思い出

盲腸になるのがとにかく怖かった

中学時代がピークだったと思うが、虫垂炎、いわゆる「盲腸」になることを異様に恐れていた時期があった。 いつ痛くなるか分からない不安、そして痛くなるや即手術という恐怖もその理由ではあったが、最大の理由は女性看護師に、大人の女性に自分のチンコを見…

千葉の農家で過ごした1週間

大学を出て築地の青果部門にある会社に入って間もない頃、千葉の東側、九十九里浜沿いにある旭市というところへ一人で派遣された。名目上は農業研修だが要は農家の作業を手伝う労働者である。市場と関係のあるJAに対し、こうして新人を派遣することで関係を…

スナックのママ

そもそも自分の親のことをママなどと呼ぶ家庭ではなかったものだからスナックの「ママ」という表現には強い抵抗感があり、あまつさえ大の大人が「ママ」などと発しているのを見るのはかなり辛いものがあるというもんであるが、しかし社会人になるとスナック…

都内

「しかし××くん、都内はアレだねぇ↑」 あれは20代半ば、前職でのことである。午前中の、まださほど忙しくない時間に、今日も上ずった声の支店長が部下とのコミュニケーションのつもりかフラリと話し掛けてきた。 とはいえこの支店長、人と話をするのが苦手な…

スラムダンクの連載が始まったとき、男子はみんな流川楓になった

スラムダンクという漫画、説明するまでもなかろうが、あの連載が始まったのが多分俺が小学5年か6年生の頃で当時NBAは既に人気で観るスポーツとしては日本でも人気があったものの競技としてはまだまだ日本ではマイナースポーツだった時代にあの漫画は少なから…

仕事中に寝たいという気持ち

研修期間中、物作りから覚えるためにと工場のラインで3ヶ月近く働いていたときの話である。 先日、いつも通り死んだ目で立って材料の裏側をゴシゴシ磨く作業をしていたところ、現れた班長に「そろそろ顕微鏡を使ってみるか?」的な問いかけをされたときは、…

高円寺の居酒屋「山おやじ」

今はもう無くなってしまったのだが、学生のころ住んでいた高円寺に「山おやじ」という居酒屋があった。 最初に入ったきっかけや通うようになった経緯など全く記憶にないのだが、気づいたら月に1回は何となく一人でフラっと入るような店になっていた。 山おや…

何者かにゆっくりと追いかけられる夢

今でも時々足元のぬかるんだ歩きにくい場所で、後方から迫る何者かにゆっくりと追いかけられる夢を見る。心身のいずれかが不調のときみる定番の夢である。なぜこの同じ夢を毎回見るのか、それにはどうも原体験となる子供の頃のエピソードがあるようなのであ…

マサルセックス

中学の頃、近所の電柱に緑色のスプレーで「マサルセックス」と殴り書きされていた。 最初はよく読めなかった。雑な字であったし、スプレーとはいえ風雨にさらされたのかところどころ線は消えかけている。それでもセックスだけはハッキリと読み取ることができ…

周りを見渡せばみんな童貞ばかりであった

高校時代、周りを見渡せばみんな童貞ばかりであった。一応進学校であったからみんなそれなりに真面目だったのは間違いないが、それにしても、というレベルである。童貞率は90%ぐらいだったのではないか。湿度じゃなかったのが唯一の救いだ。 進学校といって…

少年野球の思い出

兄について行く形で小学二年のころに少年野球チームに入っていた。もともとの動機がそれだったので結局兄が一年もしないうちに辞めるのに伴い俺も一緒に辞めることとなったのだが、子供ながらに今思い返しても居心地の悪さばかりが記憶に残る子供のころのい…

上司に俺の愛妻弁当を食べろといわれ

以前仕事場の上司に突然「おい、俺の弁当食ってくれるか?」と言われ、持参してきた奥さんの手作り弁当を突然渡された。何らかの用事で弁当が食べられなくなったらしいその人は、俺に自分の弁当箱を渡すと俺の答えも聞かずにスタスタと去っていった。 よその…

増水した川に浮かんでいたダッチワイフ

あれは確か中体連が終わり、3年生が抜けたバスケット部が我々2年生のものになっていた夏休み中の出来事だったと思う。 その週の大半は大雨であった。特にひどかった前日の大雨が上がると急に天気は良くなり、久しぶりに自転車で部活に行ったその帰り、俺は自…

大学1年生、初めてのアルバイト面接

高校は部活三昧であり九州のド田舎でもあったことから、初めてのアルバイトは大学1年になってからであった。 そんな人生初めてのアルバイト先は渋谷の東急百貨店のデパ地下で洋菓子の販売員。デパ地下の食料品売り場というと、キチッとした雰囲気と清潔感が…

中野駅前のラスベガス

ファミコン、ファーストフードに炭酸飲料と子供のころに親から色々と禁じられていたものが多かった関係でいつしか感心すら抱かぬようになり、結果としていやと言うほど自由を与えられることとなった大学生になって初めて体験するものが多かった様に思う。 進…

