100mという距離がいまだによく分からない

アメリカに2年以上いるがいまだに今何月かを英語ですぐに答えることができない。たとえばエイプリルフールだから4月、メーデーは5月だったな、ジューンブライドは6月のことだったな、んでジューンの次がジュ繋がりでジュライだったな、などと何か分かりやすいものを思い出し、それを基点に順番に思い出していくしか手立てがない。

曜日も同じである。毎回あのサンデマンデチューズデーの歌を脳内で口ずさまないとマンデーすら出てこない有様。しかしこの歌とて後半の展開が今でも曖昧でサーズデイとサタデーの区別がいまいち微妙なものだから、結局サタデーナイトフィーバーのサタデーだなぁとやはり何か分かりやすいもので連想させないと怪しい始末。ひどい有様。

もっとも、月や曜日は実際のところ日常生活や仕事上ではさほど困るケースは少なく実際差し迫った問題としては数字に関することである。特に桁、なかでもハンドレッドとサウザンドはどうしても即座に出てこない。どちらにも強そうな語感があり両者優劣つけ難い感じがするのが原因であろう。

そうすると、サウザンドが何であったかを思い出すときには、聖闘士星矢に出てくる、実力が拮抗したもの同士が戦ったときに互いに一歩も動けず長く膠着状態が続くとされる「ワンサウザンドウォーズ(千日戦争)」を毎回頭の中に浮かび上がらせないとそれが「千」であることが連想されない。仕事中に毎回ワンサウザンドウォーズのコマを思い浮かべるのは結構辛い。

このように日常に溢れているにもかかわらず英語による基本的な時間や単位表現の理解をおろそかにしているのはひとえに俺の教養のなさと努力不足によるものといえるが、恐らくそれらはその気になればいつかは知識として覚えられるかもしれないという根拠のない自信があるため放置されているとも言える。

よく身の回りに登場する割には全く覚えられないものとして距離の認識というものがある。例えばカーナビに100m先を右ですといわれ、更にご丁寧に曲がるポイントを指し示されたとしても直前までどこで曲がっていいのかいつも自信がない。100mという距離が頻出の割にはいまいちどの程度の長さなのか分からない理由はその長さをあまり体験したことがないからかもしれない。

例えば50m先と言われると瞬間的に小中学校で散々走らされた50m送を思い出し、頭の中で少年に戻った俺は瞬間的に50m走を始めることで、何となく50mを理解するし、25mと言われればプールで泳ぐときのあの長さを思い出すだろう。俺の場合、100mを走ったのは高校の一、二年のときぐらいで、あの当時はもはや短距離走が人より早いとかどうでもよくなっていたのかほとんど印象に残っていない。小学校から何度も経験してきた25mプールや真面目に頑張っていた50m走と比べると記憶に残りづらいのかもしれない。

子供のころは50m走を真剣に走る意味など全く理解できなかったが大人になった今まさか子供の頃の50m走で距離を認識するなど思ってもみず。サンデマンデチューズデーの歌しかり、聖闘士星矢しかり、その中身はともかくモノは知らないでおくより知っておくほうが良いのかもしれない。それらが別の知らない何かを不恰好ながら頑張って補ってくれることだってあるから。100m走はもっと真剣に走ればよかったと今では思う。