建物の配管をきれいにする胡散臭い白い箱

築地市場青果部門を2年で辞めて次に就職した商社が営業未経験の俺を採用したのは試験的に出店した出張所の新規開拓メンバーというチャレンジングな役割になんとなく築地で働いていたヤツなら勢いがあって新規開拓できそうという理由だったことを後に聞くことになるのだが、築地で働いていたのは就職氷河期に加えて大学生活を見事に失敗し浪費したことで自暴自棄になっていた自称行為的なものであって、根がさほど勢いもない根暗な俺が全く新規開拓に向いていないことは会社と俺の双方がすぐに知る事となった。

そんな俺の新規開拓活動も、最終的にはインターネットで見つけた「建物の配管をきれいにする胡散臭い白い箱」をメーカーの怪しいじいさんと一緒にめちゃくちゃ売りまくって会社の営業成績トップになる未来が待っているのだがそれはまたいつかするとして、商社の新規開拓というのはなかなか難しく、よほど強い製品の独占販売権を持っているとかでもしないと、各社モノを買うのに必ず数社商社と取引をしている中にでわざわざ新しい商社と取引口座を開設しようということにはなりにくいのが事実。

商社といっても色々あるが、俺の場合は産業資材を取り扱う商社。特定の分野に偏らず一応産業資材の総合商社という位置づけだったかと思う。幾つかの製品に強みのある商社で、売りたい製品は幾つか決まっていたが、それら拡販したい製品に拘らずマーケティングもかねてその地区の顧客をあらゆる角度からとにかくたくさん回るようにと、雑居ビルの一角に借りたスカスカの小さな事務所で毎日与えられた過去の展示会来訪者や休眠リストを眺めながらひたすら電話をかけてアポイントを取る日々である。

テレアポのキツいところは俺が説明するまでもなく調べればその苦労はいたるところで経験者により報告されているだろうから割愛するが、そもそも狙っている人に辿り着けないというのが最初のハードルであろう。代表電話で受付の人に断られ、転送しますといいつつ切られ、部署の代表電話まで辿り着いたと思ったら「居ない」と避けられ、本人に辿り着くまでに体力を削られ、ようやくご本人とご対面というときにはまさか辿り着くとは思っておらず何の話をしたかったのか完全にド忘れしたこともある。

何回も失敗を経験すると段々コツというかテクニックが磨かれ徐々に研ぎ澄まされ、面会に漕ぎ着ける確率も上がっていくのだが、最終的に辿り着いたのが古いリストで既に退職してそうな人を見つけ出して、死人に口なしとばかりに「○○さんには大変お世話になり」とリストに書かれた僅かな情報を極大まで膨らまして知り合いアピールをし後任に約束を取り付ける作戦なのだが、一度その作戦で会った後任の人から根掘り葉掘り聞かれて架空の展示会で僕らは出会い、架空の案件に興味を持ってもらい見積もりをした架空の製品など全ストーリー架空で作り上げた大変に心の痛い打ち合わせを経た後に「こんなことをしていてはいかん、これからは製品力で勝負」と一念発起して探したのが例の「建物の配管をきれいにする胡散臭い白い箱」になるのだがこれはこれでウケるのでまた今度します。

そんなテレアポが全く上手くいかなかった時に「訪問件数が少なすぎる」と、営業はよくこの訪問件数をとやかく言われる生き物なのだが、そう上司に指摘されやむを得ず飛び込み営業に手を出したことがある。飛び込んで先方の誰かと話をした瞬間に「1件」とカウントされるからである。まさに目的と手段の入れ替わりの典型で意味もなくそもそも経験として最悪であったことからも、結果テレアポの方がマシだという結論に至ったのでやって損はなかったかもしれない。

飛び込み先として狙われるのは守衛門や受付のない会社で、テレアポと同じくハードルが1つ、2つ下がる為。一番良いのは無人の受付に部署名と内線電話がご丁寧に書かれているものである。ある日飛び込んだ三鷹市内の会社は守衛も受け付けもないばかりか、内線電話もなく、エントランスで一体どうしたものかとまごまごしているとそこに現れたのが清掃のおばちゃんで「誰に用ですか」と言うので正直に飛び込みで来た営業で製品を紹介したい旨伝えると「ついてきて」と言うではないか。おばちゃんに連れられ階段で2階に上がり、廊下を歩いたおそらく建物の一番奥にあろうと思しき部屋の前に来たときそこには「社長室」と書かれていた。「おばちゃん、トゥーマッチだよォ...」と思った刹那、振り返るとおばちゃんは無言で去って行きドアが開け放たれていた社長室の前で、つれてこられた俺と中にいる社長は今まさに目が合っている。

「...。」

社長は無言で睨んでいる。歳は50代後半だろうか。よせばいいのに顔が怖い。待っていましたとばかりに飛び込みでやってくる若手営業マンのことが嫌いそうな顔をしている。失礼します、飛び込みできました、今日は天気が、エット、サーセン、今日はこの商品のごしょ、イェッス、会社紹介だけ、ウイッス、置いていかせてください...とモゴモゴいうと、無言で睨み続ける社長の机に会社案内と名刺を置いて去るまで、失礼しましたの言葉も出ずに無言でその場を去ることしかできなかった。

「...。」

おばちゃんと歩いた廊下、階段を元来たルートで戻ると入り口におばちゃんがいて「どうだった」とばかりにニコリとしたが返す余裕もなく、ここに入る前に降りそうだった雨がやはり降って来たところで持っていた折り畳み傘が手元にない事に気づき、焦ってカバンからカタログを出すときにあの社長の部屋に置き忘れたことにそのとき気づいたのだった。今頃捨てられているであろうカタログと名刺と、俺の折り畳み傘のことを思いながら雨の三鷹市内を歩いて駅を目指した辛い経験。結局、唯一まともに成功したのがこのときだけ。成功とはいえないが、きちんと人に会えたのはこの1回のみであった。

「建物の配管をきれいにする胡散臭い白い箱」と出会う2年前のことである。