死んでなかった世良公則

場所もハッキリと覚えているのだが、生まれ故郷である佐賀県唐津市の市民体育館近くにある道路下のトンネルに、スプレーを使い、かなり大きくまた太い字で「世良公則殺す」と書かれていた。 最初に見たのが多分小学生の頃だったと思うが、ヤンキー特有の気合…

受験勉強と角兵のたぬきうどん

勉強は学校と家でやれ、なる親の方針で子供のころから塾とか予備校の類には一度も行かせてくれず、大学受験ですらただひたすらに自学に頼るのみであった。もっともそれも俺だけではなく、ド田舎であったからまともな予備校もなく、中には福岡まで通うもの、…

忘れられない、学生寮の納豆の味

納豆が好きになったきっかけは大学2年の夏まで入っていた学生寮の朝飯で出てくる納豆であった。 パック納豆が各自に与えられるのではなく、ボウル状の大皿に何パック分かわからないがネギとタレが加えられ、よくかき混ぜられた納豆。ある朝食べてみたら美味…

まだ時々、ゆっくり留年する夢を見続けている

今でも時々夢を見る。目の前でゆっくり留年していく俺である。防げたいくつものミスをほったらかしにして確実にゆっくり留年していく俺を目の前で止めることもせずに眺める夢である。 俺は大学を留年した。単位が4単位足らなかったためだ。本気を出せば取れ…

ある戦争体験者の話

佐賀県育ちの俺はというと、小学生の頃の修学旅行といえば決まって長崎であった。同じ隣県の福岡よりも異国情緒溢れ、手っ取り早く観光地を味わえるのも理由かと想像するが、選ばれるもう一つの理由は長崎が原爆が落とされた都市であることで、平和教育もそ…

最後の3分間スピーチ

前に働いていた会社には週の初めに3分間スピーチってやつがあって、自分のプライベートの話、ニュースについての感想など、何でもいいからとにかく前に出て3分間程度スピーチしなければならなかった。 対象は営業職のみで、順番に回していったとしても大体…

部活の沖縄遠征での思い出

bokunonoumiso.hatenablog.com 以前この記事で書いたように高校のバスケ部が俺のいた年だけまあまあ強く、下手すれば県大会で優勝も狙えるゾという事でOBから寄付などを募り、3年生メンバーだけで沖縄に遠征に行った事がある。インターハイを2ヶ月後に控える…

因果応報~トイレの個室に閉じ込められた日~

20代も半ばのころだろうか、新宿のとあるデパートで便意をもよおしトイレに駆け込むと既に先客がいた。 大便所は1つだけ。あいにく上下の階は男子トイレがなく、また俺の他に並ぶ者もいない上、まだ緊急性も低かった事から一旦トイレを出て、個室が空くのを…

店長の目薬にジントニックが

学生のときの話である。誰しも経験したであろう若気の至り、もはや時効と言うことでお許しいただきたいがこれは当時アルバイトをしていたカラオケ屋でのちょっとした悪事の告白である。 大学時代に一番長くアルバイトをしたのが高円寺のカラオケ屋。今はもう…

お前の分も買えよ

職場を歩いていると遠くから50がらみの上司に手招きされ、近づくと小銭入れを渡された。 「いつもの俺のコーヒーと、あとお前の分も買えよ」 そういうと上司は早く行けとばかりにタバコに火をつける。 渡された小銭入れを握り締めてダッシュで自動販売機へ向…

Pait It, Black(黒く塗れ)

同じ中学に白石君という若白髪の男子生徒がいた。とはいえ彼の白髪は頭髪全体を覆うものではなく頭の一箇所だけに、それはまるでミステリー・サークルの様に、直径五センチほどの場所に白髪が密集して生えているというもの。 本人も白髪のことは気にしていた…

フォークリフトの免許を取った時の話

社会人になると業務上必要となる色んな免許、資格を取らねばならない場面が出てくる。 俺が社会人になって初めて取ったのはフォークリフトの免許である。前回の記事で書いたとおり、大学卒業後になぜか築地市場のセリ人として社会人生活をスタートした俺であ…

「枯れ松の調査員」という仕事

6単位を取りこぼし呆気なく留年してしまった俺のその時の話はまたいつかするとして、不足単位が半期で取得できるものだけに与えられる秋季卒業システムにより俺の卒業証書授与式はその年の9月、大学のちょっとだけ広い部屋で数名の9月卒業者と共に静かに行わ…

俺のキャバクラ経験について

前勤めていた職場で、先輩や取引先の人々に連れられ、東京の下町、門前仲町に飲みに連れて行ってもらったことがあった。 入ったのはスナックのようなたたずまいの、何かアダルトな雰囲気を醸し出すちょっと暗めなお店。客は地元のジジイが主と思しきアットホ…

バスケの試合に1秒だけ出た時のことです

高校時代はバスケットボール部。あのときは辛いなんて思わなかったが、土曜も日曜も休まず部活に行っていた日々が今では信じられない。あれだけ時間を費やしたものだからその分部活の思い出も多い。良い仲間たちとの良い思い出。今でも時々思い出してしまう…