だけで(チンコだけに)書かれたようなBoon白黒ページではおなじみの内容の薄さ2ミクロンほど、匠の研磨技術で作られたようなペラペラの体験談を読んだときにも発症するや無条件に若い看護婦にチン毛を剃られることでBoon読者の間では常識となっていた盲腸パイセンと共に腱鞘炎は”なるとヤバいメンズの病気”の一つとしてその後数年間、俺の中に君臨し続けたものである。

手に力が入らないなど右手回りに関する様々な自覚症状から判断すると俺は中学生の頃から何がしかの理由によってもしかしたら腱鞘炎に近い状態であった可能性があるとも思われるが、先のBoonの体験談を読んでしまったがために病院に行くことを甚だ恐れていて答えは分からないまま。「あなたは腱鞘炎です。君のチンコはスゴい!」などBoonに出てくる名医のように宣告されるのがとってもこわくて、その実あの時分にはめちゃくちゃオナニーをしていたという確固たる実績、また、俺こそが世界で一番しているかもしれないというその実績に裏付けられた不安もあったものですから、どうしてもここで通院などして「オナニーしすぎ病」という思春期の男子学生にとって死の宣告をされるも同然といえる腱鞘炎の、そのアッパレ認定をもらってたまるものかと、手の痛みを我慢し結局20年近く放置し続けて今に至る。だから俺の手は今も痛い。

先日久しぶりに我慢できないほどの手首の痛みに苛まれふとこの腱鞘炎のことを思い出した次第である。

ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルドの続編が待てない

ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」の続編が2022年に発売されるという。ゲームに殆ど興味がない俺が珍しくこのニュースに心を躍らせている。それほど面白く、今でも思い出して時々やるほどハマったゲームという事もあるが、このゲームには特別な思い入れがあるからだ。アメリカに来てすぐ、家が決まるまでの一か月をホテル暮らしをしていた頃に殆ど心が折れそうだった俺を助けてくれた心の友、命の恩人だからである。

うちの会社が駐在の為に渡米してきた何も知らない人間に対し殆どシカトをキめこみ、生活のセットアップや日常生活に関する基本的なアドバイスに至る一切を何も助けてくれないエッジの効いた会社だという部分が大きく影響しているが、アメリカに来てからの半月は心の折れることの連続でただでさえ異国の地、誰も身内のいない状態で孤立感は更に高まり、外に出ることに完全に恐怖心を抱き、更にはアメリカ人と顔を合わせるのもしんどい状況になったというものである。

週末はいわゆる引きこもり状態になった中で追い打ちをかけるような事態も発生。それこそがホテルのテレビバグり問題であるが、1か月間泊まる予定のホテルのテレビが初日からバグっており、チャンネルを変える時だけリモコンは効かず、電源を切っても電源を抜いても何をしようとも来る日も来る日も画面に流れるのはそのホテルのプロモーションビデオのみだったのである。

そのプロモーションビデオがまた非常にイカれており、ぐっさんこと山口智充に殆どそっくりの常時半笑いのアジア系アメリカ人がスローなテンポの女性ボーカルが歌ういい感じのBGM合わせ、あろうことか一人でバーベキューを主催するや、次々ぐっさんの家に現れる人々を連続でもてなすという極めて珍妙な映像なのである。(今冷静に考えると設定は普通なので観すぎた俺がイカれていたのかもしれませんが)

それがまた単純な撮影による映像ではなく、よせばいいのにいわゆる写真を細かく繋いで作ったようなコマ送りのようなトリッキーなヤツだったものだからそれを連日見せられるオーディエンスとしては気の狂い様は甚だしく、とはいってもテレビは観たいので「今日こそは」と思ってテレビをつけるたびに「ハズレ~」とばかりに半笑いのぐっさんバーベキュータイムがスタート。無言でテレビを消す俺。今日も、明日も半笑いのぐっさんによる連続屋外バーベキューもてなし事件発生なのである。(誰か2017年夏にMarriotグループのホテルに泊まっていた人がいたらこの映像を見ているはずであるが分かる人がいたらぜひお話ししたい)

このように、例え言語が違おうと、唯一の逃げ場と思っていた外界との接点であるテレビを絶たれた俺はいよいよ追い詰められた。真剣に友達を作ろうとアメリカ在住の日本人コミュニティサイトを発見、そこにあった「友達募集」という今までなら絶対見向きもしなかったコーナーに居たアメリカ人男性に、男女の出会いではなく真剣に友達が欲しい旨、今思うとなかなかキモいドストレートな「寂しい!」みたいなメールを送ったほどであった。

