好きな食べ物の話

人に好きな食べ物を聞くのが好きで、機会があれば一応聞くようにしている。好きな食べ物を聞くことでなんとなくその人のことを分かったような気になりより付き合いやすくなるのと、人が好きな食べ物の名前を言う瞬間がたまらなく好きだからである。

「シメサバ」「いなりずし」「麻婆豆腐」

今まで聞いてきた人は割と好きな食べ物を偽らずに素直に答えてくれた。俺に正直に、ベストな回答をする努力をしているというより自分に対して納得のいく答えを出したいという内なる葛藤の末にひねり出されたものだと思う。即答する人、長考の末に幾つかを挙げる人、ときに恥ずかしそうに、その人の口から料理名が出てきたときにその人の印象がガラリと変わることもある。

まだ社会人になって間もない頃、親戚のおじさんが正月に酒を飲んで一方的にワーワーと俺に説教の類をしているときに一瞬の間をついて「好きな食べ物なんですか」とそれまでの話とはまったく関係のない質問をぶつけた。おじさんは唐突に甥っ子から投げかけられた全く脈略のない質問に難色を示すことなく、それまでとは全く違うトーンで「...ミル貝」とつぶやいた。まさかの食材での回答で、まさかのミル貝。言葉の響きも素敵なミル貝。若干恥ずかしそうだったが嘘偽りのない回答だと思った。

俺はミル貝を食べたことがなかった。食べたことがあったかもしれないが記憶に残ってないしおいしいと思えてなかったのかもしれない。おじさんは色んな経験を経て、色んな食べ物を食べ、ミル貝が好物の今がある。この人に教わる事は多く、俺は未熟なのではないか。そう感じさせるに足るミル貝であった。

とはいえ、それとこれとは別で説教はいい加減にしてほしく俺はその後俺の好きなチキン南蛮の話を続けた。残念ながらチキン南蛮に勝る食べ物はこの世には無いのだから。