信子のホーム・ソープ、そこから得た学び

息子がサッカーを始めた当初は全く上手くいかない息子に対しもどかしい気持ちからああした方がいいのでは、コーチはこう言っていたぞ、などアドバイスするも、頑なに俺のアドバイスを聞こうとせず、練習帰りや試合の後には息子といつも喧嘩をするのが日課であった。

本人も自分で上手くいってないことが分かっていて気が立っている中でアレコレと言われるのも気分が悪かろうと、帰りに飯に連れて行って一呼吸置いたりなど俺も未熟な父親なりに気をつかい徐々にではあるが本日の練習の反省などと言った建設的な話も出来るようになってくると、息子が俺のアドバイスを聞きたくない理由も徐々に見えてくるもの。

ある日とうとう息子が核心に触れて言ったことは「お父さんはサッカー経験者じゃないから俺にアドバイスできる立場ではない」と、つまりそういう単純な話だったわけである。俺はサッカーを観るのが好きだし一応それなりにサッカーを愛しているつもりであったが息子からするとプレイヤーでもないただの外野の、土手に座るクソのジジイなのであってそれからアレコレと指図をされるのが我慢ならんとそういう理論なのであった。

俺のスポーツ経験はバスケットボールのみ。それを知ってかそういえば確かに息子は俺がバスケットを教える時は素直に聞いてくれていた。彼の中でそういう明確な線引きがあったことにお父さんは気づきませんでした。

しかしスポーツは違えどその経験からは大いに学ぶことはできるはず。例えば日本野球界の重要人物である落合博満の妻・信子が博満のソープ通いを辞めさせるために「ソープ」を勉強し、家でソープをやり始めたことでついに博満のソープ通いが収まったとされるエピソードは有名である。

「信子はソープを知らないから俺のソープを止められる立場ではない」

博満がそういったかは知らないがそれを言われた時の信子、そして自宅でソープを始めたときの博満の気持ちはどうだったのか。そういうことを考えながら俺は息子にアドバイスをする権利を得るために40歳になってスパイクを、スネ当てを買い本格的な中年のサッカーチームに武者修行に行き、息を切らし、怪我をし、心が折れつつも、すべては息子の為だと信子のソープ理論で一年間サッカーを続け、何とか息子にも自信をもって名乗れる程度のサッカープレイヤーとなった。

自分がサッカーをやってみて今まで知らなかったサッカーのキツさ、激しさ、痛さがようやくわかったこと、そしてそれを知らずに走れだの動けだの声を出せだのと指図したことを詫びると、息子はようやく俺のアドバイスを聞いてくれるようになった。

信子のホーム・ソープに支えられた博満は後に三度の三冠王など球界を代表する打者となった。スポーツは違えど息子にも素晴らしいサッカーライフを送ってもらいたいものである。俺はこれからもサッカーを続けそのお手伝いをしたい。

最後になりますが、ソープの話を都合よく解釈していたらすいません。(あと博満って何回も呼び捨てにしてすいません)