メーカーの梅沢さん

前職の商社勤めの際に取引先の一つに「メーカーの梅沢さん」と呼ばれていた人がいた。初めて会ったときは26歳で年齢は俺より1歳下だったはずだ。梅沢という人が社内に居たので区別するために「メーカーの梅沢さん」と呼ばれ始め、社内の梅沢が辞めた後もまるで名前の一部のように「メーカーの梅沢さん」と呼ばれ続けていた。

メーカーの梅沢さんは小太りでメガネ、若いというか年齢以上に幼く見えた。服装には無頓着なのは「就活の時にまとめて買った」よれよれのYシャツに、寝癖のついたままの髪の毛で客先に現れるところから明らかで、爪垢がハンパなかったので多分風呂に入らない日が割とあったと思われる。「ずっと彼女が居ません」と彼は言うが、申し訳ないが正直その理由には皆心当たりがあった。

梅沢さんは非常にマイペースであった。名前を聞いたことも無いアニメの声優がとても好きらしく、何度か「イベント」と称するものに行く為に仕事を休んでいたりする。時には聞いたこともないマイナーな小説家の「追っかけ」というものをやっていて、何度かその小説家の「イベント」と称するものに行く為に俺との仕事上の約束をキャンセルしている。

また、仕事の付き合いで飲みに行く事が何度かあったのだが、その度に、帰り道では必ずゲームセンターへ連れて行かれ梅沢さんが得意だというダンスダンスレボリューションを延々見学させられた。最初こそ仕事では一切みせないような機敏な小太りのムーブ、ステップに「おもしれええええ!」と驚き、噴出しそうになるのを堪えながらコッソリ動画こそ撮ったものの、それが何度も続いたら苦行である。ケータイいじりながら「凄いすねェ」「上達しましたねェ」「サンマの美味い季節になりましたねェ」などと、俺が棒読みで言ったとしても「そんなことないですよぉ」と喜ぶ彼には全く気付かれない。

面白い漫画本があるから今度貸します、と言われたので社交辞令で「じゃあためしに今度持って来てよ」と言ったら全25巻を手提げに入れて「はい、どうぞ」と25冊の本だけ会社の外で手渡ししていくようなお茶目な彼だが、俺は彼のピュアネスからくる珍プレーの数々は嫌いではなかった。

ここまで読んできて≪オタク≫の三文字が頭に浮かんだ方がいたらちょっと聞いてほしい。相手のことを考えず突っ走る特有の性質を取り上げて「オタク」と安易な言葉を当てはめてもいいが、俺はそれはしたくない。彼の心は澄んでいるだけで、興味に一生懸命、そしてそれを他人とも分かち合おうとするLove&Peaceの精神に満ちている。ただそれだけ。そう思いたいのである。

女子はよくこんなことを言う。

「心の奇麗な人が好き!」「笑顔の素敵な人が好き!」「自分を持っている人!」

じゃあ梅沢さんですね。梅ちゃんで間違いなし。

 

そんな梅沢さんなのだが、一つだけどうしても気になる事があった。彼の行動の中で唯一違和感を持っている部分、それが会うたびに俺は会ったこともない彼の友達の話を頻繁にしてくることだ。しかも取り立てて見所もない極めてどうでもいいエピソードをだ。

イベントで約束すっぽかされたり、ダンスダンスレボリューション見学させられたことは我慢出来て、友達の話される事ぐらいで違和感とはこれいかに、と思われるかもしれない。実は我慢ならんのは話を聴かされることではない。本当に堪え難いのは、そんな梅沢さんが、友達の話をする際、友達のことをなぜか毎回必ず「ダチ」と呼ぶことに他ならない。

小太りメガネでよれよれのYシャツ。寝癖の残った頭を掻きながら澄んだ瞳に曇りのない笑顔で「昨日、私のダチからの電話でですね~」なんて言われてご覧なさい。「なんでそこだけ"ダチ"じゃい!!!!!」と虫酸が400mリレー始めますよ。

ただ不思議なのがダチ以外の言葉遣いは極めて普通で、どちらかと言うと丁寧で真面目な言葉遣いを選んでいる。それを見る限りでは彼は決して伝統的なヤンクス・カルチャー全般に憧れているわけではない。使うのはなぜかダチ、ただそれだけである。梅沢さんは一人称が「私」なのだが、この「私」と「ダチ」のミスマッチが違和感の根源なのである。

 

そんな梅沢さんの「ダチ」を何度も聞かされ次第に慣れてすらいたある日のことである。ついに梅沢さんの口から出たのが

「先週末、私、ダチ公と○○という漫画家の握手会へ行ってきましてね」

だったのだが、ついにあんチクショウとうとう「ダチ公」っていったのである。

ダチ公。あのダチ公ですよ。今名前に「公」がつくのは梅沢さんのダチ公か伊達政宗公ぐらいである。「ダチ」、「ダチ」といかにもワイルドなフレンドシップを臭わせているけれども、結局颯爽とダチ公と連れ立って行ったのが「漫画家の握手会」なのである!

 その後知ったのだが、梅沢さんのプライベートの車がHONDAのSABERという、これがまあちょっとした恐喝とか現金受け渡しに使われそうなイキフンの漂うワル御用達って感じのいかにも「ダチ公」って感じの車なのであったが、ヤツは一体何を考えてるのか、ウィンドウにはフルスモークをしつらえ社内の照明は紫のLEDが妖しく光る。

内部にとどまらずLEDは外部にも!子供用で靴底が光るおもちゃみたいなスニーカーがあると思うが、アレはもはやちょっとどころではないデコトラ級のヤン車でした。そんな車に就活の時に買ったYシャツを華麗にまとって夜を駆け抜ける梅沢...。突然露わになるツッパリ的な感性。俺には彼のことが分からなくなった。

なお梅沢さんはその"妖車"を俺に見せたかったのか、25冊もの漫画本を貸してくれたあの時もわざわざこの車で会社近くに現れた。「すごい量だね」と渡された漫画の量に驚くと彼は何を勘違いしたのか、突然車の排気量などの話をし始めた。

それを聞きながら、彼が俺の事を誰かに話す時にも「ダチ」と呼ばれているのだろうか、などと考えていた。