「うわああ、俺のチャリが...」
中学生のとき、中尾くんという比較的まじめな友達は他校での部活の試合を終えて駐輪場に戻ってみると何者かにより自転車が思いっきり鬼ハンにされていた。いわゆるママチャリタイプのハンドルはゴリゴリの鬼ハンになり、立派な角を生やした自転車は泣きながら主人の帰りを待っていた。
「だ、大丈夫ぅ?」など心配しつつ俺たちは内心めちゃくちゃウケてしまったのだが、あの当時はただ単に他校生に対するイヤガラセの類だと思っていたこのゲリラ鬼ハン事件、今思えばそれだけではないかもしれない。
以前駅の駐輪場にて隣の邪魔な自転車をボッコボコに蹴っ飛ばしているじいさんを見てしまった。カゴを殴り、タイヤに蹴りを入れ、自転車のベルは攻撃を受けるたび小刻みにチンチン泣いていた。何故、人はあそこまで隣の自転車を憎むのか。そっと手を自分の胸に当ててみると心当たりがないわけではない。
駅や公園といった公共施設、またはスーパーといった狭い割に利用者が多いためか割とキツキツで停めなければならない駐輪場に自転車を停めていると、用事を終えて駐輪場から自分の自転車を出そうとしたときに隣に停めてある自転車が何らかの形で自分の自転車に必ずと言っていいほど絡まってくることはないか。ほぼ毎回、ハンドルなり前カゴなりペダルなりがガンガン絡んで身動きが取れなくなるあのナチュラル知恵の輪のことである。
ああいった絡んでくる自転車と対峙したときの、それに対する自分の攻撃性には驚かされる。俺はここまでストレスが溜まっていたのかと驚くほどに隣の自転車を必要以上に乱暴に退けようとしてしまう。オラッ、オラァッ...なる小声の雄たけびとともに発揮される隣の自転車への攻撃性。
中尾君の自転車が鬼ハンになってしまった悲しい事件に戻ってみよう。中尾くん鬼ハン事件はなぜ起きたか。彼の自転車もまた、不幸にも隣の自転車へしだれかかったりしてしまい、鬼ハンはそれに対しぶつけ返された隣人の怒りの結果だったのではないだろうか。
我々が怒りを表現するときに使う鬼。程度の甚だしさを表すときに使う鬼という表現。あの鬼ハンはボコボコにするに飽き足らず、更にプンプン!を表現した現代でいう絵文字のような意味合いではなかったのだろうか。かの浦澤直樹もこの鬼ハンから着想を得てかの漫画「PLUTO」で角に見立てたものが2本刺された事件現場を描くに至ったと聞きました。インターネットで。
最後は手癖で嘘をついてしまったんですが、とりあえず家までの帰り道、鬼ハンをを直すことなくそのままで帰った中尾君は正直まんざらでもない表情だったので心の中にコッチの世界への憧れめいたものがあったのかもしれない。