洗濯機よ止まるな

「これから○○しようとする人が自殺なんてするだろうか」

自殺と断定されかけた事件が他殺への疑いへ変わるときに用いられるひとつのパターンである。

 

例えば今ベランダで回している洗濯機が止まったら洗濯物を取りだし、そして干して、また乾いたら取り込んで畳むまでの一連を想像すると面倒すぎて死にたくなるときがないだろうか。一人暮らし、単身赴任の時はいつも洗濯機が止まるのを恐れていた。

「これから洗濯物を取り込んで干して乾いたら取り込んで畳もうとする人が自殺なんてするだろうか」

人によってはするんじゃないか。面倒すぎて前回の洗濯物干しを人生の最後にしたいと思う人もいるのではないだろうか。一度回った洗濯機は48時間ぐらい回り続けて、なんなら手違いで二度と止まらないでほしい。止まらないなら仕方ないと思えるし、いつか止まるかもしれないと待ち続ける安心感がある。洗濯物は自分の手元で回り続けており失ったわけではない。所有していないが俺のもの、これは一種のクラウドの洗濯物なのである。クラウドのことはよくわかってませんが、とにかくクラウドである。

全自動洗濯機の誕生により、洗濯機を回すまでの作業は楽チンになったがそれ以降、回してから後の作業が相対的に以前にも増してメンドくなったような気がしてならない。便利さが新たな面倒くささを生んだのではないか。AIが人の仕事を奪ったとしても俺たちは多分何かに疲れ続けるのではないか。人の怠けたい気持ちに技術が追いつく気がしない。

洗濯機よ止まるな。