1人だけ1週間ほどメールが続いたものの、殆どは「男性です」と名乗った瞬間連絡がこなくなるケースが多く万策尽き鏡を見ると俺の顔もバーベキューでもてなすぐっさんと同じ半笑いになっていたものであるが、その中の1週間ほどメールを続けた男性とも最後は自然消滅的な感じでメールのやり取りも終了するのだが、今思うともうお前メールしてくるなという意味もあったのであろうか、最後に「ゲームでもしたら?」という投げやりな返信に、ハッとひらめいたのがゲーム機を買うというアイディアなのであった。

ゲームを全くしてこなかった人生だったので全くひらめきすらしなかったが、こういう時にこそゲームはあるのであり、家族もおらず誰にも邪魔されないこの状況は未曽有のゲームチャンスなのではと俄然色めき立ち、そこからは一気である。

仕事帰りに近所のお店のゲームコーナーへ直行。ゲームの事を知らないので今一番流行っているヤツが欲しいと一番売り場で幅を利かせていた赤い箱のゲーム、ニンテンドースイッチを手に取ると、ソフトは正直何でもよかったがそこで目に入ったのが「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」であった。ゼルダか、ゼルダ君ねぇ、ゼルダは俺でも知っている。緑の服を着たゼルダ君がグルグル回って剣で草や敵を切ってはハートを得るハートフルなアクションアドベンチャーであることぐらい、俺でも知ってるってんだい!とばかりに殆ど直感でムンズとゲームソフトを掴みレジに行くとゲームコーナーには似つかわしくないガタイの良い店員から「エンジョイ!」と激励されると、うれしくて思わず「寂しい!」と友達になってもらおうとするところであった。

それからである。俺とニンテンドースイッチは激しく愛し合い、平日は帰宅後から寝るまで一日6時間、休日になると17時間もプレイしたほど。しかしながらゲーム音痴かつ人の話を全く聞かないので一番最初、ゼルダのゼの字と言われるあの例の塔の場所が全く分からずなんと一番最初の塔を見つけるまでに60時間ほど費やした燃費の悪さ。ゼルダが姫のことだという事にも状況が呑み込めず「え、じゃあ、ゼルダ君はどうなるんだい?」と最初はピンと来ていなかったほどである。

そんな中でパラセールを入手して最初のエリアから広大な世界へとびたった瞬間の俺の解放感、感動ときたらですね、なんというか「俺はこのままもうホテルの外に出ないぞ!!!」という捻じれた解放感がそこにあって、異国で孤立していることとかホテルに引きこもっていること、これから先色々とやらなければならないことなどの一切を忘れひたすらに目の前の問題を棚上げし、ただただ茶色いボコブリンを背後からエイッとシバくことに、精を出したわけなんですね。

ゼルダの伝説を命の恩人と呼ぶのはこのような理由からなのであるが、その続編が出るというニュースを聞いて、4年半前、アメリカに来てすぐの辛かった日々を思い出した俺であった。

お年を召されておりますので

アメリカに行くことになる少し前、仕事がうまくいかず上司とも合わず、転勤でやってきた当時住んでた街にも馴染めず、身の回りのもの全てにうんざりするという30代のサラリーマンにはある種のあるあるともいえる現象により、当時転職によって入社して5年目の会社から更に転職をしようと斡旋業者、いわゆる転職エージェントに登録をしたことがあった。

既に2回の転職経験があり転職に対して殆ど抵抗がないばかりか、それまで転職をするたびに人生が好転してきたと思っていたので今回もかなりの期待を寄せて申し込みをしたのだが、過去2回の転職を経験した東京圏と違いその当時地方に居たこともあってか妙に求人内容が物足りなかったものだから、紹介してきた転職サービス会社の担当女性のアラキさんに「なんか、こう、、もうちょっと良いのはないんでしょうね!(チラッチラッ」などやんわりと紹介される求人内容がよくないぞ、クソだぞの意を伝えると、それに返して曰く

「お年を召されておりますので…」

言いやがったな、である。他人の年齢を推測するのは良くはないが、アラキさんとて多分俺と同い年か何ならちょっと上であったと思う。その当時34、5歳ぐらいだった自分がまさか同世代の人にお年を召すなど言われるとは思っておらず、その新鮮な言葉の響きが当初はめちゃくちゃツボに入り気に入って色んな所でネタにしていたがそのうち段々と確かに自分がお年を召している気がしてきたのと、根が被害妄想で出来ているため彼女のお言葉を反芻するにつれ

