人生で初めてタンメンを食べた時のこと

タンメンという食べ物を初めて食べたのは30代になってからだ。

自分にはあまり馴染みのない食べ物の割には周りは結構食べており、中華料理屋へ行けば「タンメンちょうだい」とオーダーする人は意外なほど多く、どこにでもあるメニューである事と、きちんと特定は出来ていないものの、ある年齢層に関しては異様なほどの人気メニューである可能性は高い。
まだ30そこそこの、チン毛がようやく思い通りにカールし出した程度の若輩モノの俺はというと、恥ずかしながらそんな隠れた人気メニュー・タンメンの、その正体をその歳まで正しく知らなかったのである。

今のこの時代、ネットでちょっと調べればコンマ1秒で分かるものが大半だが、あえて調べずにずっと知らないまま、ほったらかしにしているものが沢山ある。
その中でも老舗と化しているのがタンメン。その存在を知らんぷりして10年以上経ったのだろうか。

そもそもタンメンというボクトツな言葉の響きには、その味とか外見といった素性を全く匂わせない妙なバリアーがあるように思う。
加えて、どんな場面でも全く食欲の琴線に触れようとしない素っ気無さも兼ねており、こうしてその名前を知って10数年の間、俺は全く歯牙にもかけなかったというわけだ。

そんなわけで、ずっと名前だけは知っていた程度のタンメン。
先日のこと、これはもう完全に気まぐれ、気の迷いといった言葉でしか説明が出来ない事象だが、妙に「タンメン」と言ってみたくなり、その一瞬のムラつきにまかせ、まるでいつも頼んでいるような表情でこの未開の食べ物をオーダーするに至ったのである。

「タ、タンメンちょうだい」

タンメン。
ドキドキしつつもなんだろう、口に出して初めて分かるこの心地よさ。

「タンメン・・・!」

もう一度言いたい名前、タンメン。俺は今、確かにタンメンを頼んだ。
オトナになった気分がした。勢いそのままにやおら足を組み、スポーツ新聞のエッチなコーナーを堂々と拝見。タンメンをオーダーするとオトナになれる。

して、その数分後、目の前に現れたタンメンのその見た目、味。なんというか、完全に想像とは異なる食べ物で軽くショックを受けた。
地味というか、いや、滋味深いと評すべきか、とにかくこう、主にカラーリングなのだが、食べ物としてソソる要素が皆無であった。
俺がワンタンメンと混同しているのは凡そ明らかであるが、まず、タンメンにはワンタンが1枚も入っていないのである!(当たり前である)
それにあそこまでの、、、まるで年末のアメ横のようなこの、乱雑な雰囲気で鎮座する膨大な野菜はどうか。
俺の想像するタンメンはもっとこう、ツルリンとしているものであり、野菜がまあここまで盛られているとは到底考えが及ばなかったのである。

「チャンポンのようだ」

そう、タンメンは、あれはチャンポンとほとんど似た食べ物である。
チャンポンが豚骨スープ、タンメンが塩スープと、大半は恐らくスープの違いなのであって、あれはほとんどチャンポンなのである。

かねてより、何故都内でチャンポンがこうも流行る気配が皆無であるかという疑問があったのだが、その理由にも一つの答えが見つかったような想い。
チャンポンは素晴らしい食べ物だ。見た目の華やかさもありつつ、しかも野菜が沢山食べられるヘルシーさ。
リンガーハットが「ウィー・アー・ザ・チャンポン」なるトンデモコピーをぶちまけるのも頷けるわけである。

まだまだ一介の北部九州ローカル珍味扱いされているフシがあるが、メジャーになりすぎてかわいげの無くなった豚骨ラーメンよりも、今や北部九州をリアルに代表する食べ物としてチャンポンを推したい気持ちで一杯である。
(それは東京都民にとって巨人よりむしろヤクルトスワローズのほうが東京の球団になりつつあるのと似ている)

そんなチャンポンがリンガーハット以外に何故東京へ進出出来ないのか。そう、都民にはタンメンがあるからなのである。
結局、その日人生初めて食べたタンメンは割と好みの味で、遠く九州へ愛するチャンポンを残し、長い単身赴任を強いられた孤独な男が寂しさに負け現地妻を得たような、そんな後ろ暗い美味しさがそこにはあった。