お伝えしたとおりアメリカへは予定通り行くことになり、ビザも取得し、諸々の処理、手続きもこちらが無理をすることによって滞りなく進み体調を崩しつつもその日を迎えいようとしている。
出国前の研修や引継ぎ、挨拶回りなどの出張地獄で貴重な直前の2ヶ月間を多忙のうちに過ごし、結局最後の最後までみっちりと仕事をしてその翌日の早朝にアメリカへ飛び、日付が戻ってまた同じ日の朝から現地で働くという悲惨な状況が待ち構えている。海外赴任ってもっと優雅で直前はもっと休んだりして心に余裕を持った状態でいくものだと思っていた。なんなんだこれは。
そもそも一番準備に時間を使いたかった英会話にはほとんど手をつけず「あちらではよろしくお願いします」「がんばります」「やります」といった類のどうでもいい挨拶に大半の時間を費やすのは理不尽さも感じるところではあるが、組織にいるということはそういうことと諦め、2ヶ月間の出張地獄を勤め上げようとしている7月末である。
この2ヵ月は移動とビジネスホテル三昧であった。おかげさまでビジネスホテル3社のポイントカードのスタンプがフルになり、合計1万円ほどのキャッシュバックを受けることもできたが、それ以上に削られた体力と神経は計り知れず、出国を前にして家族の大切さ、家の素晴らしさを再確認した次第。
あまりに忙しすぎてその辺の移動履歴をいちいち細かく記録していないのだが、幸運にも俺にはせっせとインスタグラムをやるような一面があり、つまりインスタグラムでだけはその移動の詳細を記録していたのである。
移動とともに削られていく俺の精神状態をご確認ください。
6月は毎週3回、新幹線で出張を繰り返していた。「ワイは猿や」などというJokeを飛ばす余裕もまだあるころである。
新幹線の移動は独特の疲れがある。わいは猿なので新幹線に乗ると必ず足が浮腫んでしまい移動も決して楽なものではない。
「わいは猿や」のネタをやめようとしないのは単調さの中に何か楽しみを見つけようとする囚人のメンタルである。わいは猿なので一度覚えたことを繰り返すのである。
段々疲れてきたようです。俺は往々にして疲れるのが早い。新幹線に飽きたのでしょう。
新しい特急に乗り若干の心の余裕が生まれる。そうするとまたテンプレートをきちんと守る猿なのである。
知恵がついて丁寧な言葉遣いをできるようになる。
おや....。
おやおや...ッ!
電波少年でもよくあった疲れすぎて「本音がポロリする」アレです。
その翌日公約どおりマジで体調を崩すのである。高熱と上下からアウトプットしたのだがあとは連泊していたビジネスホテルのフロントにフラフラで現れ「お前は誰だ」の問いかけに存在しない部屋番号を名乗りあわや「男の人を呼んで!」って感じでザワつかせた日である。
7月に入り若干スケジュールが軽くなると、今度は応用のきいたとっても面白いJokeをいうこともできるようになった。(確かこの日はハイエナズクラブのみんなが送別会的なものをやってくれたはず)
ものすごい大雨で新幹線が止まり、終電を逃しそうになる。ちょっと前に新幹線泊がニュースになったばかりなので真剣に焦っていた。足が浮腫むどころの騒ぎではない。
段々座席自体に興味が移り始める。(ちなみにこの日は新宿で凸ノさん、リュウイチくん、能登たわしさん、バーグハンバーグバーグの甲斐さん、モンゴルナイフさん、初対面の地球のお魚ぽんちゃんが送別会的なものを開いてくれた)
この翌日にビザを取得。 また機会があれば日記に書きたいが、アメリカ大使館でのビザ面接はとても大変だった。(面接自体は3分ぐらいだけど、待ち時間が長いです)
本当はもっと色々な新幹線、特急電車に乗りまくったのだが後半は段々乗り物自体への関心が薄れ、ほとんど心を凍らせていたような状態だったので記録にも記憶にも残っていない。
まとめるとかくのごときとくに見るべきものもないちょっと出張が多いだけの単調な、サラリーマンらしい毎日という次第であるが俺はわかってほしがり屋なのでこの数ヶ月めちゃくちゃ大変だったね、疲れたね、よくがんばってるね、ということを皆に分かってもらいたいがために今日はこの日記をかくわけです。
出国前にまた日記が書ければ書こうと思う。まずは単身で乗り込み家は決まっておらず現地に行ったらまずはホテル暮らし、果たして書けるのかがよくわからない...。
これからもよろしくお願いします。