2年間俺を苦しめたやつが終る

2018年の冬にアメリカに拠点を持つ日系企業からその新しいプロジェクトの話が来たとき、その前年に参画していた別のプロジェクトが順調のうちに終わりを迎えようとしており、またそれら2つのプロジェクトが同じようなもので、今度のほうがボリュームも小さかったことから俺がプロジェクトリーダーのような位置づけでこれを受けることとなった。

「役割分担して進めるようにするけどメインは任せた。全面サポートするから頑張って!」

そういった上司はその後一度もサポートすることなく何か相談などしても先のコメントの大半が割愛された「頑張って!」だけで返すようになったのは想定内だったが、想定外だったのはこのプロジェクトが小さいクセにめちゃくちゃ手がかかる類のものだったことである。

細かい話は割愛するが、通常俺の仕事の場合は製品の「仕様の決定」「見積もり」「承認」「受注」という過程を経るのだが、この新しいプロジェクトは受注に至るまでに非常に時間がかかり、最終ユーザーの都合から見積もりは20回近くやり直し、承認を受けるその直前、仕様の承認には日本側の意向をくまねばならないと直接日本側とやり取りをさせられ一か月間の間毎晩テレビ会議に参加させられる相当タフなものであった。

言いたいのはこのプロジェクトがいかに決まるまでに大変であったかということだがそれはほんの序章に過ぎず、製品完成後、アメリカに納品する前に日本でテストをするという段階になり日本へ出張し始めたころから妙な雰囲気を感じるようになってきた。

この仕事は自分の会社だけでなく、他に数社が関与するそれなりに大きな金額の動くものであったが元々どうも他社の担当者が妙に逃げ腰で何かを決める時にハッキリと言わない、議事録に残そうとしないという不審なムーブを見せていたのが気になっていたのだがその理由も日本でのテストの初日に凡そ分かり、察するに協業する他社の中の一社が恐らく無理して受注を取ろうとしたのか現れた製品スペックは明らかに低スペックであり、案の定日本でのテストは失敗続き、最後はスケジュールの関係もあり無理やり結果を作ったような非常に不安の残るもので終わった。

「なんとかなりそうですね、ね!よかった!」

テストのクロージングミーティングでは半ば自分に言い聞かせるような日本側担当者のそのような掛け声で終了し、その数か月後に彼は異動し音信不通となる中、その製品は、そのプロジェクトは多分6割ぐらいの仕上がりのままアメリカに向けて船で送られることとなった。

「荷物が到着するまでの間何か対策をしなければならない!」

そう言っていた同じプロジェクトを一緒に頑張っていた他社の担当の人はほどなくして駐在期間を終えると帰任をしなければならない!と言い残し居なくなったし、「あとは我々が何とかしなければ…」と言っていた別の会社の人には連絡するたびに「何とかならないものか…」と言うだけの完全なRPGむらびと級のザコのオッサンだということがわかり、結局このプロジェクトをまともにやりきるのはわが社しかいない!という使命感の高まりの中、俺の後任で来たはずの同僚が仕事が出来なすぎて帰任が決定↓という珍プレーなども重なり、アメリカにあの地獄の製品が到着して以降は完全に孤立無援でこのプロジェクトを取り仕切ることとなってしまった。

アメリカに到着してから半年、予定通りこのプロジェクトは現地入りしてか揉めに揉め、エンドユーザーとの打ち合わせや諸々の変更指示、トラブルシューティングを一人でこなすうち、関係者はフェードアウトしたり、帰任したり、更にコロナの影響で誰も姿を現わさなくなるなどを通じ、いつの間にかこの2年間に及ぶプロジェクトの最初から現在までを知る人物は数社をまたいで俺一人だけとなっていた。それはある意味責任をすべて被るということでもあるのだがそこにはポジティブな面もあり、つまりいつの間にか俺だけがこのプロジェクトのすべてを知る唯一の人間、創造主、全知全能の神。過去の経緯、背景、情報は俺がすべて持っているのである。

度重なる変更、打ち合わせ、大量の議事録、その全てが頭に入っているのは俺だけなので俺がミスをしたとしてもともみ消せるし、いなくなったアイツ、フェードアウトしたあの卑怯者になすりつけることもできる。

「7‐10‐2019作成の議事録の〇〇ページにこうありました」

厳粛な面持ちで議事録の内容を吟じるその姿は聖書を抱えた聖職者のよう。ゆっくりとした口調で曰く、

「ずばり、帰任した〇〇さんの責任でしょう」

議事録は聖書、俺は預言者なのである。そして救いの手を差し伸べ俺は感謝される。

「私が助けてあげましょう」

このプロジェクトは現在も進行中であるがもうじきゴールが見えそうである。3月末のコロナ、4月の自宅待機令、5月、6月にビザ更新面接をキャンセルされ、7月はビザ失効のピンチにも耐えつつ逃げずに続けてきたこのプロジェクトがもうじき終る。