≪クソぁ求人ではなくぉめぇなんだょ≫

つまりそんな風に言われているようい思えてきてその後の転職に対するテンションときたらもはや地の底、お年を召しているくせにノリノリで若かった頃と同じノリで転職シーンに参入などしようとした自分が恥ずかしいやらなにやらでアラキさんにはその後お年を召したことを理由に以後連絡するのをやめ転職活動がその瞬間に完全終了してしまった。

そしてその数か月後に転職をしようとしていた会社から突然アメリカ行きを伝えられ今に至ることを想うと、何気ない一言が他人の人生を変えちゃうんだなって、、あれからナチュラルに時が経ちガチでめちゃお年を召した今の俺をアラキさんにまた見て貰いたい。どうですか、アラキさんも召してますか。

オッサンのスポーツシーン、その魅力

3か月ほど前に紹介してもらい、毎週金曜日に教会の中にある体育館で付近に住む日本人のバスケットサークルに混ぜてもらうことになった。アラフォーにしてまさかのバスケット界復帰であるが一部高校生が混じっているもののほぼ全員オッサンなので歳のハンデもなく何となく混じっても今のところ普通にやれている。

一応アメリカでもバスケやるかもしれないと持参してきていたバスケットシューズは復帰2回目であえなくぶっ壊れ、プレイすれば足がつり、ガチの息切れ、足首に残った古傷の痛みなどなど、正直毎回「今日が最後かもしれない」と大ケガや突然死などを切実に覚悟しながら教会に向かうわけなのだが、教会で死ぬならあの世へショートカットでええわいと思いつつ、幸い今のところ大きなケガもなく無事に毎週心も折れることなく通い続けている。

バスケットに限らずだがオッサンのスポーツシーン特有のものが幾つかあり、まず吐息が非常に臭い。臭いです。俺たちときたらもはやエキゾーストが大分世間一般より臭いのである。こんなやつらが環境のためにゼロ・エミッション!とか言っているのを見ると泣けてきます。疲れていると呼吸が大きくなり、出す側もまた吸う側もエアーの交換が活発になるのだが、まあ息が臭いね。臭いよ。疲れているときにフレッシュエアが来なかったらもうイラっとするのでできればお互い前半だけは息を止めてやりたいものです。

次に言えることは体にガタが来ているがゆえになんといいますかボディ面への装備が多いという事である。「これを履くと足の疲れがとれやすい」など、いい歳したオッサンがよく分からない女子のニーソックスみたいなセクシーな靴下をまとったり、あんたはロボットですかと言いたくなるようなメカメカしくもイカついサポーターをヒザやヒジ、腕全域などにつけたり、何かのおまじないのような謎のデザインのテーピングが首から肩に施されていたりと、とにかくオッサンのスポーツシーンでは色んな装備により人肌の露出がなくなり、顔だけオッサンの悲しいアンドロイド同士の戦い感がすごい。大体挙動もスローでロボットみたいですからね。あと、息が臭い!

最後にオッサンのスポーツシーンはとにかく汚いプレイが多いという事である。引っ張る、押す、とぼける。息が臭い。仕事と同じじゃないですか。理想と現実のギャップ、イマジネーションにボディが追い付かないことに折り合いをつけるため繰り出される老獪とは言いたくない小汚いプレイ。また、仕事で培ったと思われる「やってるフリ」の数々。

特にバスケットにはスクリーンプレイというのがありジジイはこれが大好き。スクリーンプレイとは、攻め側のボールを持たないプレイヤーがディフェンダーの背後にソッとバレないように立ち、ついたてのように立ちふさがり守備の邪魔をするプレイである。端的に言うとボールを持たずして味方の攻撃を「サポート」するチームプレイの一つである。動かなくていいし一応何かやってる感もあるということで、ジジイのバスケになればなるほどこのスクリーンプレイが激増。気づいたら全員「すん」というおすまし顔で一斉にスクリーンプレイをしていて誰も攻めていないという御社のプロジェクトと同じようなまさかの出来事も、まま起こります。

オッサンのスポーツシーンは往々にしてこのような感じでとても居心地がよく、俺も毎週金曜日体育館に行ってはユニークな吐息で得意のスクリーンプレイに興じて省エネで疲れないように何とか乗り切り、今日もケガせずにすんだ、死なずにすんだと安心の面持ちで家に帰るのである。

