受験勉強と深夜のポロリ洋画

親の教育方針が「早く寝ろ」だったので中学3年生まで特別何も無ければ夜は9時半時には寝ていた。今思うと信じられないのだが、小学生の頃はもっと早くて多分8時半だった気がする。

親が「早く寝ろ」と言うから、9時半頃になると兄と共用の部屋へ行き、布で仕切られた自分のスペースに引っ込み天井を見ながらボケーっとするのである。

PC、ケータイなど無い時代だし、その時代あるはずのゲームの類すら与えられていなかった。テレビはリビングに一台。同じ部屋の兄が聞いていたラジオや父親がカセットに録音していたよく分からないフォークソングなどを聴いたりしていると自然と眠くなっていた。それでも朝は眠くて自分では起きれなかったというから俺はあの当時何時間寝たかったのか。

こんな生活を中学の3年間ほぼ毎日していたので当然ながら夜のテレビ番組は全く知らない。リビングに一台あったテレビは夜9時以降は父親のものだ。

布団に入り電気を消すと、薄い扉越しに僅かに漏れてくる「大人のテレビ」の音と光が妙に妖しかった。テレビの中から賑やかな笑い声が聞こえる日もあった。あれは子供は観ることすら禁じられていたバラエティだったのだろうか。

 

そんな中学時代を過ごしていた俺であったが、ついに夜更かし解禁となる日がやってくる。中学3年の夏。部活の引退と共に高校受験が始まったのだ。

中学2年の秋、周りのみんなの状況を知って「塾に行きたい」と言う俺にと父親は「大学まで自力で行け」と言った。高校だなんて目先の話ではなくその先の先の大学まで自力で行けと言うのである。

当時の俺が知り得る「大学生」という存在はベンゾウさんのみであったから、「自力」「大学」のフレーズのあとにアレの死んだ目を思い出したときは身震いがした。

そんな震える息子に父親が発した《俺が何でも教えてやるから》という言葉は不安な少年にはとても心強く感じたものだが、結局その約束がようやく果たされるのは「大学、合格していました」というショートメールの場面まで待たねばならず、あの時は「お父さん教えてくれてありがとう」という感じでございました。

ともかく、助けを求めるどころか「自力で」と言われてしまった中学二年生。詰め込み教育万歳!とそこから先は孤独な暗記ロードの始まりだ。勉強の仕方など分かろう筈も無く数学も理科も国語も英語も社会も全部暗記。暗記の鬼、略して暗鬼や!

この暗記の悪習はその後高校まで引きずり、高校数学に至っても解き方を丸ごと暗記してしまった結果、表現の違いなどでちょっと問題をひねられるとすぐコロリと土俵下に投げられた。数学赤点ギリギリ、世界史満点、鋼鉄の文系暗記戦士の誕生はここに端を発すのである。

 

全国の暗記キッズのみんなには分かると思うけど暗記は時間がかかる。暗記は辛く、孤独なレース。

中学3年の夏に過酷な暗記ロードへと突入した少年の勉強量は半端無く、だけどもその効率の悪さといえばそれはもう酷いもので、敵を前に一直線で突き進む彼の視野が当時0.0004siya。分かり辛いと思いますが、これはとても視野が狭い。

ちょっと油断すると「Dick」とか「New york」なんていう人名・地名まで英単語練習帳で書きまくる始末で、「Dick ーーーー意味:ディック」と書いてしまったのはまさに詰め込み教育の勝利。ふと我に返りノート一面に「Hawaii」が書かれていたときは泣けた。(一応説明しておくが、意味は「ハワイ」です)

暗記マシーンの受験勉強は長い。「長さは成長!」と思っているからだろう。だから毎日勉強時間は4時間、5時間当たり前。おかげで腱鞘炎になりかけたが、昔読んだファッション雑誌の白黒ページに「オナニーのし過ぎで腱鞘炎になる」と書かれていたので親には言い出せなかった。(実際オナニーもめちゃくちゃしていたからです)

そんな感じで毎晩夜11時に効率の悪い暗記型の受験勉強を終え、リビングに出てみると誰も居ない。奥の寝室から聴こえてくるのは両親の奏でるいびきの競演。

「今日も120%、出し切ったゼ」

などと満足げにソファーに座り、歯を磨きながら何気なくテレビをつける。誰も居なくなったリビングで一人リラックスできるのも夜更かしの醍醐味だと気付く。

時計は夜11時30分。何気なくつけたテレビにはよく分らない吹き替えの外国ドラマが。タイトルは定かではないがあとで調べたところでは多分「マイアミヴァイス」だったと思う。ひょっとしたら「刑事ナッシュ」だったかもしれない。とにかくハードボイルドな要素が多い刑事モノだったのは覚えている。

何気なく観ていたテレビ番組、衝撃のシーンが飛び込んできたのは突然のことであった。

何の前触れも無く画面上に現れたのはストーリーとは全く関係の無いと思われるストリップバーのシーン。そして唐突に、何の説明もなく、それでいてさもそれが普通であるかのようなノリで!なんとそこにはおっぱいがポロリしていたのであった。

おっぱいサンの出演時間は多分10秒程度だったと思うがそのインパクトたるやハンパなく、その唐突でいて飾らないポロリの仕方には「さすがU.S.Aや!」と大興奮、寝るのを後回しで結局そのままストーリーも理解しないままに全部観てしまった。残念ながらその後おっぱいサンのご出演は無かったが、ところどころPaiを期待させるシーンが登場し、夜のリビングにて「いけ!ぬげ!」とひとり湧いた。

夜のリビングで一人、堂々とテレビを観るというシチュエーションも手伝ってかあのときの興奮は相当なもの。子供の頃から何となく「アメリカ=エロ」という印象を持っていたのだがそれを確かめる機会は少なかった。しかしその晩俺の中でそれは確信へと変わった。

《アメリカさんの後ろについていけばポロリが落っこちてくる》

受験勉強を終えた俺は夜のリビングで一人テレビを観るようになっていた。何度か別の洋画が放送されていたが何も起こらない、そんなことが何度か続いたが、あるとき少し早めに切り上げてリビングにやってくると、なんと前回おっぱいポロリを見せてくれたあの名作刑事ドラマと同じものが放送されているではないか。

大興奮のうちにオープニングから見始めるが、ちょっと惜しいシーンこそあったものの、残念、大したことは起きなかった。

「そんな日もある」

それからというもの、何かにつけて外国のドラマに反応するようになった俺は、明らかに期待が薄いと思われる当時のNHK教育テレビで夕方再放送されていた「大草原の小さな家」ですら何かを期待して眺めていたが、残念ながらポロリしたのはヤギのパイオツだけだった。

あの晩画面上にリリースされたおっぱいがたまたまで、アメリカがそんなにエロくない、むしろエロいのは日本。ジャパンである気付くまで、俺は何かにつけてアメリカの映画に反応していた。もはや病気である。

「二匹目のドジョウ」という話をご存知だろうか。あの日少年がハマったのはそんな古典落語的な罠だったのだろうか。