なんだか遠くからやめちまえよという声が聞こえる。

デトロイト郊外の「タッちゃんラーメン」

タッちゃんラーメン(限りなく実名に近い仮名)というラーメン屋がデトロイト郊外にある。タッちゃんラーメンは狭い店内にテーブル席が7席程度とさほど大きくなく、またキレイでもないが現地のアメリカ人また駐在でやってきた日本人にやたらと人気があり12時前に行かないと店外で待たされるというようなそういうお店である。

タッちゃんラーメンの名物はカレーラーメンである。アメリカに来て1か月にも満たない頃、「うまいラーメンが恋しくなってきただろう」と言われ会社から近かったこともあり同僚数名に連れられて行ったのが俺の初タッちゃんラーメンであった。

カレーラーメン以外頼んじゃダメ」

おすすめはカレーラーメンらしかった。恋しいだろうって言いながら、ひさしぶりのラーメン屋に連れてこられてスタンダードなラーメンが頼めないことにやや違和感を覚え、本当は普通の味噌とか醤油ラーメンが食べたかったところだったがそこに居た全員が妙にカレーラーメンをプッシュするので抗う術もなく俺は言われるがままにタッちゃん名物カレーラーメンをオーダーすることになった。

カレーうどんは経験があるがカレーラーメンというのは初めてである。10分もしないうちにカレーラーメンがやってきた。カレーうどんで見られるような麺に絡みやすい薄めのルウの奥には確かにラーメンの麺が眠っていた。

同僚もここしばらく来られてなかったのか「よっしゃぁ」など興奮している様子。タッちゃん名物カレーラーメン。しかしながら遥か彼方アメリカで暮らす日本人を虜にしたというその味はなんというか、実に普通だった。

≪カレーの中に麺が入っているだけだねェ。≫

それ以外の感想はなかった。しかしそれを言いだすとかつ丼もご飯の上にカツが乗っているだけかもしれないし、刺身は死肉、俺は服を着たオッサンでしかない。

カレーの中に麺が入っている。別にルウと麺の調和もなくただカレーの中に入った面を取り出して食べ、時々外側にあるルウを飲む、そんな食べ物のように感じられた。

子供の頃、母親が前日の土曜日に残ったカレーを用いてカレーうどんを作り翌日の昼食に出したことがあった。玄界灘に面した漁村育ちの父親はカレーうどんという舶来の食べ物の存在を知らず「食べ物で遊ぶなァ!!」と母親を一喝した悲しい事件を思い出しながらタッちゃんラーメンの奥から麺を取り出しを無言ですすっていた。

「うめえだろ」

二ヤリ。という表情で久しぶりのうまいラーメンに喜ぶ俺を期待した同僚たちが俺の顔を確認する。心の中で食べ物で遊ぶなよとは思っていたが別に美味いとは思わなかった。うめえうめえと言いながら食っている同僚にドン引きしながら一応「うまいっすねえ、カレーの中に麺があって」というような感想ともいえない状況説明めいたことを返してやり過ごした。

 

理由はよく分からないのだが、もしかしたらタッちゃんラーメンの中には微量の麻薬が入っているのかもしれない。それから一か月、半年と、アメリカ生活が経過する中で何度かタッちゃんラーメンに連れていかれ、最初は首をかしげながら、そして次第にルウの奥に何かを見出しながら、段々とこのカレーラーメンの味が病みつきになっていたのである。

「今週あたりタッちゃんラーメン行きましょうよ」

1年もしたころ、ついには自分からタツ兄のカラダを求めるようにすらなっていた。

ある時日本から来た出張者に「アメリカにも美味いラーメンがある」と自信満々でタッちゃんのカレーラーメンへ連れていく自分の姿があった。「カレーラーメンを頼んでみてください」「うまいでしょ」と問う俺には、芳しくない返事をする出張者の曇った表情は一切見えなかった。

こんだけカレーラーメンが美味いのだからと、ある時俺はふと思い出したようにタッちゃんには塩ラーメンもあることを思い出し≪カレーラーメン以外頼んじゃダメ≫の禁忌を破り、ウキウキしてそれをオーダーしてしまった。カレーラーメンだけでこの1年ここまで魅せてくれたタッちゃんに新しい魅力(ワールド)が追加されてしまうのか。俺はワクワクしながら塩ラーメンを待った。そして麺リフトからの実食。その感想は…!?

≪塩の中に麺が入っているだけだねェ。≫

それはまた一か月、半年と肌を重ねるであろうタツ兄との冒険の始まりであった。